第17話 あっという間に飲みほして③

 アリスは校内を歩いていた。


 正面玄関を出ると、迷いのない足取りで東側の温室へと向かう。

 いとも簡単に辿り着いた温室は高さのある長方形で、全面硝子張りだ。室内は誰もいないのか、真っ暗でひっそりとしている。


 この時点で、アリスはこれが夢であることに気付いた。何故ならば、こんなにすんなり目的地に辿り着く等、普段のアリスには到底無理な話だからだ。


 アリスは温室の入り口を素通りし、その側にある魔法水晶をじっと見詰める。


 何だか不思議な感覚だ。まるで自分自身を俯瞰的に見ているような。


 しつこい程に眺めていた魔法水晶から、夢の中のアリスはようやく視線を外した。

 一体何が目的なのか。夢とは謂えども己のことだというのに、全く見当も付かない。


 その時、遠くから微かに声が聞こえた。

 外の部活の生徒だろうか。アリスは逃げるように背を向け、その足で北側の惑わしの森がある方向へと向かった。






 惑わしの森での目的も、どうやら魔法水晶のようだった。

 アリスは森の入り口にある淡く青い神秘的な光を放つそれを、ただ無感動に見続けている。

 矢張執拗なまでに魔法水晶を観察した後、アリスは西側へと足を向けた。西側にあるのは演習場だ。

 そう、演習場にも魔法水晶が設置されているのだ。




 演習場に置かれている魔法水晶の場所を知らなかったため、ぐるぐると探し回って時間が掛かってしまった。

 結局水晶は建物の外ではなく、建物の内部にあった。


 そしてここまで来れば、さすがのアリスにも意図が読めてきた。最後は南側、正面玄関だ。

 何故最初に正面玄関の魔法水晶を確認しないのか、アリスはずっと疑問に思っていたのだが、実際に目の前にすると合点がいった。

 正面玄関の魔法水晶は、玄関を出て直ぐ真横にある。そこに長時間何もせずただ突っ立っていれば、人通りが多い時間帯では悪目立ちするのだ。

 しかし陽が沈むのが早くなった十月半ばの今ならば、薄暗闇に紛れて目立たず行動できる。

 夢の中とはいえ、同じアリスとは思えない計画性に脱帽した。



 全ての魔法水晶の場所を確認し終えたアリスは、ゆっくりとした足取りでエメラルド寮へ戻って行く。

 談話室には幾人かの生徒の姿があったが、彼等の声は全く聞き取ることができなかった。

 夢だからかと納得して真っ直ぐ自室へ戻ると、制服のままベッドで横になった。

 目を閉じると、意識がゆっくりと暗闇の中に沈んで行く。


 夢の中なのに眠れるんだと、アリスはそんなどうでも良い部分に感心した。











 目を覚ますと、時刻は二十一時を過ぎていた。

 夕食を食べ損ねてしまった。この時間では食堂はおろか、購買部も閉まっている。


 どうせ寝るだけだ。一食位どうということはないだろう。

 アリスは溜め息を吐きつつ、入浴の準備をする。正直風呂に入らずに二度寝をしたい位だが、年頃の乙女としては気になる。

 アリスは多少皺が寄った制服をハンガーに掛けて適当な部屋着に着替えると、入浴セットを小脇に抱え自室を後にした。




 暗い部屋の床に紅葉した葉が一枚、落ちていた。











 翌日の放課後。

 偶々一人で談話室にいた所、リーに声を掛けられた。



「アリス、この校内アルバイトの条件が結構良いんだけど、一緒にどうかな?」



「ぜひ! って、あ」



 友人達に休めと言われたばかりだ。

 麗と一緒に過ごせる時間は捨て難い……だが矢張、友人達との約束は守るべきだろう。

 アリスは断腸の思いで、アルバイトの誘いを断ることにした。



「……すみません、麗先輩。最近働き過ぎだって怒られちゃって。今回は見送らせて頂いても良いですか?」



「そうなんだ……分かった、大丈夫だから気にしないで」



「ありがとうございます。良かったら、また声を掛けてくださ――」



 アリスが言葉を言い切らない内に、パチンと麗が指を鳴らした。

 それを合図に、アリスの目から光が失われる。どこか焦点の合わないそれは、人形のようだ。



「君の行動を不審に思っているのは誰?」



「……レイちゃんとミリィちゃんと、シェリーちゃん」



「そう。そろそろ文化祭の準備が始まるから問題はないと思うけれど、それを理由にシェリー・クランチェと会う頻度を減らすんだ。そして校内アルバイトは、僕からの指示があったものだけ参加するように」



