追憶の欠片3 あなたの光に導かれるのです

追憶の欠片3 あなたの光に導かれるのです①

 ※子供への虐待を連想させる描写があります。

 苦手な方はご注意下さい。






 今一度、君に会いたい。君の隣を歩きたい。

 どうか、どうかその美しい微笑みを向けてくれ。


 そのためなら僕は――。











 数百年前は、魔法を使用できる者というのはまだまだ珍しかった。


 それ故魔力を持つ人間への差別は激しく、地域によっては魔力を持つ人間を無差別に取り締まった所もあった。

 更に酷い所では処刑すらもあったらしい。


 そんな時代に魔力を持って産まれたシューゲルは、比較的裕福な家庭に生を受けた。


 しかし金銭的に恵まれているからといって、心の豊かさまでは量れない。


 シューゲルは五人兄妹の三番目だった。

 両親も兄妹達も、魔力を持たない徒人ただびとだった。


 彼は魔力を持つが故に異物とされた。


 世間体を気にする親であったため目に見えた暴力等はなかったものの、最低限の食事を与えられるのみで、薄暗い部屋にずっと閉じ込められていた。

 自分達家族の汚点が白日の下に晒されないようにか、シューゲルは生まれてこの方外に出たことが一度としてなかった。




 しかしある冬の日のことだ。

 シューゲルの魔力が暴走し、家を半壊させてしまった。

 今まで隠されていたものが明るみに出たことにより、シューゲルの家族は近隣住人から非難轟々だった。

 怒り狂った両親は、魔力の暴走により息も絶え絶えのシューゲルをその場で激しく痛め付け、着のみ着のまま外へと放り出した。

 一部始終を見ていた者達もいたが、彼等は魔力を持つ者を恐れ、シューゲルには目すら向けなかった。


 横たわり、一歩も動けないシューゲルの上に雪が降り積もっていく。

 ここで死ぬのかと漠然と思った彼だが、いやと思い直す。


 己のことを心底嫌う家族彼等に、死に様を見られたくないと思ったのだ。


 シューゲルの亡骸を見た彼等は、手放しで喜ぶだろう。

 そんな奴等に娯楽の種を与えてやることはないと、半ば意地で立ち上がった。


 全身の骨がギシギシと軋んでいる。


 よろよろと幽鬼のように進むシューゲルを、擦れ違う街の住人達が遠巻きにしていた。




 思えば初めてこうして外に出たというのに、何の感慨も湧いて来ない。

 むしろ「何だこんなものか」といった、呆気ない心地だった。

 想像していた外の世界とは思った以上に普通で、シューゲルを見る目も家の中と何ら変わらなかった。


 シューゲルは今歩んでいる道が一体どこに続いているのかすら分からずに、ただたもなく前へ前へと進んだ。











 ――何時の間に寝ていたのか。



 シューゲルが目を覚ますと、眼前には湖があった。


 どうやって辿り着いたのか、全く記憶にない。


 自分がいた地域から、ここがどれ程の距離にある場所なのかも分からなかった。


 指先の一つも動かない。もう限界らしい。


 わざわざあの家族がシューゲルを探しに来る訳もなし、これで本当の終わりだ。

 どうせ死ぬなら目が覚めないまま、眠るように死ねば良かったものをと、他人事のように毒吐いた。


 俯せのまま、シューゲルは己の人生を振り返る。

 自分の歳も曖昧なため何年生きたかは定かではないが、特段惜しむこともなかった。

 惜しむ程、満ち足りた人生ではなかったのかもしれない。シューゲルの記憶の大半を彩るのは、部屋と外界を隔てる格子窓だけだ。



(もう良い、考えるだけ体力と気力の無駄だ。眠ってしまおう。今度こそ、目が覚めることのないように)



