第23話 ぼくのことなど顧みやすまい③
罰則の日にちは、今週の木曜日の放課後に決定した。
五時間目の授業を終え放課となったアリス達三人は、余り足を運ぶ機会のない三階の図書室へと向かう。
アリスに関しては、以前シルヴェニティア魔法学院から交換留学生として来ていたクロム、同寮のエミル、コニーと共に七不思議を確認するために立ち寄った以来だ。後は、星空愛好会で使う星座の本を借りに来た位か。
見えてきた図書室の扉の前に、誰かが立っていた。
その人物はアリス達の気配に気付き、顔を上げる。顎のラインで切り揃えられた、モーブ色の髪がさらりと揺れた。
白皙の麗人はアリスと目が合うと、花が綻ぶように笑みを浮かべる。うっすらと紅を引いたような血色の良い薄い唇を開くと、白い歯がちらりと覗いた。
「こんにちは。君達が本の整理を手伝ってくれるっていう、生徒さん達だね?」
少女めいた美しい容姿から飛び出たのは変声期をとうに終えた、甘く落ち着いた青年の声だ。
アリスは彼が話す度に、毎度頭が上手く情報処理できていないような感覚を覚える。
彼は司書見習いのウィスタリア・フューリ。愛称はウィズ。
ウィスタリアはアリス達より四つ歳上でテラスト魔法学校の卒業生であり、今は非常勤講師として図書室の司書をしている。この図書室の管理者はマシュー・スプライトであるため、行く行くは彼の後任ということになるのだろう。
初心者にも分かりやすい星座の本を探すため、ウィスタリアにはアリスも世話になった。
ウィスタリアは、高等部の男子生徒の間で『恋泥棒』という通り名で有名だ。
この見た目に騙された男子生徒の多くが下心込みで図書室に通い詰め、やっとの思いでウィスタリアと言葉を交わしその声の低さに驚くと同時に、彼が男性であることに気付いて恋に敗れる……というのが毎年お馴染みの光景、新入生の男子生徒が一度は通る道だ。
「一応、自己紹介をしておくね。僕はウィスタリア・フューリ。ウィズでもウィスタリアでも、好きに呼んでくれ」
完璧なスマイルを浮かべるウィスタリアに、彼と面識のあるアリス以外の面子がそれぞれ名乗り、会釈した。
「あの、マシュー先生は……?」
「ああ。君達が色々やらかした現場を修繕したのが、シューゲル先生だったろ? それでシューゲル先生の虫の居所が悪い時に、罰則内容の報告が遅れたらしくてね。今マシュー先生が職員室でちくちく言われてる最中だから、もう少し待っててくれるかな」
のほほんと笑うマシューの笑顔が、アリス達三人の脳裏を過る。
マシューは悪い人ではないのだが何と言うか鈍臭いというか、間が悪いというか、いつも貧乏くじを引いているイメージがある。
アリス達の間に微妙な空気が流れるが、それを払拭するようにバタバタと慌ただしい足音が近付いて来る。続いて聞こえたのは焦る少年の声と、駄々を捏ねるような幼い少女の愚図る声だ。
「ユリーシャ、急いで。集合時間は過ぎてるんだから」
「もう! アノス先輩だけ行けば良いのよ!」
「それじゃあ意味がないし、バレたらジスト先生にもっと怒られるよ? それでも良いの?」
「……」
洩れ聞こえる会話の内容から足音の主が丸分かりで、アリスは苦笑した。
アノスは随分とユリーシャに手を焼かされているらしい。どこか兄妹染みたやり取りが可愛らしかった。
「お待たせしてすみません!」
「……」
最終的に引き摺られるように渋々やって来たユリーシャは不満たらたらのぶすくれた顔で、ここまであからさまだといっそのこと清々しかった。
アノスが、真っ先にウィスタリアに頭を下げる。
いつか謝罪のプロにでもなってしまいそうだなと、アリスは年下の少年に抱くにはあんまりな感想を持った。
「気にしなくて良い。マシュー先生がまだ来ていないから」
