第5話 君の冒険談を聞かせておくれ②


 金曜日の夜、二十三時丁度。既に消灯から三十分は経過していた。

 闇に乗じて、アリス達三人はエメラルド寮を出発した。


 ガーネット寮は同じく四階の南棟にあるため、見回りの教師に見付からないよう慎重に行く必要がある。

 吐息すら漏らすのが躊躇われる静寂の中、三人は抜き足差し足で南棟へと進んだ。

 どうにも目立つため魔法で足元を照らすような真似はできず、目が暗闇に慣れるのを待つしかない。

 暗い廊下は日中の賑やかさを微塵も見せず、まるで深淵へと誘うように続いている。

 見慣れたはずの校内が、今は別世界のようだ。



 見回りの教師にもアリス達のように校内を出歩く生徒にも出くわさず、運良く南棟のガーネット寮へと続く扉の前まで来ることができた。

 耳を澄ませても、こそりとも音がしない。どうやら、寮生達は談話室にはいないらしい。


 三人はガーネット寮の前を通り過ぎ、今度は階段を降りて教室が集まっている一、二階を目指す。三階は職員室や教官室があるため素通りだ。

 ここからはいよいよ、明かりの点いている教室を探すことになる。

 衣擦れの音と、歩く度にリノリウムの床が鳴らすきゅっ、という耳障りな音がやけに大きく聞こえた。






 先ずは二階の教室から確認していくが特に何事もなく、十五分程で全ての教室を見終わる。

 結果、どこも明かりは点いていなかった。次は一階だ。

 三人は再び階段を下り、人影がないことを確認して廊下に出る。

 教室の数自体は二階とほぼ同じなので、そう時間は掛からずに終えるだろう。何もなければの話だが。


 まず一つ目の教室を通り過ぎる。次に二つ目、三つ目……そして最後の教室が見えて来る。

 そこで三人の足がピタリと止まった。




 ――教室の明かりが点いている。




 三人は頷き合い、音を立てずに教室の扉へと近付いた。

 レイチェルに促され、アリスは背伸びして硝子越しに教室内を覗き込む。

 磨り硝子ではなかったため、中の様子を確認するのは容易だった。



 教室の真ん中辺りの席に、ぽつんと白い人影が腰掛けている。



 噂にあった、ガーネット寮の生徒が見たもので間違いないだろう。

 アリスは声が出そうになるのを、慌てて両手で抑える。そして素早く頭を引っ込めると、身振り手振りで教室に人影があることを二人に伝えた。

 レイチェルが前に出て扉に手を掛ける。

 何があっても良いように、この中では一番魔力の強いレイチェルが最初に教室に入ることは、事前に決めていた。



「……開けるわよ」



 レイチェルは囁き、アリスとミリセントが頷いたのを確認すると、勢い良く扉を開け放った。

 バン! と大きな音を立てて教室の扉が開く。

 その物音に反応した白い人影が文字通り飛び上がり、腰を抜かしたように椅子からずり落ちて床に座り込んだ。

 そしてそのまま、あたふたと机の下に潜り込む。




 ……ゴーストにしては、反応がまるで生きた人間のようだ。




 思わず、アリスは隣のミリセントに困惑を隠しきれない顔を向ける。

 するとミリセントも同様に眉を下げて、アリスを見返した。


 気力が削がれたのか、レイチェルはいつでも魔法を放てるようにと練っていたはずの魔力を霧散させた。

 そして机の下でぷるぷると小刻みに震えているゴースト(仮)に近付く。


 近くに寄って見ると、ゴースト(仮)が白い薄手のブランケットを被っていることが分かった。

 レイチェルがブランケットを鷲掴むと、ゴースト(仮)が嫌がる素振りを見せる。しかしレイチェルは、問答無用でそれを剥ぎ取った。




「ひぇえ……」




 ゴースト(仮)が情けない声を洩らした。

 ブランケットの下から現れたのは雪よりも白い肌に波打つ長い黒髪の、真紅の瞳の少女だった。

 かなりの美少女だ。蹲っていても分かるスタイルの良さは、同性として羨ましい。




 そんな美少女が床に座り込み、机の下に潜り込んでいる。しかも涙目というオプション付きで。

 三人はかなりの罪悪感に駆られ、レイチェルは一言謝ると彼女にそっとブランケットを掛け直した。

 お互い何を言えば良いのか分からず(少女は怯えて震えているため)気不味い空気の中、アリスは少女が赤色のリボンを着けていることに気が付いた。


