第38話 ゲームへのご招待③


「何で、アリスがここに……」



 魔法詠唱を中断し、リーは呆然と呟いた。

 その一瞬の隙を突き、クロムの操る数多の剣が麗を襲う。麗は全ての剣をバックステップで躱し、お返しとばかりに水属性の魔法を撃ち放った。

 疑問符が踊る思考を振り払い、麗は目の前の少年……確かシルヴェニティア魔法学院の交換留学生の一人だったか、に戻した。



「チッ、すばしっこい奴め……!」



「ここは良いわ、クロム・フォン・ゴード。アタシが道を拓くから、貴方達はその隙に地下の階段へ」



 シルヴェニティア魔法学院学院長のアレイスター・ヴィクトールが、己が生徒に早口で告げる。



「――さあ、アタシの声に応えなさい」



 アレイスターの眼前に巨大な魔法陣が出現する。大規模な陣に描かれた複雑な紋様から、それが召喚魔法であることが察せられた。

 陣は澄み渡る青色に光り輝いたかと思うと、瞬きをする間に辺り一面を鏡の如く透き通る氷の世界へと変えた。

 吹き荒ぶ雪霰に、鈴麗リンリーが負けじと属性魔法を展開した。鈴麗の炎は渦巻きながら、彼女と麗とを包み込む。


 荒々しい炎の帳の向こうで、アレイスターによって召喚された白く美しい女が歌声を響かせている。

 彼女の声は聞きようによっては竪琴の優しげな音色にも似ていたし、氷河がぶつかり合った際に奏でる悲愴な叫びにも似ていた。


 続く女の歌唱は雪を、氷を自由自在に操り、麗と鈴麗をこの場に縫い付ける。

 アレイスターが、二人を足止めをしようと目論んでいるのは明らかだった。


 氷の歌姫の歌が佳境に入った。彼女はたおやかに両手を広げると、更に声量を上げる。

 女の下半身は氷塊に覆われ、目視できるのは女性らしい曲線を描く上体のみだ。それはまるで造りかけの氷像のような見た目で、彼女は氷で出来ているのか、人のように体温があるのか、少しばかり気になった。


