第38話 ゲームへのご招待⑤

 ――永遠に続くのではないか。


 長い長い階段は、そう思わせるには十分だった。

 アリスは荒い息を洩らしながら、バクバク脈打つ心臓を空いている右手で押さえる。


 左手はシェリーが握っている。鍛え抜かれた警察官達や場馴れしているシェリーに比べて、体力、経験共に劣っているアリスが彼等に付いて行くのは至難の技だ。

 よって繋がれたこの手だけがシェリーとの道標であり、アリスにとっての命綱でもあった。


 シェリーに導かれるようにして足を繰り出すアリスは、前を走る細い背中を仰ぐ。

 彼女の意図が未だに解らない。この捜査にアリスを加えることに、どんな目的があるのだろう。アリスにしか頼めないこととは、一体何だと言うのか。



「――わぷっ! ……ごめん、シェリーちゃん」



 足を止めたシェリーに気付かず、その背中に突撃してしまった。

 結構な勢いで追突したのにも拘わらず、シェリーは微動だもしない。



「……」



 アリスの謝罪に耳を傾けることなく、シェリーは何もないところをじっと見詰める猫のように、前方に注意を向けている。

 周囲の警察官達も足を止め、真剣な表情で薄暗がりになった階段の先を見据えていた。


 まだ階段を上っている途中だというのに、何故こんな所で足を止めているのだろう。

 疑問に思っていると、突如として先頭の第四部隊から怒声が上がった。状況が伺えないこともあって、アリスの不安を大いに煽る。

 警察官達にも動揺が見られ、何か切欠があれば蜂の巣をつついたような恐慌状態に陥ってしまうのではないかと、アリスはそんな予感めいたものを覚えた。



 ――そして、遂に一石が投じられる。



「『光の御子』のために!!」



「『光の御子』を信仰しない異教徒よ、去れ!!」



 狂ったような叫びが津波の如く迫り、特徴的な白い服を纏った大量の信者達が上階から雪崩れ込んで来た。

 人が密集しているこんな狭い階段で接敵してしまえば、下手をすれば将棋倒しになってしまう。



「信者はいないんじゃなったのか?! ジルめ、話が違う……! ――アリス、行こう!」



 悲鳴と怒声に掻き消されないようにか、シェリーが声を張る。その内容に、アリスは目を剥いた。



「行こうって……他の人達は?!」



「悪いが、オレも他人に構っていられる程の余裕はない。それに、彼等なら一般人よりは場馴れしているはずだ」



 シェリーはアリスの手を強く引いた。



「――壁際に寄れ!!」



 シェリーが一言そう宣告すると、周辺の警察官達が慌てて両側の壁に張り付いた。その声が届かなかった者達も、仲間の行動を目にして壁際に寄る。

 出来たのは細い一直線の道。そこへ、信者の集団が押し寄せて来た。



「『唸れ大地よ。あぎとを開け――落ちろ』!」



 シェリーが土属性の属性魔法を詠唱すると、信者達の立っていた階段部分が全て抜け落ちた。

 唖然とするアリス、警察官達を尻目に、シェリーは何事もなかったかのように、穴の開いたそこに氷のきざはしを創造する。



「滑るから気を付けろ――オレ達は先に行きます」



 前半をアリスに、後半を警察官達に伝えたシェリーは、言葉の通りに駆け出した。

 アリスは彼女に手を引かれるがまま、幻想的な氷の階段を進む。足を滑らせないよう注意を払いつつも、床が抜けても建物の構造的には大丈夫なのだろうか、落ちた信者達は生きているのだろうか……などと、半ば現実逃避のように心を巡らせた。


 ふと、響く足音がシェリーとアリスの二つだけではないことに気付く。

 振り返って見ると、氷の階段を危なげなく駆け上がるジストの姿があった。アリスは「そう言えばジスト先生とも同じ部隊だった」と思い至る。


 今日のジストは、終始思い詰めた顔をしている。ノースコートリア王国との合同捜査、そして『サーカス』との正念場とも言うべきこの状況で気安い話ができるはずもなく、よって彼とはまだ一言も話せていない。

