第35話 タルトをぬすんだのはだれ?④

 それは生憎の雨に見舞われ星空愛好会の面々が孤児院で過ごした日から、二日程経った朝のことだった。


 アリスは四方八方に跳ねた寝癖を掻き毟りながら、いつものように洗面所に向かう。

 無防備な欠伸と共に洗面所へと足を踏み入れたアリスの目に飛び込んで来たのは――シスター服に身を包み、子供達の世話をするクリス・ベリルの姿だった。



「――ふえっ!? クリス先輩!?」



 ここで、アリスの意識は一気に覚醒した。咄嗟に寝癖を隠そうとして、両手で頭を抱える。

 クリスは歯磨き粉塗れの子供の口元をタオルで拭いながら、挙動不審なアリスを見て「何してるんだよ」と笑った。



「えっと……クリス先輩、もしかして孤児院ここに勤めているんですか?」



「そ。だから言ったろ『お前とは直ぐ会うことになる』って。昨日と一昨日は偶々休みを貰ってたんだ。聞いたよ。シェリーと、ジスト先生も来てたんだろ? 女の子達皆、ジスト先生の話題で持ちきりだ」



 卒業式の時にクリスが発した意味深な言葉を思い出して、ようやく合点がいった。



「……進路、ぎりぎりまで悩んでたんだけどさ。やっぱりここが一番素敵だなと思って」



 自分の『家』を『素敵』と評されて、アリスは唇を綻ばせる。



「こうしてお会いできて良かったです。……そうだ! 学校が始まったら、シェリーちゃんにも伝えないと!」



「待った!」



 クリスは足元に纏わり付く子供達を宥めながらも、芝居掛かった仕草で手の平を差し向けた。



「アタシがここで働いてること、シェリーには言わないでくれないか?」



「えっ、何でですか?」



「今年の文化祭は大文化祭だろ? 大文化祭は一般開放されるから、その時に顔を出そうと思っててさ。だから、秘密にしてて欲しいんだ。……まぁ『サーカス』の動向次第では、文化祭もどうなるか分からないけどな」



