第38話 ゲームへのご招待⑥


「やっぱり来ると思ってたよ、シェリー」



 立ち塞がるシェリーに、ヴァイスが穏やかに笑う。その声音は久し振りに会った家族にするような、親しみの籠ったものだ。しかし、シェリーが応えることはない。

 ヴァイスは彼女の反応に肩を竦めると、とある一点に目を留めた。



「あの女の子がシェリーの新しい友達? 前に言っていた子かな。隣は……ジストか。大きくなったなぁ。俺よりも背が高いんじゃないか?」



 挨拶でもしているつもりなのか、ヴァイスはひらひらと手を振った。そしてふいに首を傾げる。



「あの顔……どこかで見たことがあるような」



「――終わらせよう、ヴァイス」



 シェリーの正面に青く輝く魔法陣が発現した。

 複雑な紋様が陣の中を満たし、轟と青い炎が噴き上がる。炎は上へ向かって螺旋を描いたかと思うと、突如として散った。


 現れたのは額から牡牛の角を生やした、深い海色の髪を持つ青年。


 ――オフィーリア・エル・ディモーニオ・フォスオルニス・グラディウス・シアン。


 シェリーと魂の契約を結ぶ悪魔にして、彼女の魂の半身。

 長い襟足を揺らし、オフィーリア――リアは足音一つも立てずに降り立った。



『……ここまで来たか、愛し子よ』



「ああ。行こう、リア――今度こそ、決着を」



 ヴァイスの顏に浮かぶ笑みが、種類を変えた。

 そう――獲物を甚振るのを楽しむ、嗜虐的なものへ。



「そうだね、家族喧嘩の第二ラウンドといこうかシェリー……!」



 ヴァイスの周囲で、闇を伴った禍々しい魔力が踊る。心地良さげに目を細めたヴァイスは、ゆったりと、見せ付けるように右手を伸ばした。

 シェリーが眉を寄せると同時。ヴァイスの右手が固く握られると、動きに併せて彼の周りを渦巻いていた魔力が形を変えていく。


 魔力は幾度も姿形を変化させると、時に分裂を繰り返し、最後は闇を凝縮したような黒々とした球体となった。大小様々な大きさのそれは、ヴァイスを中心に彼の周囲を漂っている。

 いっそ幻想的な光景ではあったが、そんな御綺麗なものではないことは、火を見るよりも明らかだ。


 ヴァイスが予備動作もなく走り出した。

 牽制するリアの青い炎を、ヴァイスが操る黒真珠にも似た魔力の球体が喰らい尽くす。


 距離を詰めるヴァイスと、それを引き離そうとするリア。二人の攻防は続く。


 ヴァイスは闇色の球体の一つを操ると、リアの足元を狙った。

 それは床に触れると一瞬にして膨張し、爆音と共に破裂した。


 幾らリアが魔族とは謂え、直撃すれば無傷ではあるまい。しかし粉塵の中から現れたリアには、傷どころか砂粒一つ付いていなかった。

 間一髪発動させたシェリーの防御魔法が、功を奏したのだ。



「俺は二対一を卑怯とは思わないよ。それも戦略だからね。相手がフェアな状態で戦ってくれるだなんて、そんなものは子供の御遊戯だ」



 ヴァイスは補助魔法で右拳を強化すると、振りかぶった拳でシェリーの防壁を砕いた。



「以前やられたからね。お返しだよ」



 防壁一枚分の距離を詰めることに成功したヴァイスは、無防備になったリアに回し蹴りを入れた。

 普通の人間ならば骨が折れるか、最悪死に至るだろう威力の蹴り。


 だが、強化されたそれがリアに届くことはなかった。


 シェリーの属性魔法がヴァイスの影の一部を帯状に変化させ、彼の足を拘束していた。

 シェリーは更に魔力を流し込み、縛めを解こうと抗うヴァイスを抑え込む。


 対するヴァイスは感心した様子で「ふうん」と吐息を洩らすと、自身の足に纏わり付いた影に、魔力を叩き付けるようにして送り込んだ。それは影に流れるシェリーの魔力を、軽々と上回る。

 ばちゃんと水っぽい音を立て一瞬にして弾け飛んだ魔法に、シェリーは舌打ちを溢した。



「これも、お返しだ」



 ヴァイスを取り巻く闇の球体が、全て消失した。打って変わって彼の影が帯状に変化すると、息をつかせる間もなくリアを攻め立てる。

 リアは不規則な動きで上空へと逃げ延び、影の猛攻を防いだ。


 しかし死角から伸びた鞭の如き影がリアの足首を掴むと、無造作な動きで彼を吊るし投げた。

 リアは凝った装飾の柱に叩き付けられたが、彼もただでは転ばなかった。


 青い炎が、ヴァイスの影を伝って駆け巡る。

 熱源に気付いたヴァイスは、即座に魔力の供給を断つと影を霧散させた。


 ヴァイスは今、魔法を何一つ発現させていない。

 その隙を、シェリーは見逃さなかった。



「――あれ?」



 ヴァイスの身体ががくんと仰け反った。

 彼の片足が、影の中に呑み込まれようとしている。


 シェリーは深い紫の光を放つ多数の魔法陣を、ヴァイスの頭上に展開した。

 次いで魔法陣から剣の形を象った闇が、礫のようにヴァイスへと降り注ぐ。しかし彼は動揺を見せることもなく、雨の気配を確認するのにも似た仕草で天上を仰いだ。



「これが使えるのは、君だけじゃないんだよなぁ」



 ヴァイスは己の影の支配権をシェリーから取り戻すと、闇を伴う魔物の腕を創造した。それは彼の頭上を傘のように覆うと、シェリーが創り出した闇色の剣を悉く防ぐ。

 続いて漆黒の腕は創造主の意思を汲み、鋭い爪でシェリーに襲い掛かる。


 シェリーは防御魔法を展開したが、魔物の爪はいとも簡単に防壁の一部を削り取った。

 爪痕から幾筋もの細かい罅が入り、硝子が砕けるのにも似た儚い音と共に防壁が崩壊する。


 シェリーは再度迫る爪を氷の盾で防御すると、盾に魔力を流し込んだ。魔力が流された点から急激に冷やされ、闇色の腕にはみるみる内に霜が降りる。

 凍らせることで僅かな時間腕の動きを止めることに成功したシェリーは、横っ飛びでその場から離れる。氷の拘束はものの数秒で解かれ、今の今までシェリーがいた場所に魔物の爪が突き刺さった。


 それを、リアの青い炎が包み込む。


 柱に叩き付けられたリアの黒衣は土埃で白く汚れていたが、彼自身は無傷だ。

 リアはシェリーの傍に降り立つと『どうする、シェリー』と囁く。



「……魔法は想像力。思考を止めれば、そこで負ける」



『――ならば、深淵に踏み入るか?』



「必要があるなら……それに、止めてくれる奴がいる」



 微かに後ろを振り向くシェリーに、リアが笑う。

 そこにいるのは――アリスだ。



『……その意気だ。俺様が時を稼ごう。その間に成せ。我が愛し子よ』


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