ユリーシャはウィスタリアの声を耳にして、ぎょっと身体ごと仰け反っていた。
ウィスタリアとは初対面なのだろう。そういう大袈裟な反応になってしまうのも、良く理解できた。
「いや~、お待たせして申し訳ありません」
マシューが姿を見せたのは、アメジスト寮の二人が来てから十分程経った後だった。
マシューはいつも通りスラックスからシャツの裾を飛び出させ、だらしない格好だ。素足に便所サンダルのスタイルも相変わらずで、その独特のファッションセンスには最早脱帽ものだ。
高等部の教師達の度し難いファッションセンスは、一人一人上げていくと枚挙に遑がない。
「最終的に『毛量の多いその髪を切れ。貴様のそれが風紀を乱すんだ』と、シューゲル先生に鋏を持ち出されまして。逃げてきちゃいましたぁ~」
ほのぼのした口調の割に話の内容は殺伐としていて、アリス達の笑いが引き攣る。
そんな生徒達の様子を気にも留めず、マシューがパンツのポケットから鍵の束を取り出した。
その内の一つ。持ち手の形がお洒落な、少し錆びの浮いた金色の鍵を図書室の鍵穴に入れた。
ガシャンという音が廊下に大きく響いたかと思うと、マシューの手によって横開きの扉が開かれる。
途端に埃っぽいような、古い紙の匂いがアリスの鼻を擽る。余り嗅ぎ慣れない匂いだからか、それはやけに鼻腔に残った。
「今日君達に頼みたいのは、魔法書の整理です」
「魔法書って何ですか?」
「魔力が込められた古い本、とでも言いましょうかね。作者の想いが時を越え、熟成された魔力が本の内容を具現化してしまうことがあるんです。そういった、魔力が込められた本の一部を、テラストでも引き取っています。個人では中々、管理できるものではありませんから」
「へえ……そういうものがあるんですか。初めて知りました」
「具現化というのは、僕達が魔法を発動するのと同じようなものとイメージして下さればと思います。本に込められた魔力量によっては、こちらの命が脅かされることもある……でもできれば、焚書といった形は取らずに残して置きたいと僕は考えています。本はずっとずっと過去に生きていた人物の想いを、時が経った今でも鮮やかに教えてくれる。そんな彼等が魔力を込める程の想いならば、
アリスの問いやレイチェルの合いの手に律儀に答えていたマシューが、真剣な顔付きでそう締め括る。
魔法史学を教えるマシューらしい意見だ。
芯の強い視線を向けられ、アリス達は同意を込めて頷いた。
神妙な生徒達に満足気に微笑んだマシューが、「ありがとうございます」と優しい声音で言った。
「それでですね。今回君達にやってもらいたいのは、込められた魔力が比較的少ない、簡単に言うと想いが具現化したとしても害の少ない本を、落ち着かせて頂きたいんです」
「落ち着かせる、ですか?」
「雑に言ってしまえば『本が持つ魔力よりも更に大きい魔力で黙らせる』! そんな感じですかね~。もっと言うなら、正面からの殴り合いって所です」
「本と殴り合い……?」
アノスが、不安そうな顔をより一層曇らせる。
アリスは殴り合いに負けて、頭から本に齧られている自分の姿を思い浮かべた。
笑いごとではなく、本当にあり得そうで恐ろしい。アリスはぶるっと身体を震わせた。
緊張した様子の生徒達にマシューが「そんなに固くならずとも大丈夫ですよ」と笑い、今度こそ図書室へ足を踏み入れる。
「散々脅かしてしまいましたけど、そう怖いものではありませんよ。本来、本というのは僕達のちょっとした心の隙間に寄り添って、少しだけ力を与えてくれる優しいものですから」
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