第12話 席はたっぷり空いてる⑤
エドワードの纏う雰囲気が一変し、触れれば切れる刃のように鋭利なものになる。
エドワードは、同じく四大騎士ゴード家の一人であるクロムを鋭く睨み付けた。こんな険しい表情のエドワードは初めて見る。二人を遠巻きにしていた生徒達が息を呑んだ。
「……だから嫌だったんだよ。お前がいる時にこの授業をやるの。だがまあ、お前の言う通り、見た方が早いか」
エドワードが溜め息を一つ溢し、生徒達を見回した。
「今から俺とクロムで模擬戦をやるから、少し離れてろ。今後の授業の参考にしてくれたら嬉しい」
エドワードの「その辺まで下がってろよ~ 」との指示に従い、アリス達はエドワードとクロム、二人を半円状に囲むようにして立った。隣のコニーが、心配そうな面持ちでクロムを見ている。
「クロム君、本当に言うとは思わなかった……」
小さく呟かれたそれが気になり、アリスはつい尋ねてしまった。
「何かあったの?」
「え!? あ、ああ……その、エドワード先生の授業があることを知ったクロム君が『絶対手合わせしてもらう!』って息巻いてたんだ」
「凄い有言実行タイプだね……」
コニーから視線を移すと、エドワードとクロムはお互いに向き合い、礼をしている所だった。二人とも騎士特有の、左胸に右拳を当てるあの礼だ。
二人は音もなく背中を向けると、所定の位置に立ち、示し合わせたように向き直る。
「そうだな……ソフィア・フィリス、審判を頼めるか?」
「はい」
指名されたソフィアが前に出て、クロムとエドワードから少し離れた場所に立つ。
ソフィアは二人の準備が整っていることを確認すると、静かに右手を上げた。生徒達も静まり返り、演習場に一瞬の静寂が訪れる。
「――では模擬戦、始め!」
ソフィアの右手が振り下ろされると同時に、クロムが左耳を飾る剣の形を模したピアスに手をやった。
アリスが魔力の揺らぎを感じたと思うと、クロムの手には細身の剣が握られていた。華美な装飾はないものの、それが持つ鋭い輝きは、名だたる刀工に鍛えられたのだろうと推測された。
クロムの属性魔法だろう。
刃に水が纏わり付き、彼がそれを払うようにエドワード目掛けて剣を振るう。距離が離れているため剣先は当然当たりはしないが、放った水が半円を描く刃となり、エドワードを切り裂かんと襲い掛かった。
それに対し動揺も見せず、エドワードは体躯の割に筋肉質な右腕を宙に翳し、微量な魔力で防御魔法を展開した。
エドワードの防御魔法はいとも簡単にクロムの水の刃を弾き返すと、上部から割れるように崩れ落ちる。
ほんの小手調べだというように、クロムは次の動作に移ることなく、挑戦的な笑みを浮かべていた。
「やっぱ強いな、アンタ。何でアレス家を継がなかった?
「エドちん、お兄さんがいるんだね。知らなかったな。どんな人なんだろう」
「アルバート・フォン・アレス。アレス家の現当主だね。クロム君の言う通り線の細い、魔法も剣の腕もあまりパッとしない人物って、世間では言われているよ」
ついレイチェルがいる要領で説明を求めるような言い方をしてしまったが、さすがは新聞部。コニーもすらすらと四大騎士、アレス家について話してくれた。
「詳しいね、さすがコニー君!」
「いや、むしろこれ位のことしか知らなくてごめん。レイチェルさんなら、もっと詳しいと思うんだけど……」
レイチェルがいるであろう方を見ると、案の定彼女は同じ組のミリセントに何事かを説明している様子だった。恐らく今のアリス達と似たようなものだろう。
アリスが再度模擬戦に視線を戻すと、二人は直立不動のまま会話を続けていた。
兄の存在を
「まだまだ青いな、クロム・フォン・ゴード。強い奴が当主になれる訳じゃない。確かに兄は魔法も剣も弱い。だがな、人を纏めるってのはそういうことじゃないんだよ」
「………」
今度はクロムが眉を吊り上げた。まるで先程の役回りを交代したかのようだ。
「兄は、アルバートは他の連中のことも考えられる奴だ。上に立つのはそういう人間の方が良い。だから俺はアイツを支えるために剣の道を取った。人の上に立つのも向いてないしな。それ以上にこうやって当主の補佐の傍ら、
「……変な奴だよ、アンタ。折角そこまでの腕があるのに」
「
「はっ」
クロムが小馬鹿にするように鼻で笑う。そして脇を締め、ぐっと下半身に力を入れたのが遠目でも分かった。恐らく身体強化の魔法を使用し、エドワードとの距離を詰めるつもりだ。
アリスがそう予想した瞬間、クロムが素早く駆け出した。
すると低い姿勢を保って走る彼の姿の輪郭がぶれ、三人になった。二人のクロムがエドワードを挟撃するため左右に散り、残った一人が真正面から襲い掛かる。
三人のクロムがエドワードに肉薄し、あらゆる角度から剣を振るう。
エドワードはそれを難なく躱し、時には魔法で受け流す。エドワードの視線は全てのクロムから外されることはなく、子供とは謂えども彼を同じ四大騎士の家の者として対等に扱い、その力を警戒しているのが良く分かった。
「クロム君が増えた……」
唖然としているアリスに、コニーが苦笑しながら言った。
「多分、闇属性の魔法じゃないかな。自分の影に魔力を込めて、操っているんだと思うよ」
「なるほど……でも影は一人一つじゃない? 分身のクロム君は二人いるよね?」
「そう言われると……うーん?」
