第35話 タルトをぬすんだのはだれ?⑤
――同日、二十三時十五分。魔法警察省。
ジル・クランチェは続く睡眠不足に痛む頭を抱えながら、コーヒーの紙コップを片手に己がデスクのある部署を目指していた。
息抜きがてら少し離れた給湯室に足を伸ばしたのだが、止めておけば良かったと深く後悔する。何をするにも億劫で、真っ直ぐな廊下を歩き続けることさえ面倒だった。
ジルは数分前の自分を呪いつつ、足取り重く歩を進める。
やっとこさ部署に辿り着くと、余りの疲労感からその場で深く溜め息を吐いた。
ジルのデスクがある一室は、部署の一番奥まった所にある。
本来ならば部下の刑事達が集うこの場に、魔法警察省の顔たるジルのデスクがあってはならないのだが……警察省の建物の最上階でふんぞり返っていた所で、見たいものは見えてこない。
苦言を呈する警視総監やら部下の反対を押し切ってここにデスクを構えた日は、幾ら年月が経とうとも未だに鮮明に思い出せる。
その一件は今では「ジル大臣ご乱心事件」として伝説の如く語り継がれているらしく、彼等は毎年入省する若き新人達に「新人歓迎会」などと称したドンチャン騒ぎの肴として多分に脚色を含め、面白可笑しくこの話をするらしい。時折入ったばかりの新人達にぎょっとした顔を向けられることを、ジルはそう解釈していた。
この部署には魔法犯罪捜査科一課と二課が籍を置いていて、彼等は『サーカス』関連の事件ではない、ごくごく一般的な事件を担当している。……まあ、事件に一般的も何もないのだが。
一課は皆帰宅したのか、既に明かりが落とされ静かなものだ。だが、続く二課からは数人の話し声とぼんやりとした明かりが洩れていた。
(こんな時間だというのに、まだ残っていたのか。先程までは誰もいなかったはずだが……)
自分のことを棚に上げ、ジルは誘蛾燈に誘われるが如く二課へと足を向けた。
二課には五人の刑事達が残っていた。
彼等はジルに気付くと、居住まいを正す。その中で、一番階級が上で歳嵩の男が口を開いた。
「大臣、まだお帰りになってなかったんですか?」
「君達こそ。外回りにでも行っていたのか?」
「まあ、そんなようなものですかねぇ……」
男が少し心許なくなった白髪混じりの短髪を、がりがりと掻き毟った。
この刑事とジルの付き合いは長い。男はノンキャリア組ではあるものの、年下ながら階級は自身より上であるジルを、きちんと立ててくれる人物の一人である。
大臣の座に収まる以前から「警察省に入れたのは家の威光だ」「コネだ」と陰口を叩かれていたことを知っていたジルは、そんな彼がとても印象に残っていた。
「少し前に、テラストで記者の変死体が出たんですよ。有ること無いこと書き立てる、とあるゴシップ誌の記者なんですがね」
「……なら、怨恨による殺人の線が強いんじゃないか?」
初っ端からのっぴきならない話に、ジルは近くの椅子に腰掛けた。
コーヒーを啜りながら聞く体勢に入ってしまった上司に男は疲れた様子で肩を落とすと、自身を取り囲む刑事達にも座るよう指示する。
円座になった面々を前に、男は再び口を開いた。
「そうだとしたら、余程の恨みがあったんでしょうな。仏さんの状態も酷いもんでして。身元確認に手間取ったんですよ。何てったってばらっばらだ。歌にもあったでしょう、『だらしのない男がいた 指を探してもどこにも見つからぬ 頭はゴロンとベッドの下に 手足はバラバラ部屋中に ちらかしっぱなし出しっぱなし』――まさにそんな有り様で」
男の語り口に当時の現場を思い出してしまったのか、一等若い刑事が「うっ……」と口元を押さえた。
男が「おっとこりゃ失礼」とおどけた調子で頭を下げると、本題に戻る。
「――とまあ、そういう訳でして。事件が起こったのは一ヶ月程前ですが、被害者の身元が分かったのはほんの先日の話なんですよ。それと、この被害者は事件当時にカメラを持っていたんですがね。こっちもしつこいまでに破壊され尽くしてまして」