 お茶目にウィンクするクリスに、アリスは声を立てて笑った。

 良い考えだ。クリスの顔を見たシェリーがどんな表情を浮かべるのか、想像しただけでわくわくする。




 ――こうして密かに結ばれた二人の同盟。

 その約定が、今果たされたのだ。


 シェリーは紅玉を真ん丸に見開き、驚きの余り固まっている。

 アリスは先程のアノス、ユリーシャ達同様、クリスを空いている席に案内した。



「シェリーちゃん、そろそろお客さんも薄くなってきたしこっち接客は大丈夫だから、クリス先輩とゆっくり話して来たらどうかな?」



「え、」



「大丈夫、注文は私が取るから!」



 アリスは言うが早いか、クリスが座る席へ向かってシェリーの肩を押す。シェリーは困惑しきった顔で何度かアリスとクリスとを交互に見ていたものの、大人しく卓に着いた。

 注文が決まっただろうタイミングで二人に声を掛けると、クリスが手書きのメニュー表を指差した。



「アップルジュースとアイスティー、紅茶のシフォンケーキとサンドウィッチ……それと、このクッキーって持ち帰りはできるか?」



「あ、大丈夫ですよ!」



「じゃあ、お土産にクッキーを二つ。教会の用事が入って文化祭に来られなくなったサラシスター長と……あとテレネ先輩にも、な」



「……!」



 シェリーが息を呑んだ。

 彼女の動揺を察したが、アリスは気付かない振りをして話を続けた。



「母さん、来られないんですか……残念だなぁ。クリス先輩、ミリィちゃんが作ったクッキー、とっても美味しいので必ず二人に届けて下さいね!」



「ああ、任せろ!」



 アリスは一礼してその場を去ると、調理を担当するミリセントに注文を伝えた。クリスが来ていることを話すと、ミリセントは「私も後で挨拶して来ようっと」と微笑む。

 しかし話しながらも彼女の手は一切止まることなく、その様は一端の職人のようだ。普段のおっとりしたミリセントからは想像し難い素早い動きは、ただただ圧巻だった。


 シェリー達の卓を窺うと、二人の間には穏やかな空気が流れ、微かな笑い声も聞こえた。

 ミリセントが調理をしている間、アリスは優しい時間にしばし浸った。






「元気だったか?」



「……ええ。卒業式ではすみませんでした。顔も出さずに」



「あれは仕方ないだろ。お前の一存で何とかなるような話でもないしな。アタシの方こそ、手紙くれてありがとな」



 シェリーはゆるゆると首を振る。

 むしろ、あれ程世話になったクリスに対してあんな紙切れ一枚で済ませてしまい、事情が事情とは言え忸怩たる思いだった。



「お前、一度アリスのいる孤児院に来たんだろ? アタシ、今そこに勤めてるんだ。お前達が来た日は偶々休みを貰っててさ」



「そう、なんですか……何故、孤児院に勤めようと?」



「本当は教職とも悩んだんだ。……でも、あそこの雰囲気っていうのかな。良いなって思ってさ。あの孤児院のシスター達と一緒に、子供達に寄り添いたいって思ったんだよ」



 クリスの笑顔は学生の頃と何ら変わっていないが、纏う空気に以前にはなかった大人びたものを感じた。



「――クリス先輩らしくて良いと思います。……似合ってますよ、そのシスター服も併せて」



「だろ?」



 服の裾を摘まんだクリスが得意気な表情を浮かべるのに、シェリーは懐かしさを覚えた。彼女が卒業してまだ一年と経っていないのに、既に遠い昔のように感じる。


 過去に想いを馳せていると、シェリーの目の前にアイスティーが置かれた。顔を上げた先で、アリスが「ごゆっくりどうぞ!」と破顔する。

 クリスが「ありがとな!」と応えると、アリスはあっさりと離れて行った。



「おっ、美味しそ~。凄いじゃん、これも全部手作り?」



「ミリセントが……」



「へぇ! なら、後で感想を伝えないとだな! ほらほら、お前も食べろ!」



 早速サンドウィッチにかぶり付いたクリスは、紅茶のシフォンケーキをシェリーの前に押し出した。

 言い出したら聞かない先輩なのは重々承知なので、シェリーは苦笑するとシフォンケーキにフォークを差し入れた。

 一口大に切り取ったそれに別添えの生クリームをたっぷりと付けて頬張ると、口内に広がる紅茶の風味と優しい甘さに目を瞬かせる。



「美味いな」



 クリスの言葉にしっかりと頷き、シェリーは黙々とシフォンケーキの攻略に掛かる。

 クリスはその様子に目を細めると、慈しみに満ちた声音で言った。




「――良かったな、シェリー」




 ――『良かったな』。

 それはアリスと出会ったことか、こうして普通科の生徒達に受け入れられていることか。



「……はい」



 シェリーはフォークを皿の上に置き、クリスと目線を合わせるとはにかんだ。

 クリスは笑みを深め、そして困ったように眉を下げる。



「お前さ、口の周りに生クリームが付いてるんだよなぁ……」











「じゃあな、二人共! アリスはまた長期休暇の時にな!」



 クッキーの包みを二つ抱えたクリスは、来た時同様に女子生徒の黄色い声に包まれながら颯爽と帰って行った。


 時刻は十二時丁度。

 昼休憩を挟んだ後は他寮の出し物や部活動の有志発表を、自由に、心行くまで楽しむことができる。

 しかしアリスとシェリーは自寮の手伝いがあるため、一度教室に戻って来なければならない。


 シェリーに声を掛けようと振り向くと、彼女は兎耳を外そうとしてレイチェルに止められている所だった。



「シェリーちゃん。クリス先輩とたくさん話せて良かったね」



「――うん、そうだな」



「また孤児院うちにおいでよ。クリス先輩にもテレネさんにも、いつでも会いに来てね」



「……ありがとう」



 二人の間に流れた穏やかな空気は、レイチェルとミリセントの「シェリー、アリスの家に行ったことがあるの? 何それ、聞いてないわよ。どういう経緯?」、「私も気になるなぁ。アリスちゃんのお家、どういう感じなの?」という矢継ぎ早な質問によって、一瞬の内に破られることになった。