二人して首を捻っていたが、激しい鍔迫り合いの音にアリスの意識は容赦なくそちらへと引っ張られた。
エドワードはクロムのように剣状のピアスどころか、装飾品も着けてはいない。だというのに、その手にはいつの間にか剣が握られている。それはクロムのものよりも大きく、刀身も長い。
「一体どこから……?」
その問いへの答えは、直ぐに出された。
エドワードに肉薄していた分身のクロムが空気に溶けるように消え、本体の彼がバックステップでエドワードから距離を取った。四つん這いになり地面に手を突く様は、まるで野生の獣だ。
「勘が良いな」
エドワードの周りでビシビシと不穏な音が聞こえたかと思うと、一際大きい音と共に景色の一部が裂けた。パラパラと欠片のようなものが零れ落ち、先の見えない深淵染みた暗がりから、剣の柄がずるりと現れる。
ゆっくりと、まるで魔物の腹から生まれ落ちるように全身を見せたそれは、柄から刀身まで全てが漆黒だった。
しかしそれだけでは終わらなかった。
裂け目は更に数を増やして広がり、そこから姿形の異なる数多の剣が吐き出され、次々とフィールドに突き刺さり砂埃を上げる。
瞬く間にエドワードの周辺は抜き身の剣に囲まれ、まるで針山に立っているようだ。
「何、あの魔法……」
「空間を広げたの、かな……?」
アリスの問いに答えたコニーは自信なげに何度も首を傾げ、他の生徒達もアリス同様困惑した様子で、「何あれ……?」と囁き合っている。
しかしエドワードは彼等の疑問に答えることなく、目をギラギラと好戦的に輝かせると、歯を剥き出して笑った。
衣擦れも立てずに、エドワードが左手を無造作に上げる。足元に刺さる剣の幾つかが、それに応えて細かく震えた。
剣は触れてもいないのに地面から離れ、宙に浮かぶ。
――切っ先は、全てクロムへと向いていた。
攻守が交代したのが、素人目にも分かった。フィールド上の空気が変わったのだ。クロムが支配していた、否、
今まで絵筆でちまちま塗っていたものを刷毛で一気に塗り替えたように、それは劇的な変化だった。
「いくぞ」
エドワードが左手をくいと持ち上げると、剣が呼応しクロムへと襲い掛かる。クロムはそれらを受け流さず剣で弾いているが、いかんせん数が多い。
しかし弾き洩らしてしまった剣はクロムを傷付けることなく、操り糸が切れるが如く力を失い地面へと転がった。エドワードが意図的に行っているのだろう。クロムもそれが分かっているのか、憎々しげにエドワードを睨み付けて歯噛みしている。
「あれって全部の剣に魔力を纏わせて、操っているのかな? でもエドちんは自分のこと、あんまり魔力が多くないって言ってるよね?」
「……かなり微量な魔力だと思うよ。それこそ少ない魔力量でも補えるレベルの。ただそれよりも凄いのは、あの剣全てに違う動きをさせて操っている所だね」
目元全体を厚く覆う前髪の下で目を眇めるコニーが、自身の推測を淡々と話す。話り口がどこかレイチェルに似ていて、アリスは他寮の新聞部員もそうなのかと少し気になった。
「――ふっ」
短い呼吸音と共にエドワードの姿はその場から消え去り、アリスが再びその姿を視界に捉えた時、彼は既にクロムの目の前にいた。
読んでいたのか、クロムは危なげなくエドワードの剣を受けていたが、それも力負けしているようだった。
身長はエドワードより大きいとはいえ、未だ成長期の子供の身体であるクロムと、小柄とはいえども鍛え上げ、成人した男性の身体を持つエドワードと比べてしまえば、結果は歴然だろう。
そして渾身の力でエドワードの剣を振り払ったクロムを、今度は魔力で操られた剣が襲う。休む間もなく絶えず与えられる攻撃に、クロムの息が弾んでいた。
このままでは二進も三進ももいかないと思ったのか、クロムが上へと跳び、その勢いのまま後方へと着地した。
クロムは肩で息をしながら、間を空けずに幾つもの水の弾を撃ち出す。
だが対するエドワードは、操っている剣でそれらを冷静に切り裂いて無力化した。
そして切られた水の弾はただの水に戻り、地に落ちる
フィールドに水が落ちる直前、切られた水は水蒸気となり、エドワードの周囲を覆った。アリス達からその姿は見えなかったが、「うおっ、何だぁ!?」という声が聞こえたので、彼も予想だにしない展開だったのだろう。
風向きにより水蒸気の中にクロムの姿も隠されてしまい、一体何が起こっているのか見当も付かない。
「……多分あの辺り、かな。誰か動いてるよ。あそこ、少し蒸気の流れが違うような気がする」
コニーが指差す方向に目を凝らすも、アリスには全く分からなかった。
しかし次の瞬間、見学していた生徒達の方へと大量の水蒸気が流れて来た。状況を理解する間もなくアリスの視界が白く染まり、動揺に満ちた他生徒達の悲鳴が上がる。
そしてようやく視界が開けると、既に勝負は着いていた。
クロムがフィールドに大の字で倒れ、その喉元にエドワードの持つ剣の切っ先が当てられていた。
倒れるクロムが一言も発しないのでどこか怪我でもしているのかと思ったが、よくよく見ると胸が忙しなく上下している。呼吸が整わず、声も出せないのだろう。
「――勝者、エドワード先生!」
ソフィアが右手を上げ、勝者の名前を高らかにコールした。
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