 そんな場違いなことを思案する麗の傍をクロムというらしいあの交換留学生と、魔法警察省の女性が部下を引き連れて駆け抜けて行く。



「――どうする、鈴麗」



「……ま、別に良いでしょ。地下に関しては、アタシ達に関係ないわ」



 鈴麗が一気に魔力を練り上げ、朗じた。



「『抗え竜よ、その咆哮を。燃やし尽くせ、汝もろとも』!」



 麗と鈴麗を覆っていた炎が形を変え、竜の姿へと変異する。

 竜は口蓋から炎を吐き洩らすと、アレイスターに襲い掛かった。竜を形作る炎が火花のように散って、螺旋の軌跡を残していく。


 炎の竜は、アレイスターと彼女が召喚した女の氷像ごと一呑みにした。

 冷えた空気が一気に温められたことによって小規模の爆発が起こり、多量の水蒸気が麗と鈴麗、アレイスターを襲う。


 室内はあっという間に真っ白な靄に満たされたが、警官の手によって出入り口の扉が開けられると、蒸気の流れに揺らぎが生じた。



「――鈴麗、後は頼んだ」



「解ったわ。気を付けて、麗」



「君も」



 二人は短いやり取りを終える。

 鈴麗が離れて行ったのを、乱れた靄の動きから悟った。慣れ親しんだ彼女の気配が、完全にこの場から去るのを待つ。



「……さよなら、鈴麗」



 麗は一人、周囲を取り巻く狭霧が晴れるのを待ちながら深い思考の海へと沈む。




 目を閉じると真っ先に甦るのは、龍ヶ伏村生まれ故郷で受けてきた非人道的な扱い。


 龍ヶ伏村には、時折龍神の寵愛を受けし子供が生まれることがある。

 人の身でありながら龍としての特徴を持つその子は、龍神の代わりとして村で大切に扱われる。


 龍神の特徴を持つ子供は、一つの胎に必ず一人だけ――古くからの慣習に基づけば、の話だが。

 だが、麗と鈴麗は双子として生まれてきてしまった。徒人である鈴麗と、龍神の恩寵を受けた麗。

 幼い頃の麗は龍と人との境界が曖昧で、突然前後不覚に陥っては龍神の力を暴走させていた。


 だからこそ、凶事の前触れという理由で蔑まれてきた日々。


 幼い麗は御堂の天井から吊るされた手枷に繋がれ、心ばかりの食事は鈴麗が手ずから口に運んでくれた。

 徒人であったにも拘わらず麗の双子の姉として生まれてしまったが故に、彼の世話係も兼ねて共に囚われた、可哀想な姉。

 鈴麗の華奢な左足首には、長年足枷を嵌められていた痕がくっきりと残っている。


 確かに、二人を気に掛けてくれた人物が全くいなかった訳ではない。

 人目を忍んでは、麗や鈴麗が退屈しないようにと時折玩具や本を差し入れてくれた村人もいた。

『ヒーロー少年V』シリーズは、彼等が与えてくれた優しさの一つだ。


 両手が使えない麗のために、鈴麗は読み聞かせをしてくれた。ルビが振っていない文字もあり、彼女にも読めない部分が多々あったが。

 だがそれでも。麗は鈴麗の思いやりが、村人達の気持ちが嬉しかった。それは本当だ。


 しかしそういった温情を与えられる度に、どこか理不尽さが募ったのも事実だ。

 麗も鈴麗も、偶々双子に生まれてしまっただけ。そんなもの、彼等二人にどうこうできるものではない。


 麗のはらわたに、煮え湯が如く沸き立つ怒りが蓄積されて行く。

 怒りは原動力になる。麗はそれをよく知っていた。




『そんなちっぽけな戒めなぞ、龍神貴方の力ならいとも簡単に破壊できるだろうに。何を遠慮しているのですか? 悔しいとは、憎いとは思わないのですか? 貴方と貴方の大事なお姉さんを閉じ込める、古き因習に囚われるこの村が、村人が。いっそのこと殺してやりたいとは、思わないのですか?』




 御堂の仕掛け扉から現れた、風変わりな服装の男。それがミデンだった。

 彼は侵入者とは思えない堂々とした足取りで座敷牢の前に立つと、そう宣った。唖然とする麗と鈴麗を置き去りに、ミデンの高説は続く。




『自由を奪われたなら、奪い返せば良い。やられたのなら、やり返せば良い。難しいことではありません。貴方には、貴方達には、その力がある。今使わずに、いつ使うのです。飼い殺される、か弱き蛇に成り下がりますか? ――龍神よ』