 ガーネット寮の生徒だ。なら彼女が真夜中とはいえ、南棟の教室にいることは何らおかしくはない。




 その時、アリス達が入って来た扉とは反対側の扉が開いた。

 まさか第三者の乱入があるとは思ってもいなかったアリス達が短く悲鳴を上げると、少女も釣られて悲鳴を上げ、机の下で更に小さく身体を丸めた。




「……何してるんだお前達。何故ここにいるんだ。というか知り合いか?」



「ジスト先生、何でここに……?」




 呆然としたアリスの台詞が、微妙な空気の教室に響いた。











「彼女はカーミラ・シルヴィ。ガーネット寮の一年生で、人間と魔族である吸血鬼のハーフだ。見ての通りのかなりの人見知りと、吸血鬼の特性の問題があってな。一般生徒と同じタイムスケジュールで生活するには難があるということで、特別に夜間に授業を行うことになったんだ。今日は俺が受け持っている、魔法基礎学を行う予定だった」



 すっかり怯えて今は教室の隅でカーテンにくるまっている少女、カーミラに代わり、ジストが彼女を紹介した。



「それで? 何故エメラルド寮のお前達がこんなところに?」



「実はガーネット寮でゴーストが出るって噂を聞いて……」



「新聞部の記事にならないかと調べに来たんです」



 アリス達の話を聞いて、ジストは眉を顰めた。



「他寮に広がっていないとは言え、噂になっているのは不味いな。お前達のように真相を確かめようとする奴が出て来ないとも限らないし……というか既に出た後だったか? こういうことが何度も起こると、カーミラが落ち着いて勉強できない」



 未だカーテンにすっぽりと包まれて姿を見せないカーミラの方を見やる。

 彼女がこうなっているのは紛うことなくアリス達の所為なので何も言えずにいると、ミリセントがぽつりと呟いた。




「……なら新聞にすればどうかなぁ」




「「「新聞?」」」




 アリス、レイチェル、ジストまでもがミリセントの発言に声を揃えた。

 それ程に、ミリセントの提案は衝撃的だったのだ。

 どう見ても目立つことを良しとしなそうなタイプであるカーミラのことを新聞の記事にするとは、一体どういう意味なのだろうか。



「うーんとねぇ、カーミラちゃんのことを書くっていうよりもガーネット寮について記事を書くの。例えば先生紹介とか、他寮との違いとかそういうの。その中にガーネット寮の気になる生徒とか、生徒の声みたいなコーナーを作って紹介するの。そうすればカーミラちゃんの事情も分かってもらえると思ったんだぁ。それに一年生なら他寮のことが気になるっていう生徒も多いだろうし、お互いの寮を知るには良いんじゃないかなぁって」



「……確かに、それは良い案ね」



 レイチェルはミリセントの提案に何度も頷く。

 レイチェルの頭の中ではどんな記事を書くか、既に構想が練られ始めているのだろう。彼女は興奮からか、頬を赤くしていた。



「そうだな。今年度の高等部には、特に様々な種族の生徒が在籍している。彼等、彼女等のことを知るのは良い機会かもしれない。……まあ今回はカーミラが首を縦に振ればの話だが ――どうする、カーミラ?」



 ジストは、カーミラの意思を尊重するために発言を促す。

 声を掛けられカーテンの内側でもぞもぞとしていたカーミラだが、ようやくその隙間からブランケットに半分程隠された顔を出すと、小さい声で囁くように言った。




「ょろしく、お願いしま、す……私もこのままじゃ、いけないと……思うから」




 アリス達は顔を見合わせて笑うと、カーテンに近付きカーミラへそれぞれ自己紹介した。

 カーテンの隙間からアリス達の話に交ざりながら、彼女はたどたどしく相槌を入れる。

 穏やか且つ和気藹々と会話が進んでいき、しばらくしてカーテンから出てきたカーミラは少しずつ口数も増えていった。彼女が目深に被っていたブランケットは、無意識の内に下ろされている。



 そんな生徒達の姿をジストが微笑ましそうに、眩しそうに眺めていた。



(……今日の所は自習にするか)



 授業には遅れが出てしまうが、時にはそれよりも大事なものが子供達にはあるということを、教師となったジストは知っていた。

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