第17話 あっという間に飲みほして②
善は急げとばかりに翌日の放課後、アリスはシェリーの所へと向かった。
理由を話し謝ると、シェリーの方が申し訳なさそうにするので、結局二人で謝り合戦のようになってしまった。
体調にもこれといった問題はないためシェリーと少し話をしようと思っていたのだが、「オレのことは良いから、早く休め。温かくして寝るんだぞ」と、まるで母親のようなことを言いわれて追い返されてしまった。
本人より周りの人々の方が、余程アリスの身体を労ってくれる。
アリスは寄り道せずに、真っ直ぐエメラルド寮の自室へ戻った。
部屋に入った途端に何故だか強い疲労感に襲われ、着替える気力すら湧かない。
無精にも制服のままベッドに腰掛けると、瞼が重くなり船を漕ぎ始める。上体が揺れ、がくりと床に落ちそうになった。
アリスは耐えられない睡魔に白旗を振り、大人しくベッドに横になる。
制服が皺になってしまうが、後で寝押しでもして何とかしよう。
目を瞑ると他の感覚が明瞭になるのか、ブレザーの胸ポケットに入れてある匂い袋の、甘い匂いが鼻腔を擽る。優しいそれに、身体から力が抜けていくのが分かった。
横になって数分もしない内に、アリスは夢の世界へゆっくりと落ちて行った。
校長室の応接間で、ゲイン・フリージアは顰めっ面で高等部全一年生の資料の山を見詰めていた。
ゲインは夏頃に言い渡されたシャンからの指示により、シェリー・クランチェを軸として彼女に関わりのある生徒の、その経歴を洗い出していた。アメジスト寮の全生徒を始めとして、彼女の友人、果てには『サーカス』に恨みを持つ生徒まで。
しかし彼等、彼女等の経歴に間違いはなく、状況は白紙に戻ってしまった。
結局ローラー作戦に移ることにするも、一年生だけで百人以上、二年生や三年生も含めれば三百人以上だ。更にはこれに学校関係者までプラスされる。
一つ一つ、記された経歴が正しいものか確めつつの作業になるため、天才と名高いゲインでもさすがに気が遠くなる。
……考えただけで頭痛がする。
ゲインは眉間を揉んだ。まだ若干十二歳だというのに、これでは眉間の皺が取れなくなってしまう。
「そっちはどう?」
執務机で書類を片付けるシャンがサインをする手を止め、ゲインに視軸を向けた。彼女も酷く疲れた顔をしている。
これはお互い、休憩を挟んだ方が良いかもしれない。
ゲインは立ち上がると、シャン特製魔法陣が描かれた鍋敷きの上にポットを置いた。
これは、魔法陣の上に対象物を置くことで温めることができる優れものだ。シャンは自身の持つ火属性を、このようにして生活にも取り入れている。
……というよりは、如何に楽するかを考えた結果と言った方が正しいか。
シャンは正直どうかと思うような魔法の使い方をすることもあるが、その恩恵に与ることの多いゲインは、下手な口出しをしないことにしている。シャンはゲインのことを「小言が多い」と文句を言うが、これでも結構妥協しているのだ。
つらつらと取り留めもないことを考えつつも、紅茶を淹れる手付きは手慣れたものだ。
きっちりかっちり時間を計って蒸らした紅茶を、シャンの傍にサーブした。近くに角砂糖入りの瓶も置いてやる。
当然のように紅茶を飲み始めたシャンは、一口目をストレートで飲むと、次に砂糖を二つ追加した。彼女のこういう所が、ゲインには好ましい。
ゲインも紅茶で口を湿らすと、後れ馳せながらシャンの問いに答える。
「正直、芳しくはないです。範囲が広すぎる」
「シェリー・クランチェの周辺は白だったのね?」
「はい。彼女の交友関係は広くありません。自罰的な態度故のことなので余り褒められたものでもありませんが、今回ばかりは助かったの一言です」
「そう」
「できれば、何か知恵を授けて頂きたいのですが」
「……そうよね。本来なら貴方、中等部にいるはずの年齢なのよね。何だか安心したわ」
「言ってる場合ですか」
ゲインも自分が柄にもないことを言っているのは分かっているので、照れ隠しについ憎まれ口を叩いてしまう。それが更に子供っぽさに拍車をかけているのだが、ゲインに自覚はない。
シャンがけらけらと笑った。
「他人の悪意に気付ける程、まだ大人じゃなかったってことよ」
「はい?」
「シェリーではなく、彼女の周辺の人物達の交友関係を調べてくれる? 例えばクリス・ベリル、後はエメラルド寮のアリス――」
アリス・ウィンティーラの名前を挙げようとしたシャンが、突然口を閉ざしたかと思うとみるみる内に厳しい顔付きになる。
「――ゲイン。アリス・ウィンティーラを中心に、エメラルド寮の全生徒を調べて」
「何故彼女を? 確かにシェリー・クランチェとも仲が良いですが……」
「彼女は夏にあったヴェルフェクス周辺地域に於ける『サーカス』襲撃の際、メンバーの一人に接触されているわ。迂闊だった。報復が目的なら対象を直接狙うよりも、周りの人間を狙った方が効果的だわ」
「それはどういう……?」
「解らない? 嫌がらせにはもってこいってことよ」
その一言で全てを理解したゲインは、学年ごとに纏めていた資料の山を寮ごとに仕分け始める。
暗礁に乗り上げていた調査に進展があり、ゲインは気を引き締め直す。
そんな彼の仕事振りを横目に、シャンは一人目を伏せた。
(杞憂であればそれで良い。でも……)
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