追憶の欠片2 まだ小さな女の子だった頃⑨
廃材の撤去作業を使用人達に任せ、ジルは魔法警察省に蜻蛉返りしていた。
無駄に広い玄関ホールを早足で抜け、関係者以外立ち入り禁止の、独房がある通路へと入って行く。
目的地である独房前で足を止めると、シェリーがぼんやりとベッドに腰掛けていた。
どこか憑き物が落ちたようなその様子は生気が余り感じられず、更に人形味が増したように見える。
「シェリー・フォード」
「……ああ、アンタか。オレの処遇は決まったか?」
「いや、まだだ」
数日前に似たようなやり取りをしたような気がするなと頭の片隅で思いつつ、ジルは独房の前に看守用の木の椅子を引っ張って来て座った。
「じゃあ何だ」
「少し話がしたい。聞いてくれるか?」
「……好きにしろ」
「では『クランチェ家襲撃事件』の日、君達兄妹はヴェルフェクスの街にいたな? そして仲間と争ってまで、街を守った。……恐らく、シエル・フォードの持つ属性は光。そして彼は攻撃する手段を持たないか、持っていたとしても余り強くはない。むしろ回復魔法や、補助魔法が得意なのではないか?」
「――何が言いたい。だとしたら、どうだと言うんだ」
「君のその態度は、私の推測が正しいと証明したようなものだぞ。ならばあの日、シエル・フォードは倒れていた私の妻と子、リーリスとリデルを助けるために駆け寄ったんだな? ――ずっと疑問に思っていた。君から聞く『シエル・フォード』の印象が、どこか薄っぺらく、ちぐはぐに思えることに。彼は唯一の妹に対しても、残酷なまでに正義感が強いだけなのかと思っていたが、そうじゃない。シェリー、君は何を隠してる」
「………」
「フレデリカから聞いたんだが、君はヴァイスを捕らえるために、炎に向かって行ったそうだな。下手をすれば死んでいた。いや。どちらにせよ死ぬから、どうでも良かったか? 君が私を、魔法警察省を頼ったのは、後腐れなく死ねると思ったからだろう? 『サーカス』に対して苦い思いを抱える我々は、迷わず君を断罪すると、君はそう信じて疑わなかった」
図星なのか、シェリーがジルから目を逸らし、俯いた。垂れた髪に隠されて、その表情は見えなくなる。
「君は『奪う側の自分達が奪われる側に回ったとしても、それは因果応報だ』と言った。そしてこれはシエル・フォードの言葉だとも。そのような死生観を持っていた人物が、己の命を軽んじる行為について、言及しないはずがない」
「もう一度言うぞ、シェリー・フォード。君は何を隠してる」
もう隠し通せないと思ったか、シェリーは「はは、」と諦感を含んだ、乾いた笑い声を上げた。
思えば彼女が笑う所を見るのは、これが初めてだ。
「アンタが一番、シエルのことを理解しているな。オレや、ヴァイスなんかよりも」
「……『命は命で償えない。命の重さはイコールではないから。同じ重さの命なんて、存在しないんだ。死は償いじゃない。ただの自己満足だ。奪った命を本当に想うのであれば、生きて償うんだ。泣くな。どんな時も、前を向いて生きろ』」
詞を諳じるように朗々と話すシェリーに、生前の姿等碌に知らないはずのシエル・フォードが、重なって見えた。
「シエルが息を引き取る直前に、そう言った。自分がいなくなった後、オレがどういう行動を取るか分かっていたみたいに。本当はそんな約束、破ってしまおうと思ったんだ。……でも、まだ死ねない。生きなければならない、理由ができてしまった」
シェリーが悔しそうに口の端を歪める。
「その理由は?」と問い掛ける勇気は、ジルにはまだなかった。それを尋ねたが最後、シェリーは姿を消してしまうだろう。恐らく、彼女はそういうものだ。
「……もしもあの時、私がシエル・フォードを害さなければ、リーリスとリデルは助かっていたか?」
こんな時でさえも、自身の都合を優先させる自分が嫌になる。代わりに出て来た言葉がこれとは。本当に救えない。
しかし、零れた言葉は最早撤回できない。
「……いや。既にシエルが回復魔法を使うまでもなく、あの二人にはもう息がなかった。例えシエルが回復魔法を掛けたとしても、結果は変わらなかった」
「そうか……」
これが真実なのか、それともシェリーの優しい嘘なのかは、ジルには分からなかった。
どちらにせよ、ジルは現実を受け止め、前に進むしかない。生きているのだから。
「――以上が、シェリー・フォードと話をした上で、私が出した結論です」
シェリーの今後について話し合うために設けられた会議で、ジルは狼狽える面々を無視して、そう締め括った。
