第23話 ぼくのことなど顧みやすまい②


 氷の声は、アリス達の背後から響いた。

 恐る恐る後ろを振り返ってみると、どこもかしこも真っ黒の衣装に身を包んだ、アリス達と同い年位の見目をした少年が立っている。



 ガーネット寮高等部一年生の担当教師、フロスト・ホワイトリリー。



 彼の細い腕は、自身の担当教科である『魔法応用学』の教科書を抱えていた。フロストの授業は基本南棟でしか行われていないはずだが、何故東棟ここにいるのか。

 偶々通り掛かったにしても、何と間が悪いことだろう。


 フロストはサファイア寮寮長シューゲル・グランドウォール、アメジスト寮寮長ジスト・ランジュに次いで規則に厳しい教師でも有名だ。



「……これは君達が?」



 さっと辺りを見回したフロストが、右目だけを器用に細めて険しい口調で続けた。そうすると、彼の右目下にある二連の泣き黒子が更に印象を増す。


 彼の登場に言い争いを止めて固まっていたアノスとユリーシャだが、ようやく自分達の仕出かした惨状に気付いたのか一気に青褪めた。



「私の一存では、処罰の内容を決定できない。ここはシューゲル先生を――……」



「では、僕からシューゲル先生にお話しますよ。フロスト先生」



 教室からひょっこりと顔を覗かせたのは、この緊迫した状況に見合わない、穏やかな笑顔のマシューだった。

 そういえば、彼はまだ教室内にいたのだった。すっかり忘れていた。

 この騒ぎに気付かなかった、なんてことはあるまい。仲裁に入ってくれれば良かったものをと、マシューに対して少しばかり恨みがましい気持ちを抱く。



「近くにいて止められなかった僕にも、責任がありますから」



 マシューがにっこりと、しかしどこか有無を言わせない圧のある笑みを浮かべた。

 フロストとマシューが無言で睨み合う。飛び散る火花が見えるようだ。

 時間にすればほんの数秒、しかしアリスにとっては永遠にも思えた二人の教師の攻防は、フロストが先に目を逸らしたことで勝負が着いた。



「――君がそう言うなら、従う」



 フロストはそれだけ言い残すと、アリス達、そしてアノスとユリーシャの側を通り過ぎ、何事もなかったかのように立ち去った。

 フロストの気配が消えると、マシューが「はあぁあ~」と形容し難い呻きを漏らす。



「良かったですよぉ。監督不行き届きで、僕がシューゲル先生に怒られる所でした~」



 青い癖毛をガリガリ掻きながら苦笑したマシューは、アメジスト寮の二人に向き直った。



「さ、君達も寮に戻りなさい。フロスト先生にああ言った手前、罰則はやらないといけませんから、後日追って連絡しますね」



 マシューに諭されると、ユリーシャは目を吊り上げてアリスを一度睨み、素早く背を向けて走り去る。

 見る見る内に小さくなって行く同寮の少女の後ろ姿に呆然としていたアノスが、我に返ってアリスに素早く頭を下げた。



「ほっ、本当にすみません! ユリーシャも、いつもはああじゃないんですけど……あの、もしかして彼女が何かしましたか? 右頬が赤くなっているようですが」



 色々なことがありすぎて、頬を叩かれたこと等とっくの昔に忘れてしまっていた。

 アノスの言う通り多少は赤くなっているだろうが、小さな子供といるとこれ位のことはざらだ。特に気にする程でもないため、アリスが「気にしないで、大丈夫だよ」と手をひらひらと動かすと、アノスがほっと相好を崩し、ぺこりと一礼した。

 まだ中等部の三年生だというのに、やけに頭を下げ慣れているアノスに少し同情する。


 するとアノスが表情を物憂げなものへと変え、おどおどと言った。



「その、これは言い訳にしかならないのは分かっているのですが……クリス先輩の卒業も近付き、シェリー先輩はいつ学校に復帰できるのか一切不明で……千梨先輩も今後の進路のことでお忙しく、ボク達も環境の変化についていけてないんです。特に、ユリーシャは。彼女は先輩達をとても慕っていますから」



 確かに、アメジスト寮の彼等にとっても文化祭以降の変化は怒涛の出来事だっただろう。それでなくても、アメジスト寮は生徒数が少ない。

 こんな状態でのクリスの卒業は、かなり痛手だろう。彼女はそれだけ、アメジスト寮生にとっての精神的支柱なのだ。


 千梨やシェリーは、人を引っ張っていくタイプではない。アノスもユリーシャもそれを理解しているのか、不安定な気持ちになっているのだろう。

 彼等は能力の高さ故にアメジスト寮に籍を置いているが、他の生徒より実力が頭一つ抜きん出ているだけで、精神面は普通の子供と何ら変わらない。

 アリスはユリーシャやアノスの気持ちを慮り、深い寂寥感に襲われた。



 アノスは再度「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした」とアリスやレイチェル、ミリセントに深々と頭を下げると、小走りでその場を後にした。

 


「アリス、大丈夫?」



「ありがとう、レイちゃん。平気だよ。院の子供達の喧嘩に仲裁に入ると、基本こんな感じだから。それにユリーシャちゃんは女の子だから、そんなに強い力じゃなかったし」



「アリスちゃんって、時々パワフルだよねぇ……」



「さて、僕達もお昼にしましょうか。エドワード先生を通じて、罰則の件はご連絡しますね。はいはい、見物人の皆さんも! お昼にしましょう~」



 マシューが野次馬達を散らしながら、廊下を進む。

 彼の足元を飾る、日ノ輪国ひのわのくにでは便所サンダルと呼ばれるそれが、カランコロンと軽快な音を立てて去って行く。



「今更なんだけど……一年に二回も罰則って、アタシ達かなり不味くない?」



 レイチェルがぽつりと呟いた。

 同じことを思っていたアリスとミリセントが、それぞれ目を逸らす。

 しかしその視線の先にはアノスの土属性の魔法によってぼこぼこになった床と、ユリーシャの魔力によって焼き焦げた壁があり、彼女達の現実逃避を許さなかった。

 アリスはその惨状を見て、一言。



「これ、誰に直してもらえば良いかな……?」


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