 昼休憩が終わると、これから部活動の用事があるというレイチェル、ミリセントと別れた。

 自クラスの手伝いが控えているアリスとシェリーは、時間が許す限り他寮の出し物を見て回ることにした。


 今年はプラネタリウムを行っているガーネット寮のカーミラ・シルヴィの所へ顔を出したり、占星術愛好会の出し物である『占いの館』のケイト・インフレイムに占ってもらった。

 そして時間になると、クラスの手伝いのために一度教室に戻る。手伝いとはいってもほんの一時間程なので、あっという間だった。


 その後は、再度出し物巡りに繰り出した。

 レイチェル達新聞部はどうやらこの文化祭の写真を撮ったり記事にするために動き回っているようで、ネタ集めに余念がないようだ。

 途中レイチェルと彼女の相棒でクラスメイトのコニーと擦れ違ったが、二人は真剣な表情で各寮の出し物が事細かに書かれた校内地図を片手に、早足で廊下を突き進んでいた。

 そんな二人の背中を見送り、アリスとシェリーはミリセント達ガーデニング部が活動している温室へと向かう。




 ガラス張りのそこは、足を踏み入れると同時に生暖かい空気に包まれた。

 薬草学で用いる触媒だけではなく、ガーデニング部が世話をしている花々が温室を鮮やかに彩っていて、それを目当てにやって来た女子生徒のグループが「綺麗~!」と盛り上がっている姿も見受けられた。


 温室の奥では以前職場体験の際に縁が出来た一年生、ルシアンをはじめとしたガーデニング部の生徒や、ガーデニング部の顧問でもあり副校長でもあるセージュ・スクードが、咲き誇る花や薬草を解説している。


 その中に、初等部の生徒達のグループに向けて花の説明をしているミリセントの姿を見付けた。

 アリス達の視線に気付いたミリセントが話しながらこちらに手を振ったので、アリスとシェリーも振り返した。



「……暑い位だな」



「ね」



 アリスは、衣装の襟を緩めてなけなしの風を入れようとするシェリーに同意した。

 水色のエプロンドレス一枚のアリスと違い、シェリーはシャツにジャケットにベストにと布の数が多い。暑く感じるのも当然だろう。



「少し見たら出よっか」



「ああ」



 温室内をぐるりと一周して花の美しさを堪能した二人は、途中ガーデニング部の生徒にお勧めされた薬草クッキーを購入し(余りの熱意に断り切れなかった)、温室を出る。

 外に出た途端冷たい風に打ち付けられ、二人は身体を小さく震わせると、慌てて校内へと戻った。

 ……ちなみにこの薬草クッキーだが、お味は「何とも健康に良さそうだった」とだけ伝えておく。






 そうして、今年の文化祭は去年の出来事が嘘のように、怖い位穏やかに締め括られた。

 閉会式の後、エメラルド寮生達は充足感に包まれつつも、自分達が使用した教室の後片付けを行う。

 何事も、後片付けにはどこか物寂しさを感じる。


 すっかりいつも通りの味気無い教室に戻ると、アリス、シェリー、レイチェル、ミリセントの四人は揃って自寮へ戻った。


 明日は通常通りの休日、翌日月曜日は文化祭の振替休日のため休みだ。


 一息吐くことなく大浴場に向かい、入浴後は談話室でのお喋りもなくそれぞれ自室に戻った。

 皆口には出さなかったが、日中の疲れもあったのだろう。


 自室の時計は二十一時を少し過ぎたばかりだったが、アリスは気にすることなくベッドに倒れ込んだ。

 モソモソと布団に潜りつつ、魔力を絶って部屋の灯りを落とす。最後に枕の位置を調整して、ようやく人心地着いた。

 アリスは深く呼吸すると、今日の出来事を振り返る。



(母さんが来られなかったのは残念だったけど、シェリーちゃんとクリス先輩が会えて良かったな)


(そう言えばクリス先輩、シェリーちゃんの件もあってテレネさんに良いイメージを持ってなかったみたいだったから、ちょっと心配だったけど……お土産を買って行ったってことは、何か話せたのかな?)


(……そうだと良いな。二人はこれからも一緒に孤児院で働いていくんだし、私にとっては家族でもあるんだから)



 アリスは欠伸を一つ溢すと、訪れる微睡みに身を委ねた。

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