 身も凍るような冬の寒さは、シューゲルの生存本能を更に削いだ。

 諦めと場違いな穏やかさと共に目を閉じた、その時。


 吹き荒ぶ風の音に混じって、微かな息遣いを捉えた。


 動物かと考え至るが、それにしてはやけに人間染みているようにも思える。

 虚ろな意識の中何とか目だけを動かすと、生白い二本の棒が見えた。



 ――いや、棒ではない。人間の足だ。

 それもこの雪の中、素足の。




『眠っているの……?』




 どこか神聖さを併せ持つ、鈴のように軽やかな若い女性の声だった。


 それが上から降って来たかと思うと、シューゲルは風の音も、雪の冷たさも感じなくなった。

 辛うじて抱き起こされた感覚があったが、まるで己の身体ではないかのようだ。

 自分が浮かんでいるのか、沈んでいるのか、立っているのか、座っているのか。一切が不明瞭だ。


 ――これが死なのだろうか。


 ちらつく視界に、美しい少女の顏が映る。

 このように美しい人間を初めて見た。まるで神の造形物のようだ。

 神など生まれてこの方一度たりとて信じたことも、祈ったことすら皆無だが、彼女の存在は無神論者のシューゲルをそう思わせるには十分だった。


 それにしても……もしも今シューゲルの魂が肉の器から抜け、世間一般的に言われる『死』という状態にあるならば、この少女は死神なのだろうか。


 ならば死神とは何と想像以上に美しく、優しいのだろう。



 そんな彼女に看取られて、この下らない人生の幕を閉じるのも――悪くはない。











 衣擦れの音で、シューゲルは目を開けた。


 意味が分からなかった。

 何故、死んだはずなのに目を開けられるのか。

 死後の世界にも、自我というものは残るのか。

 なら、人間というものの何としぶといことだろう。


 視線を巡らすと、白む空が見えた。雪が降り出す直前の、冬の空だ。

 周りは木々に囲まれ、自分が森の中にいるのだと認識した。

 微かに動かすことができた指先に、何か乾いたものが触れた。

 カサカサと音がするそれは、恐らく枯れ葉だろう。頬にもそれが当たるのを感じ、自身が枯れ葉を集めて作ったベッドに寝かされていることを知った。

 他人からすればベッドという程大層なものではないのだろうが、今までのシューゲルの生活水準から考えると十分上等だった。



「起きたんだ……調子はどう?」



 そこには意識を失う直前に垣間見た、神の如く輝かしい容姿の少女の姿があった。

 シューゲルが目を覚ます切欠となった衣擦れの音は、彼女のものだったらしい。


 一瞬眩しさを覚え、シューゲルは反射的に目を閉じた。

 恐る恐る瞼を持ち上げると、彼女の衣服の胸元に縫い付けられた大粒の青い石が、陽の光を反射してチカチカと輝いていた。


 シューゲルはゆっくりと起き上がる。

 それは大分緩慢だったが、少女は急かすことなく手を貸してくれた。

 彼女の手の温かさを粗末な服越しに感じて、ようやくここが死後の世界ではなく、現実だという実感を持った。

 起き上がった視線の先に、最後に目にしたはずの湖が見えた。どうやら湖畔に寝かされていたらしい。

 座位になり少女に礼を言うため口を開くが、喉が張り付いて噎せ返ってしまった。



「飲める?」



 少女が差し出したのは、植物の葉で出来た簡易の器だ。中には透き通った水が、並々と入っている。

 有り難く受け取ったシューゲルは「ゆっくりね」という少女の気遣う声の傍ら、唇に当てた葉の器を静かに傾けた。



「美味しい……」



 水がこれ程までに美味しいとは。

 まるで甘露のようだ。



「貴方、三日間寝ていたの」



 三日間も寝ていたこともだが、少女が付きっきりでシューゲルの世話をしてくれたことが一番の驚きだった。


 そこでようやく、自身の身体を覆う覚えのない魔力の痕跡を感じた。

 彼女は魔法を使い、シューゲルを保護してくれていたのだろう。


 シューゲルは勝手ながら落胆した。

 あのまま死なせてくれていれば良かったものを。

 これからどうしろというのか。



「何で僕を助けたの……?」



 力ない弱々しい声で問われた少女は、形の良い眉を寄せた。



「……本当に、死にたい人間はいないでしょう?」



 困ったように言われたそれに、シューゲルは返答に詰まった。

 彼女に返すべき言葉が見当たらなかったのだ。

 その通りなのかもしれない、確かにそう思った。

 黙り込んだシューゲルに、少女も問う。



「どうしてこんな所に? 貴方のお名前は? お家はどこにあるの?」



 質問責めの少女に、シューゲルは一つ一つゆっくりと答えた。



「僕はシューゲル。家はないよ。ひたすら歩いて来たら、いつの間にかここにいたんだ。僕も知りたい。ここはどこなんだろう?」



「ここに名前はないの。ただの湖」



「じゃあ、君は誰?」



「私はディーナ――ただのディーナよ」



「……それ良いね。それなら僕も、ただのシューゲルだ」



 シューゲルがからから笑うと、ディーナはきょとんとどこか幼い表情を浮かべた。



「どうして笑うの? 戻る所も、帰る場所も、貴方にはないのに」



「僕は一度死んで、君に助けられて生まれ変わった。僕という存在は、やっと自由になったんだ」



「そう……なら貴方は運命という、大きな壁を乗り越えたのね」



「そうかも、しれないね」



 ここまで清々しい気持ちで話したことなど、今まであっただろうか。

 何もかもから解き放たれて、穏やかな心地ですらある。