 アリス自身、余裕がなかったというのも理由の一つではあるが。




 ようやく視界が開け、二階に辿り着く。

 真っ直ぐに伸びた廊下の先に、ジルとシャンの姿があった。二人はアリス達に一瞥をくれることなく、開け放たれた扉の先を注視している。



「――どうして。どうして、シエル・フォードが生きているんだ……シェリー!」



 義娘であるシェリーの姿を目にすると、ジルは恐れと怯えが入り交じった声音で問い掛けた。

 シェリーはそれには答えず、アリスの手を引いたまま彼の傍らに立つ。



 何もない、ホールにも似た広い部屋の中には二人の青年がいた。

 長い銀髪を持つ青年が、アリス達に目を留めるといっそ不気味な程に嬉しげに笑う。

 その彼の一歩後ろに控える、銀髪を短く整えた青年は、長髪の青年とは対照的にどこまでも無表情だ。 いや。あれは無表情と言うよりも――まるで感情そのものを喪ってしまったかのようだ。



「いいや。シエルは確かに死んだ――オレの中では」



 アリスの手から、シェリーの温もりが失われた。彼女が、繋いでいた手を離したのだ。

 そしてシェリーは誰一人として足を踏み入れていなかったその部屋に、躊躇いなく立ち入った。



「……私と、アリスはここに残ります。皆さんは上へ」



 言葉を失って立ち尽くすジルに、ジストが淡々と告げる。

 ジルは複雑な色を含んだ視線をシェリーの後ろ姿とジストとに往復させ、逡巡の後に『ジル・クランチェ魔法警察省大臣』としての顔で短く言った。



「――警官達は?」



「彼等の戦闘に巻き込まれる可能性もありますので……下の階の援護に回るか、第四部隊に組み込んで頂いた方が宜しいかと」



「……解った。第三部隊。シェリー達を残し、下の階の援護に回れ」



 第三部隊を総括していた男性がジルの指示に頷くと、警官達を従えて今しがた上って来たばかりの階段を駆け下りていく。

 ジルは小さくなっていく部下達の背中を見送ると、ジストに視軸を向けた。



「この場を、義娘を……お願いします」



「はい。そちらもお気を付けて――シャン様」



 ジストとシャン、赤と紫の瞳が交錯する。



「……どうか、真実を」



 ジストの縋るような言葉にシャンが頷くと、第四部隊は上階を目指す。この場を後にする彼等の、不規則な靴音だけが尾を引いた。

 ジルもシャンも、ただの一度もこちらを振り返ることはなかった。






 ――あれがシェリーの兄、シエル・フォード。



 シェリーとシエル、二人の容貌はよく似ていた。しかしシェリーと異なり生気のないシエルの紅玉は、この世ではないどこか別の世界に向けられているように思えてならない。

 それを踏まえた上で先程のシェリーの言葉、そしてジルから聞いた過去の話に則るならば、シエルは死人に他ならないのだろう。


 ならば、何故彼はここに存在しているのか。


 シェリーの目的、アリスをこの捜査に参加させたがった理由……その全ては、彼を中心としているのではないか。


 そうは思うものの、果たしてそれが真実だとしたら。その時、アリスに一体何ができるのだろう。シェリーの口から、まだ正解は語られていない。



「……アリス。シェリーが何故お前をこの捜査に参加させたがったのか、俺にも解らない。でもこの場に来てしまった以上、お前には知る権利がある」



 アリスの隣にひっそりと佇んだジストが、視線を遠くに投げたまま言った。噛み締めるようなそれには、どこか苦々しさをも感じる。



「ジスト先生、何か……『私』のことを知っているんですか?」



「――どうだろうな」



 ジストの瞳が、シェリーの背中に向けられる。

 落ち着きのある、どこか冷淡さすら覚える紫水晶には、銀を身に纏う三人が映し出されていた。

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