第16話 絶対内緒、秘密だよ④

 生徒達の一際大きな笑い声に、シャンとアレイスターが顔を上げた。

 二人から少し距離を取って談笑している生徒達は、学年も異なるのに和やかな雰囲気だ。



「子供は良いわね、平和で」



 皮肉気な口調だったが、そう洩らしたアレイスターの表情は優しい。



「必死に平和を享受しようとしているのよ。彼等の中には過去に『サーカス』の被害を受けた者、襲撃を間近で経験した者もいるわ」



「……そう。何時だって害を被るのは子供よね」



「アレイスター、ノースコートリアの目的は何」



 彼女達の間に沈黙が落ちる。二人はお互いに一切視線を逸らさなかった。

 一陣の冷たい風が吹き、乱れた白髪をアレイスターが指先でそっと払う。



「――夏頃、ノースコートリア国境付近で『サーカス』の襲撃があったわね?」



「ええ。リトスポース、ブランラクス、イストリアの街でね」



「今回の件、貴女達が思っている以上にノースコートリアは警戒しているわ。本来ならこの交換留学は、シルヴェニティアの生徒達を思えば中止すべきだった。実際、アタシもそう進言した。でもお上はそうは考えなかったのよ。もう解るわね?」



「元『サーカス』メンバーだったシェリー・クランチェの能力を見たかった……そうよね?」



「大正解。ノースコートリアは過去の『サーカス』の脅威を知らないのよ。だからこそ一つの基準として、シェリー・クランチェの実力を知りたかった」



「クロム・フォン・ゴードのあれは仕込みということ?」



 鋭く細められたシャンの燃えるような真紅の瞳にも物怖じせず、アレイスターがやれやれと首を振る。



「彼は無実よ。あの子は本当に彼女と戦いたかった、ただそれだけ。アタシも焦ったわ。まあ、こちらとしては結果オーライだったのだけれど」



「……呆れた。それで生徒にもしものことがあったら、どうするつもりだったの? ノースコートリアは」



「……ここだけの話よ」



 アレイスターがシャンに身を寄せ、小声になる。

 すると、微かな香の匂いがシャンの鼻を掠めた。


 嗅ぎ慣れない匂いだ。

 少なくとも西大陸の香によくあるような、甘くありがちな匂いではない。言うなれば東大陸の香に使われる、伽羅や白檀といった匂いだろうか。

 あちらでは着物に香を焚き染めたりもすると聞く。東大陸の文化に気触かぶれているアレイスターが、如何にもやりそうなことだ。



「シルヴェニティア側の生徒は、マリー・エリミール以外はヨル=ウェルマルク国籍の人間よ。幾ら本人達の志願とは言え、この選出に含みがないとは言い切れる?」



「――!」



「この両国の復交二百年記念を祝う交換留学、『サーカス』という脅威が復活したからこそ、国同士の結束を見せ付けるべきだと強く主張したのはノースコートリアよ。聞こえは良いけど、蓋を開ければその目的は別。例え『サーカス』絡みで交換留学生達の身に何かあったとしても、三人の内二人はこの国の人間。一人は自国民とは言え、その犠牲以上にこちらが得られるものは大きい。そしてその場合その尊い犠牲を盾に、貴方達ヨル=ウェルマルクの失態を責める腹詰もりだった。『貴国の犯罪組織が我が国民の生命を害した。復交を祝うためのものにも拘わらず、貴国の警備体制は杜撰極まりない』ってね」



「更にあわよくば、賠償金をせしめるつもりだった?」



「その通りよ」



「……この交換留学の話は、半ばノースコートリアの強行だったと聞いたわ。その上で今の話、元首のアーリオ・プティヒが黙ってないわよ」



「ノースコートリアは荒れているわ。国王が病でお倒れになられてから、王子達は王位継承権を巡る争いの真っ只中。今回の件もその一つよ。……もういっそのこと『サーカス』にでも、アーリオ・プティヒにでも攻め入られて、何もかもまっさらになれば良いのよ。子供を政治の道具に使うような国なんて、もう後がないもの。王の系譜なんて滅んでしまえば良い」



「……シルヴェニティア魔法学院はどうなるの」



「まだ国としては機能しているから、大丈夫よ。数日でどうにかなるような話じゃないわ。でも状況によってはアタシも学院も、身の振り方を考えないといけないわね」



 シャンから離れると、アレイスターは自校の生徒達に声を掛けた。

 話はこれで終わりという合図だろう。アレイスターの立場では、そうそう滅多なことは話せまい。むしろ、かなり踏み込んだ所まで教えてくれた方だ。


 生徒達に歩み寄りながらアレイスターが虚空より箒を出現させ、横座りになった。

 学院長に倣い、シルヴェニティア魔法学院の生徒達も各々箒に跨がる。



「それでは失礼します」



 アレイスターはぺこりと頭を下げると、一気に上空へ飛び上がった。



 クロム達生徒もそれに続く。

 巻き上がった砂埃に、アリスは腕で顔を覆った。

 空を仰ぎ見ると、彼等の姿は既に豆粒程に小さくなっていた。

 呆気ないまでの別れに呆然としながらも、アリスはシルヴェニティア魔法学院の生徒達の後ろ姿に別れの言葉を送る。



(……またね、クロム君)