「これからどうするの?」



「僕には魔法があるから、何とかなるよ。行く当てがある訳じゃないけど、人は気持ちさえあれば何だってできるさ」



 そうは言っても、一度魔力を暴走させた身だ。

 魔法で何ができるという根拠はなかったが、一度吹っ切れたシューゲルには些細な問題だった。

 他人から聞けば無鉄砲極まりない話だったが、シューゲルは正気だったし、本気だった。

 シューゲルは枯れ葉のベッドの上で、ディーナに向き直った。



「……改めて、助けてくれてありがとう。起き上がれるようになったし、暗くなる前にはここを発つよ」



 出立を仄めかすと、ディーナが微かに顔を曇らせた。

 彼女は逡巡し目を泳がせると、シューゲルに視線を合わせないままに言い募った。



「……まだ、長時間動ける程の体力は戻ってないはずよ。それに私、少し魔法を使えるの。貴方に魔力の抑え方や、魔法の使い方を教えてあげることもできるわ」



 言外にまだここにいろということだが、シューゲルには懸念があった。



「君の家族は心配しないの? 僕に三日間も付きっきりなんだよね?」



「……家族はいないの。私はずっと、ここに一人。だから貴方さえ良ければ、ここにいて欲しい」



 『魔法があるから』、シューゲルより少し年上なだけに見える彼女は、このような辺鄙な場所でも暮らしていけるということだろうか。

 辺りを見回しても木々と湖しかない。彼女がどうやって生活しているのか、想像もできなかった。


 そしてシューゲルには、別段彼女の提案を拒否する理由もない。

 むしろ魔力の制御や魔法を教えてくれるというのなら、願ってもいないことだ。

 元よりディーナという、家族以外では初めて出会った人間に、シューゲルはどうしようもなく興味を引かれた。

 故に、彼は一も二もなく頷いた。






 体力が戻ると、シューゲルが真っ先にしたことは見様見真似で雨風を凌げる小屋を作ることだった。

 痩せ細った身体を懸命に動かし、材料になりそうな木々を見付け出すと、湖畔まで自力で運んだ。

 最初は魔法を使って運んでいたが、魔力量の調節ができず材料の何本かを駄目にしたため、泣く泣く諦めたのだ。

 ディーナに魔法を教えてもらいながら、悪戦苦闘しつつ何とか形になったそれは、小さいながらも我ながら良い出来だった。


 ディーナの教え方は上手かった。

 指先一つで魔法を操ってみせる彼女は、魔法の深淵を知っているかのようだった。


『魔法の深淵』とやらも、彼女から教わった。

 ディーナが言うには森の中の暗い道を歩き続けて、ようやく出口を見付けたような、そんなものらしい。

 あるいは水の中で突然深い所に入ってしまったような、そのような感覚にも似ていると。

 彼女の比喩は、シューゲルには少々難解だった。



「魔法の深淵に辿り着くのは、良いことなの?」



「人にもよるのかな。全ての人にとって良いものとは、言えないのかもしれない」



「僕も、辿り着ける?」



「それは、貴方次第……シューゲルは見てみたい?」



「そこに君がいるなら。そうでなくとも、君が行けというなら」



 シューゲルがディーナに対し興味以上の感情を持つのに、そう時間は掛からなかった。


 ディーナはシューゲルに様々なことを教え、彼が寒いと言うと同じベッドで眠り、自身の体温を分け与え、彼が体調を崩した時には付きっきりで看病し、シューゲルが日頃のお礼にと不慣れな魔法を用いて作った花飾りの髪留めを手渡すと、彼女はその花よりも美しく微笑んでくれた。


 友人というよりも、まるで本当の家族のように接してくれるディーナを、シューゲルは母のようにも、姉のようにも思っていた。

 今振り返れば、依存に近いものだったのだろう。


 それが淡く色付き、恋だの愛だのといったものが芽生えるのは、あっという間だった。



 二人で過ごす生活は幸福に満ち溢れ、時が過ぎるのは瞬き程にも感じた。

 シューゲルは少しずつ慣れてきた魔法を使い、狩猟をしたり、薪を割ったり、湖の魚を採ったりと苦戦しながらも、家に監禁されていた頃よりも断然充実した日々を送っていた。



 春が来て、夏が訪れる。

 直ぐに木枯らしの吹く秋に変わり、それもいつの間にか雪混じりとなって、冬の便りを知る。


 そんな季節の巡りを、ディーナと共に五巡程した頃だろうか。


 以前の生活事情から自分の年齢も定かではなかったものの、シューゲルの身体の成長が十七、八歳の子供と同程度になった頃。


 ふと、ディーナとの身長差が広がるばかりであることに気付いたのだ。


 出会った頃から、ディーナは何一つ変わらない。

 まるで、シューゲルの時間だけが進んでいるかのように。



「……シューゲル、また背が伸びたね。服も直ぐ小さくなっちゃう」



「僕は君より大きくなれて、少し安心したよ。同じ目線も良いけど、できれば女の子よりは大きくなりたいから」



 本当は『女の子』の前に『好きな』という冠辞が付くのだが、それを口にできる程、シューゲルは気障きざでも正直者でもなかった。


 少し浮かれていたのかもしれない。


 男らしく背も伸びて、身体も大人に近付くにつれて、今度は自分がディーナを守れるかもしれないと。

 だからシューゲルは、この時の彼女の変化に気付けなかった。



 以降この会話を切っ掛けに、ディーナが表情を曇らせることが多くなっていった。

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