汗だくになった額を落ち着きなくハンカチで拭いながら、顔色の悪い魔法警察省大臣が口を挟む。
「『サーカス』メンバーは逃してしまったが、それでも頭目であるヴァイスを捕らえた君の功績は大きい。昇進の話も出ているというのに、それを……」
「そもそも、シェリー・フォードの協力がなければヴァイスを捕らえられませんでしたし、手錠を掛けたのは私の部下のフレデリカ・ロッソですが? 私は外で指揮していただけです」
「いや、それは、その……」
屁理屈を捏ねているのは自分が十分理解しているので、追撃はここまでにしておいた。
ぐるりと室内を見回し、目を合わせるように出席者の顔を一人一人見詰める。
視線が交わった者は、誰一人としていなかった。
「それではどうぞ、ご決断を」
シェリーについて話し合った会議から三日後、ジルは独房のあるフロアから程近い、簡易休憩所にいた。
ここは喫煙所ではないため、煙草は泣く泣く我慢する。
口寂しさを紛らわすため、販売機でコーヒーとココアを買った。
ジルはクッション部分がすっかりへたれた長椅子に腰掛け、ココアの方を「熱いぞ」と声を掛けて差し出した。
「……馬鹿だな、ジル・クランチェ。一体何を考えてるんだ」
席二つ分程離れた位置に座るシェリーが、飲み物を受け取りながらジルを罵った。
長椅子の端と端、これが今の二人の心の距離だ。
手渡されたココアに直ぐには口を付けず、シェリーは紙コップの中で揺れるそれをじっと眺めている。
「――オレ達は、お前の家族を奪ったんだぞ」
「だからだ」
ジルはコーヒーを口に含む。二人は視線を交わすことなく、ただ正面を見続けていた。
「私が選んだ道は、君にとって茨の道になる。数多の人間の悪意や偏見に晒され、君の心を甚振るはずだ。それは厳しく、何より死よりも辛いものになるだろう。そしていつか、私を憎み、怨む日が来るかもしれない。……それでも」
「君にはここで生きていて欲しい。リデルや、シエル・フォードの分まで。彼等が見られなかった景色を、君には見て欲しいんだ」
「――やっぱり馬鹿な奴だな、
シェリーからフルネームではなく、ファーストネームで名前を呼ばれたのは初めてだ。
ジルが驚いてシェリーの方へ顔を向けると、ぎこちない笑みを浮かべた彼女と目が合った。
「オレは、恐らくお前が願うようには生きられない。『サーカス』を、このままにはしておけないから。……だからお前も、この件に関してはオレを利用しろ。アイツ等のことについて、今後一切、何一つ隠し事をするな」
「……分かった」
「……それと、オレはお前を父とは呼ばないし、呼べない。お前の本当の娘はその、リデル・クランチェしかいないから」
「それで良いさ。私も、君をリデルの代わりにする気はない」
「――改めて宜しく、シェリー・
とんだ歪な家族の形もあったものだ。
この関係を「傷の舐め合いだ」と
ジルが右手を差し出した。意図を理解したシェリーが、恐る恐る右手を伸ばし、ジルの手を握る。
彼女の手はジルに比べれば、随分小さかった。
そこでふと、シェリーはリデルと三歳程しか変わらないことに思い至る。
握られた二人の手に、白魚のような指が触れ、シェリーのものより更に小さな手が重ねられるのを幻視した。そしてシェリーの手にそっと置かれた、若い男の手も。
顔を上げ周りを見るが、当然のことながらジルとシェリー、二人以外誰の姿形もない。
――見ていてくれるのか、君達も。
うっすら目を赤くするジルに、シェリーが苦笑した。
「……泣くなよ。大人だろ」
ジルの目から零れ落ちた滴を拭おうと、シェリーが空いている方の手を伸ばす。
「……君の手は、温かい」
「それはそうだろ。オレもお前も ――生きてるからな」
その後ジル・クランチェはヴァイス捕縛の功績を認められ、警視総監へ昇進。
そして翌年、魔法警察省大臣の退任後、彼の推薦によりその座に就任した。
シェリー・フォード改めシェリー・クランチェは、クランチェ家の養女となった翌年の春、表向きは監視という名目でテラスト魔法学校中等部アメジスト寮へと編入する。
ジルが予見した通り、彼女の学校生活は様々な要因から困難を極めた。
だが高等部に入り、ようやくシェリーは出会う。後に友人となる少女、アリス・ウィンティーラと
「私、アリス。アリス・ウィンティーラって言うの。貴女の名前を教えてくれないかな?」
追憶の欠片2 まだ小さな女の子だった頃 完
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