 こうして賑やかな来訪者達は己が居場所へと帰って行き、テラスト魔法学校には再び平穏な日々が訪れようとしていた。











 クロム達を見送った後、アリスは図書室に行くというコニー、エミル達と別れ、エメラルド寮へと戻る。

 確かミリセントは部活があり、レイチェルは職員室に用事があると言っていたか。

 記憶を手繰り寄せながら談話室へと足を踏み入れ、人気のないそこを通り過ぎようとした。




「――アリス」




 しかし突然背後から声を掛けられ、アリスは飛び上がりそうになった。

 全力疾走したように心臓がバクバクと脈打っている。


 後ろを振り向くと、ひっそりとリーが立っていた。

 彼が立っている場所はアリスから丁度死角になる位置だったため、気付かなかったらしい。



「――麗先輩。鈴麗リンリー先輩が一緒じゃないの、珍しいですね」



「そんなに何時も一緒にいる訳じゃないよ」



 苦笑する麗にアリスは内心で「いえいえ、大抵いつも一緒ですよ」と突っ込むが、賢く口には出さない。麗相手だ。己の心証が悪くなるような発言は避けたい。



「その鈴麗なんだけど……アリス、今日これから空いてるかな?」



「特に用事はないですけど、どうかしたんですか?」



「鈴麗と校内アルバイトに参加する予定だったんだけど、急に委員会が入ったとかで出られなくなっちゃって。アリスさえ良ければ、一緒にどうかなって思ったんだ」



 鈴麗が何の委員会に所属していたのか思い出せず少々疑問には思ったものの、麗と二人でアルバイトなんて願ってもない。アリスは二つ返事で了承した。

 アルバイトの内容は学校周辺の草むしりだった。過去にも一度やっているし、これと言って問題はないだろう。アルバイトは十五時からだそうで、あと三十分程しかない。


 アリスは汚れても良いように体操着に着替えて来ると伝え、駆け足になる。

 擦れ違った麗から、あの匂い袋と同じ香りがした。麗本人の匂いと混ざってか、脳が痺れる程に甘い匂いだ。鼻腔から入り身体の芯までに届きそうなそれは、アリスを恍惚な気分にさせた。



 いつの間にかアリスの足は止まっていて、目の前には麗が立っていた。中性的な顏が、アリスの目線に合わせられる。

 最早吐息が掛かってしまいそうな程の近さだ。麗の薄い唇がゆっくりと開き、アリスはその唇から言葉が紡がれるのを待ちわびた。




「……もしかしたら、今後も鈴麗の代わりとして校内アルバイトに限らず、色々なことをお願いするかもしれない。その時は何もかも捨てて、僕のことを優先してくれるよね?」



「……はい、麗先輩のお願いなら」



「そっか、ありがとう。でも、もしもそれができない、不可能な状況に陥った時は、僕があげた匂い袋の匂いを嗅ぐといい。必ず君の助けになるよ」



「はい」



「それと僕との関わりや、その匂い袋について言及された場合は、僕の不利になることは一切口にせず、僕がお願いしたことを最優先に行動して欲しい」



「分かりました」



「以上だ。




 まるで夢現のようだ。

 アリスの口が勝手に動き、麗と会話している。腹話術に使われる人形とは、こういう気持ちなのだろうか。

 ぼんやりとした意識の中では、麗が何を言っているのかも理解できない。何時もの麗ならば言わないような、理不尽なことを言われているのは解るのだが、それが正しく言葉として頭に入ってこない。

 言われるがままに頷くアリスの姿を認め、麗は美しく微笑むと、彼女の耳元で指を鳴らした。











「……あれ?」



「――大丈夫、アリス? 具合が悪いなら断ってくれて良いからね?」



「いっ、いえいえ! ちょっとぼーっとしちゃっただけです。じゃあ着替えて来るので、少し待ってて下さい!」



 バタバタと慌ただしく女子寮へ駆けて行くアリスの背中を、麗が無感動に見詰める。




「……種は蒔いた。後は芽吹くだけだ。上手くやれ、鈴麗」




 冷徹な麗の声が、咎める者のない談話室に響く。

 麗は胸元のネクタイピンにそっと触れた。アイスラリマーの、硬く冷たい感触が指先に伝わる。

 アリスから貰ったそれは最早着けるのが習慣化してしまい、こんな小さな重みでもないと落ち着かなくなってしまった。




 ――そしてこんな小さな重みが麗の心の柔い部分を、ずっと苛んでいる。






 第16話 絶対内緒、秘密だよ 完

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