 ブツリと、麗の中で何かが切れた。

 その後は余り覚えていない。気付けば深雪に覆われた村の、図鑑でしか知らない曼珠沙華にも似た鮮やかで寂しい赤が咲き誇るその中心に、麗は立ち尽くしていた。



 麗達を嘲け嗤った村の子供。


 鈴麗に暴力を加えた老人。


 持ってきた食事を麗達の目の前でわざとひっくり返し、唾を吐き捨てた若い男。


 本を持ってきてくれた、優しい笑顔の青年。


「秘密だよ」と甘い饅頭をくれた、小太りな気の良い女性。


「大したものじゃないんだけど、寒くなってきたから」と、自身の子供が着なくなった服を二人に与えてくれた老婆と、無口ながらも世話を焼いてくれたその夫たる偏屈な老人。



 分け隔てなく、皆悉く死んでいた。

 これは全て、間違うことなく、麗がやったこと。

 その様を無感情に眺めていた鈴麗が一粒涙を流し、言った。



「行きましょう……後戻りはできないのよ」






「――そうだ。後戻りはできない」



 長い回想から覚めると、一面を覆っていた靄は幾らか薄くなっていた。

 麗は心を、頭を怒りで満たし、魔力を放出させる。彼の身体を龍の鱗が覆い、瞳孔が縦に裂けた。


 しかし、それだけでは終わらなかった。

 爪が鋭く伸び、額からは鹿にも似た黄みがかった枯木のような角が生えると、姿形も龍へと近付いていく。

 ここまで身体を変化させたことはない。麗にもこの後の自分がどうなるかは、分からなかった。


 別にそれでも良い。

 どうせ後には引けない。

 ならばもう、どうでも良い。



 ――ただ、アリスのことだけが心残りだった。


 彼女を連れて来ただろうシャンの、魔法警察省の意図が読めない。

 だが……いつかまた使われる日を夢見て、麗のズボンのポケットで眠る、アイスラリマーのネクタイピン。


 こんな姿の己を見ることなく、彼女には無事に学校に戻って欲しいと、『王麗』としての意識が薄れ行く中で……ぼんやりとそう願った。






 ――空気が変わった。


 アレイスターは素早く辺りを見回した。周囲は未だ、白い霧に薄らと覆われている。


 何か得体の知れないものが、いる。


 その時。アレイスターの耳に、ひゅっという風を切る音が届いた。

 咄嗟の判断だった。経験、年の功と言っても差し支えないだろう。

 慎ましやかな胸の前で交差させた両腕に、鋭い何かが食い込んだ。アレイスターが痛みを感じる間もなく、彼女の身体は教団の建物を突き破り、外へと押し出されていた。


 地面に叩き付けられ、そこでようやくアレイスターは、この無礼極まりない狼藉者の顔をその瞳に映した。

 


「これは、蛇……いえ、龍!? そんな、実在するの!?」



 とんでもない怪力で地面へと押さえ付けられながらも、アレイスターは呻いた。体内で、骨の軋む音が響く。


 元は少年だろう。恐らく『サーカス』メンバーの一人。しかし彼の見目は、人間と称するには如何ともし難い様相をしていた。

 敢えて言葉で表現しようとするならば「成りかけ」だろうか。それが「龍の成りかけ」なのか「人の成りかけ」なのかは、アレイスターの知ったことではない。


 龍とも人とも付かない少年は、おおよそ人には出せぬであろう大音声で雄叫びを上げた。

 それは天にまで轟くと、大地をも震わせる。腹に響くそれに、アレイスターは顔を歪めた。


 ノースコートリア王国屈指の魔法士として、またシルヴェニティア魔法学院の学院長として名を馳せるアレイスター・ヴィクトール。

 その彼女を組み伏せるこの龍のような見た目の少年に、警察官達は見るからに恐れ、戦いていた。


 ――不味い。


 アレイスターは瞬時にそう判断すると、馬乗りになる少年目掛けて足を振り上げた。

 まさか獲物に反撃されるとは思っていなかったのか、彼女の渾身の一撃はものの見事に少年の鳩尾へと命中する。

 彼が怯んで距離を取った隙に、アレイスターは腰が引けている警察官達を叱咤した。



「怯むな、情けない! 学生ですら戦っているというのにその体たらく、恥を知りなさい! 大の大人が恥ずかしいとは思わないの!?」



 実年齢は兎も角、見た目は初等部程度の少女に説教され、及び腰だった警官達の顔が引き締まった。

 彼等は己が実力を弁え、お互い連携の姿勢を取る。そんな警官達の姿を認め、アレイスターは荒れ狂う龍へと意識を向けた。



 彼女の視線のその先で、少年は人外染みた動きで立ち上がる。

 彼が常人には理解し得ない言語で何事か詠唱すると、天候が瞬く間に崩れ、雷が生じた。

 仲間を慮る理性は幾らか残っているのか、雲行きは怪しいものの雨の気配はまだない。


 少年が一歩前進する。


 そしてまた一歩、また一歩と、歩みは徐々に速さを増して行く。

 アレイスター、以下警官達は身構えると、眠りから覚めた龍を迎え打った。

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