「はい……」



「あと、魔法水晶が置いてある全ての場所に赴き、人通りのない時間帯を調べて欲しい。なるべく早目にね ――『お願いね、アリス』」



「はい」



 麗が再度指を鳴らすと、アリスの目に徐々に光が戻る。



「あれ……? すみません麗先輩、何の話でしたっけ……?」



「良い条件の校内アルバイトがあるって話だったんだけど、本当に働き過ぎかもしれないね。部屋で休んだ方が良い」



「校内アルバイトの話……そう、でしたっけ……? 確かにちょっと頭がぼんやりするので、部屋で休みますね。すみません、失礼します」



「うん、お大事に」



 ふらふらとした足取りで女子寮へ戻るアリスに一瞥をくれると、麗は鈴麗リンリーのいるガーネット寮へ向かう。

 長かったこの計画も最終段階に入った。後は最後の仕上げをするだけだ。




 本当に長かった。――それもようやく終わる。











「アリスちゃん、前程アルバイトやってる訳じゃないのに、何だか疲れた顔してない?」



「はぇ?」



 アメジスト寮寮長ジスト・ランジュの魔法基礎学を終えて三人で昼食を取っていると、ミリセントが真剣な表情で言った。

 ぐったりと机に伏すアリスが頭だけを動かし、ミリセントを視界に入れる。

 レイチェルはアリスの様に眉を顰めながら、昼食が広げられた机上に視線を落とした。



「確かに、食欲もなさそうね。具合でも悪いの?」



 そこには脇に退かされたパンが一個と、紙パックのジュースのみが乗っていた。

 しかしそれらは昼休憩に入って十分以上が過ぎた今になっても、手付かずのままだ。



「具合が悪い訳じゃないんだけど、何だか毎日夢見が良くなくて。ちょっと疲れちゃって……」



「「夢?」」



 ミリセントとレイチェルの声が重なった。

 アリスは机の上から上体を起こすと、椅子の背凭れに寄り掛かる。



「ここ一週間位ずっと、温室の魔法水晶を眺めてる夢を見るの。しかも授業が終わって寮に戻ると、直ぐに居眠りしちゃうみたいでね。早い時間に寝ちゃうから、夜中変な時間に起きちゃって。二度寝はできるんだけど、でも朝起きると疲れが取れてないんだよね」



 実は一度、二度寝しようとしても全く寝付けないことがあった。

 悩んだ末に、藁にも縋る思いで麗の匂い袋の香りを嗅ぐと、それはあっという間にアリスを眠りの国へといざなった。

 香りの効果は絶大で、夜間一度も目覚めることなく、朝までぐっすりだった。


 そもそもあの匂い袋は、以前罰則を受ける際に御守り代わりとして貰ったものだ。よって、安眠効果がある訳ではないのだろう。

 しかし二度寝の前に麗の匂い袋の香りを楽しむのは、最早アリスのルーティンの一つになっていた。



「毎日同じ夢なの?」



「最近はね。先週は場所が違うだけで、一週間ずっと惑わしの森の魔法水晶を眺めてる夢だったよ」



「変な夢だねぇ。困ったことがあったら、色々相談に乗るからねぇ。十一月に入ったから、そろそろ文化祭の準備も忙しくなるよぉ。体調には気を付けないと」



「あー……そうだよね」



「出し物の内容はアタシ達の方で詰めておくから、アンタは自分の調子を整えることだけを考えなさいよ」



「小文化祭とはいえ、折角の学校行事だもんね。楽しまなっきゃ損だよぉ!」



「……うん、ありがとう。じゃあ、お願いしようかな。二人も、文化祭の準備で何かあったら言ってね」



 テラスト魔法学校高等部は三年に一回、外部の人間も招いて行われる大文化祭がある。

 反対に小文化祭は初等部、中等部を含むテラスト魔法学校の関係者のみで行われる文化祭だ。

 今年は小文化祭が行われ、大文化祭が行われるのは来年だ。できれば最終学年である三年生の時に思い出作りとして大文化祭をやりたかったが、こればかりは運であるため仕方がない。


 アリスは机の上のパンに手を伸ばす。

 それを認めたレイチェルとミリセントが安心した表情を浮かべたが、パンの包装を開けるのに気を取られていたアリスが気が付くことはなかった。

 もそもそとパンを咀嚼するアリスを横目に、レイチェルとミリセントが文化祭の出し物について話し合う。



「食べ物は駄目なんだっけ?」



「駄目って訳じゃないけど、衛生管理とかが色々面倒臭いらしいわ」



「そっかぁ。シフォンケーキとかクッキーとか、販売できたら良いなって思ったんだけどなぁ」



「食べ物以外だとキーホルダーとか、ハンカチに刺繍して売るとか、後はビーズのアクセサリーとかもあるわよね」



「そういえば、エミル君達は木を使った商品を作るって言ってたよぉ」



「エルフは得意だものね。手先も器用だし。いっそシェリーにも手伝ってもらおうかしら。でもアイツ、あんまり器用そうじゃないのよね」



 楽しげな二人の声が、右から左にアリスの耳を素通りして行く。

 アリスは口だけを必死に動かし、パサつくパンを何とか飲み込んでいく。パンの味も感じない。

 作業のようなそれは、苦痛でしかなかった。


 ……頭がぼんやりする。


 不透明な意識の中、友人達の声が、学校の喧騒が、やけに耳障りに感じた。



 ――何かを忘れている、ような。



 月明かりを映す銀糸とそこから覗く紅玉が、訴えるようにアリスを見詰めるのを、幻視した気がした。






 第17話 あっという間に飲みほして 完

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