「カメラまで壊したということは……被害者は犯人にとって見られては困るものを撮影してしまい、殺害された可能性もあるということか。怨恨の線だけではないということだな。カメラは復元できないのか?」
「そっくりそのまま元通り、というのは難しいそうです。ただ中身の、何て言うのか。あたしゃ学が無いもんで、ちょっと上手く言葉にならないんですが……魔力を溜めておく動力、被写体を写し出すための記憶装置とでも言うんでしょうか。その一部が運良く復元できたらしくて。……で、唯一現像できた写真がこれなんですが」
男は草臥れたジャケットの胸ポケットから、一枚の写真を取り出した。
デスクの上に乗せられたそれに、ジルは身を乗り出す。写真の全貌が目に入ると、彼は唇を震わせて固まった。
様子のおかしいジルに男が「大丈夫ですか、ジル大臣?」と尋ねるが、ジルの目は写真に向けられたまま微動だにしない。
写真には二人の男が写っていた。
――否、正確にはもう一人いる。
だがその人物は見切れており、黒いドレスの裾とピンヒールの一部しか写っていない。
隠し撮りなのだろう。明らかにピントがずれている。
偶然か、はたまた被害者である記者の存在に気付いたのか。男の片方は正面を向いていて、カメラ目線でこちらを指差している。
今は写真を見詰めるジルを指差しているその男は、もう一人の男の背中へと手を伸ばしていた。
そちらは横顔しか写っていないが、ジルは二人の男、そのどちらの顔にも見覚えがあった。
一人は『サーカス』メンバーにして、ヴァイスの右腕ミデン・レイク。
そしてもう一人、横顔の男――ジルは、この男の存在が理解出来なかった。
――何故。どうして、お前がそこにいる。
そんな感情で、ジルの狭い頭の中は一杯に満たされる。彼の中で、最早ミデン・レイクの存在は問題ではなくなっていた。
「何故だ、お前は死んだはずだ! ――リヒト!!」
椅子から立ち上がった拍子に、デスク上の紙コップを倒してしまう。置かれていた書類にコーヒーが染みていくが、そんな些細なことはジルの気にも留まらなかった。
ジルの思考は目まぐるしく回る。無意識にか、それは言葉として彼の口から発されていた。
「シャンに連絡を……いや、それよりも先にサラか? ――いや。サラに連絡を入れた所で、彼女一人では墓は掘り起こせまい。ロイ、ロイならば……そもそも連絡に応じてくれるかさえ不明か。ならば俺が行った方が――」
早口で捲し立てながら部署を出て行こうとするジルを、部下の男が追い掛けて引き留めた。
「こんな時間にどうするって言うんですか、ジル大臣。貴方が何をご存知なのかは解りませんが、少し冷静になって下さいよ」
「――そ、うだな。……すまない、動揺していた」
その言葉に一気に頭が冷えたジルは、溢したコーヒーの後始末をしてくれていた他の部下達に礼を伝え、元の席に座り直した。
「……朝になったら、テラスト魔法学校校長シャン・スタリア、ヨル=プラータ・ドミニシカ教会のシスター長、サラ・トンプソン、そして四大貴族のロイ・フォードに連絡を」
「――その、一見纏まりのなさそうな面子は一体どんなご関係で?」
部下の問いに、ジルは深々と息を吐いた。
――悪夢でも見ているのか。
夢ならば早く覚めてくれ。
「……学生時代の友人だ。その写真の、横顔の男もな。彼が俺の知っている人物であるならば……その男は七年も前に死んだはずだ」
「――リヒト・ウィンティーラ」と、ジルは囁くように口にする。
写真の中の横顔の男――リヒト・ウィンティーラは、何食わぬ顔でそこにいた。
第35話 タルトを盗んだのはだれ? 完
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