第38話 ゲームへのご招待②


 十二月十五日当日朝、八時五十分。


『光の御子教』の本拠地は静寂に包まれていた。

 テラストの中心部ならばこの時間にも通勤する者の往来があるのだが、ここは郊外に位置するためかひたすらに静まり返っていた。



 剣や杖といった魔法具で武装する警察官が取り囲む様は、平日の朝とは思えない重々しい雰囲気がある。

 アリス達は協力要請のあった二国間の指折りの魔法士達と共に、計画実行の時を待つ。

 制服姿のアリスやシェリー、クロムは悪目立ちするのか、彼等はアリス達を目にすると一様にぎょっとした顔をした。


 いいや、彼等が驚いているのはそれだけではない。シェリーの圧倒的な存在感も理由の一つだろう。

 正直、アリスとて隣にいるだけで結構ものがある。


 現在、シェリーは全ての魔力制御の魔法具を外している。彼女の細い首を戒めていた、飾り気のない武骨なチョーカーもそこにはない。

 それ自体は大変喜ばしいのだが、シェリーの魔力の全貌はアリスの想像以上だった。

 シェリーが味方で良かったと、本当に心から思う。額を伝う冷や汗もそのままに、神に感謝を捧げた。無論神は神でも、間違っても『光の御子』ではない。



 捜査に協力している有志の魔法士達は、見た目も年齢もまちまちだ。アリス達を除き、次に若そうなのはローブを纏った二十代後半位の女性で、最年長は七十台半ば位の、たっぷりとした白髭を持つ老人だろうか。

 ――いや。シルヴェニティア魔法学院学院長アレイスター・ヴィクトールや、アリスも良く知る所のシューゲルのように、年齢を偽っている場合も有り得る。見掛けで判断するのは尚早だろう。


 シェリーは物思いに沈んだ顔をしていて、話し掛けられるような雰囲気ではない。

 シャンやジストも近くにはいるが……二人は教団の建物を険しい顔で睨み付けていて、下手なことは言えそうになかった。


 アリスは何故ここに一教師であるジストがいるのか、不思議でならなかった。『光の御子教』そして『サーカス』は、彼のどこにどう関わってくるのだろう。

 アリスは一番場違いだろう自分の存在を棚に上げて、首を捻った。

 すると目に見えて緊張感を漂わせているクロムが、気を紛らわせるためかアリスに話を振った。



「……シェリーは、何でお前をこの場に呼んだんだ?」



「分かんない。私も知らないの」



「『分かんない』って、自分のことだろ。聞かなかったのか?」



「詳しくは話せないって」



「シェリーもシェリーだが……のこのこついて来るお前もお前だな」



「良いの。シェリーちゃんがそうまで言うってことは、それだけの理由があるってことだろうから」



 呆れた口調で肩を竦めるクロムに、アリスは頬を膨らませて言い返した。

 すると近くの警察官が携える連絡用の魔法水晶が、『突入、三分前』と告げるのを捉える。


 声の主はこの合同捜査の総指揮を執る、ノースコートリアの警視総監だ。

 彼が建物外部の指揮を執り、ヨル=ウェルマルクの魔法警察省大臣たるジル・クランチェは、突入部隊の指揮を執る。

 ジルは大臣らしくふんぞり返っていても良いと思うのだが、彼は「上が動かなければ下は動かない」を地で行くタイプなのだろう。本当に真面目だ。



 クロムが口を閉ざしたため、アリスも教団の建物へ視線を向ける。


 白いそれは四角い箱のようだ。


 中にケーキでも入っているなら、万々歳なのだが。人々を思わず笑顔にさせるような、そんな素敵なものは十中八九入っていないだろう。



『――突入一分前』



 警察官達の間にひりつくような緊迫感が走る。

 場の空気が変わったのを、肌で感じた。



『――突入、三十秒前』




「……アリス」




 張り詰めた無音の世界に、己の心臓の音が響いてしまっているのではないかと固唾も呑めずにいたアリスの名を、落ち着いた、少女にしてはやや低い声が囁く。

 渇いた口内からは一音も出せず、アリスは引き結んだ唇をそのままに、目線を上へと持ち上げる。

 すると、真っ直ぐにこちらを見下ろす紅玉と目が合った。



「オレの傍を離れるな――何があっても守る。約束する」



 静かだが力強さを感じるそれに、アリスは肯定の意を込めて青の瞳を瞬かせた。

 それを認めてシェリーは薄く微笑み、視線を戻す。アリスも彼女に倣い前を向いた。



『――突入、十秒前』



 誰かのごくりと息を呑む音が、やけに大きく聞こえた。

 もしかすると、アリスの心臓の鼓動も周囲には丸聞こえだったのかもしれない。場違いにも、少しだけ羞恥心を覚えた。



『――五秒前』


『四』


『三』


『二』


『一』


『ゼ……』



 突如としてカウントが途切れ、熱風と共に悲鳴が上がる。何かの焼ける臭いがアリスの鼻に届くと同時に、連続的な爆発音が響いた。

 ジルの肉声で「構うな! 総員突入!!」と、切羽詰まった命令が下る。


 アリスは警察官達の波に押されるようにして、教団へと突入した。



「きゃ……!」



 足が縺れて転びそうになるのを、シェリーが腕を掴んで支えてくれた。



「気を付けろ。ここで転んだら、本当に踏み潰されるぞ」



「う、うん。ありがとね、シェリーちゃん」



 前方から「ぎゃああ!」と身の毛もよだつ絶叫が上がる。


 建物の入り口に、黒髪の青年が立っていた。彼は面倒臭そうな顔を隠しもせず、鳥の巣染みたボサボサの髪の毛を掻き乱す。



「チッ、烏合の衆が。幾ら束になって来ようと、弱い奴等が徒党を組んだ所で弱いままなんだよ」



 青年がそう言い終えるとほぼ同時。彼の眼前に三重の魔法陣が展開される。

 防御魔法を張る隙も与えられず、アリスの視界一面を炎の海が踊った。



「――全員、その場を動くな!」



 反射的にだろう。シェリーの鋭い指示に、その場にいた警察官達が従った。その様は、彼女の養父ジル・クランチェの姿を彷彿とさせる。

 間髪入れずに無詠唱で展開された強靭な防御魔法が、青年の炎を全て散らした。



「あー……シェリーか。分が悪いな」



「――そこを退け、ミハエル!」



 いつになく鬼気迫るシェリーが、言うが早いか属性魔法を行使する。

 それはミハエルと呼ばれた青年の影に作用すると、瞬く間の内に魔物の腕を形作った。闇を纏った腕はミハエルの片足を素早く掴み上げ、彼の身体を軽々と宙吊りにする。


 シェリーは悪態を吐くミハエルを完全に無視して、左手を振り払うような仕草を見せた。

 影はシェリーの動きに従って、ミハエルを放り投げる。その隙に、突入部隊の先頭が教団内部へと侵入した。


 アリスの視界の隅、別々の場所で炎が上がる。さらに別の場所では、太い茨の蔓が蛇のように身をくねらせていた。


 どうやら先程の青年、ミハエルとは別にもう一人火を操る人物がいるらしい。

 シェリーが外部を固めている警官達を気遣わしげに振り返ったが、思いを断ち切るように大きく首を振った。

 揺れ動く銀糸の軌跡を追っていると、アリスの足はいつの間にか教団へと踏み入っていた。



 立ち入ったそこは広く薄暗く、アリス達の足音が反響する。天井も高い。太い柱が何本も聳え立っている様は、神殿を思い起こさせた。

 しかし『光の御子教』や『サーカス』の恐ろしいイメージが先行してか、アリスは白く滑らかな見た目の石柱に人骨を重ねてしまう。

 自身の勝手な想像に小さく身震いするが、傍らのシェリーの存在のお陰で震えは直ぐに収まった。

 

 前方から、ジルの指示が飛ぶ。



「第一部隊は地下へ。第二部隊はこのまま一階を捜査。第三部隊、第四部隊は私と共に上階へ!」



 第一部隊に配属されているクロムとフレデリカとは、ここで別れることになる。

 アリス、シェリー、そしてジストが所属する第三部隊、ジルとシャンが籍を置く第四部隊が階段を目指して早足になった――その時。



「――『何人たりとも通さん。凍てつけ、我が眼前に平伏せよ』!」



 鈴のように可愛らしくも、刃の如き鋭さを持った詠唱がアリスの耳朶を打った。

 第二部隊に身を置くアレイスターの声だ。地下に向かう第一部隊共々、何者かに妨害されているらしい。

 それを目にしたジルが反転しようとしたが、フレデリカの「我々に構わず行って下さい!」という必死の叫びが許さなかった。


 一瞬悩ましげな表情を浮かべたジルではあったが、先行する第四部隊は歩みを再開させた。

 背後では大きな衝撃音が間隔を空けずに鳴り響き、魔法同士がぶつかり合う余波で、時折建物が揺れる。


 激しさを増す戦闘に、アリスは後ろ髪を引かれる思いで振り返った。階上からクロムとフレデリカを探すが、混戦していていまいち状況が掴めない。


 もっとよく見ようと目を凝らしたアリスの視界の隅を、鮮やかな青と赤が過る。


 数多の属性魔法が飛び交い、時にぶつかり合う。

 その轟音にすら掻き消すことのできない、怒号に悲鳴に絶叫。それらを彩るのは、味気のない土埃。


 そんな灰色の世界で、彼等は非現実的なまでの存在感を持ってそこにいた。




リー先輩、鈴麗リンリー先輩……!」




 この距離に加えて、周囲は戦闘の真っ只中だ。アリスの声が届くはずもない。

 だが麗はふと顔を上げたかと思うと、アリスの姿を認めて目を見開く。彼の唇が微かに動き「何で、」と言ったように見えた。


 しかしアリスは何を言う間もなく後ろの警察官達に押され、名残惜しくも階段を駆け上がった。

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