第38話 ゲームへのご招待⑦

 リアの右腕を青い炎が包み込むと、そこから一振の大剣が現れた。炎を映して蒼白く輝く刀身をきらめかせ、ヴァイスへと肉薄する。


 リアが剣を一閃させる度、太刀筋から青い炎が舞い上がる。

 飛び散った火花はヴァイスの頬を掠めたが、彼は熱がる素振りも見せず、ただ愉しげに唇の端を持ち上げた。



「最近、とても懐かしい夢を見てね。それからずっと尋ねたいと思っていたんだ。ねえ、リア。魂はどんな味がするんだい? 」



『――魂そのものに味がする訳ではない。我等悪魔が喰らうのは人間の一生。彼等が過ごしたそれぞれの時間、それを彩った感情だ。喜びは旨味を、怒りは苦味を、哀しみは塩味えんみを、楽しさは甘味かんみを。それ以外にも様々な味が複雑に絡み合い、一つとして同じものはない極上の一品となる』



 リアの振るう剣をかわしながら、ヴァイスは会話を続ける。



「じゃあ、君はどの味が一番好き?」



『……甘味の中に、少しばかり塩味のある味は好きだな。相乗効果で更に甘みが増す。たとえば嬉しさの余り感極まって流す涙と、絶望の淵に追いやられて流す涙。同じ『涙』にも種類があるように、『悲しい』という感情にもこまかな段階があって、様々な種類がある。そんなささやかな感情の機微でも味にかなりの変化が現れるから、その些細な組み合わせを楽しむのも堪らない。――結局の所、俺様も食に忠実な悪魔に過ぎん』



「へえ。それは興味深い話だなあ」



 振りかぶった剣を、ヴァイスが闇色の球体を再度出現させて受け止めた。

 たちまち膨れ上がった球体に、リアが距離を取るとほぼ同時。閃光と共に激しい爆発が起こった。



「――そう言えば。知ってたかい、リア。魂の重さは二十一グラムなんだってさ。これって本当?」



『知らん。生憎、グラムを量ってから食べたことはないんでな』



「あはは、確かにね。たとえばそれが食肉だったとして。血抜きがされてあろうとなかろうと、グラムなんてものの違いは腹にさえ入ってしまえば関係ない」



 例え話に古い戯曲の話をもじって、ヴァイスが笑う。

 リアは噴煙で見通しの悪い視界に乗じ、ヴァイスへ足払いを仕掛けた。ヴァイスは軽いステップでそれ避けると、接地した爪先で自身の影を操る。

 影は蔓とも触手とも付かない姿に変化を遂げ、素早い動きでリアに迫った。


 先のように足を掴まれては堪らないと、リアは襲い来る影を剣で切り払い、時には炎で燃やし尽くした。


 己の炎を用いれば、一切の影を消し去ることも可能だろう。

 ここが屋内であるという認識は、リアにとって何ら問題ではない。

 形あるものはいずれ壊れる。それは自然の摂理であって、人間の理だ。純粋な魔族であり、高位の悪魔であるリアが配慮すべきものではない。


 だがこの建物の中にはシェリーの味方である数多の人間がいるため、下手なことはできない。

 魂の契約を交わしているシェリー我が愛し子以外に興味はないが、彼女が必要以上に悲しむような事態はできれば避けたい。


 ――甘味の中の塩味は、ほんの少しで良い。

 過剰に加えれば、繊細な味は立ち所にして変化してしまう。


 だからこそ。リアはシェリーの道行きに助言をするし、時にはこうして手も貸す。

 そして最後は、作り上げた至極の一品を腹がくちくなるまで堪能するのだ。


 料理と同じだ。

 人間が食糧を食べ易い形に調理して、味を整えるように。だが、それだけでは至って普通の料理でしかない。


 より完璧で美味なものを求めるならば手間暇を惜しまないことと、絶妙な匙加減が大切だ――加える調味料と、込める愛情には。




 しかしそれにしても面倒臭いことだと、リアは独り言ちる。

 人間の世界はリアが住むと違い、しがらみが多い。情が絡むと、一様に話がややこしくなる。


 そんなものに翻弄されるちっぽけな彼等だからこそ愛おしく、その魂は甘美でもあるのだが。



『――ヴァイス。貴様の魂は、どのような味がするのだろうな?』



 この者も憐れな、可哀想なではあるのだ。

 訳も解らず生み出され、何も知らぬままに放り出された……薄っぺらで、真っ白な魂。

 それは果たしてどんな味がするのか。永きを生きるリアにすら、全く想像が出来なかった。



「さあ? でもリアは以前、俺を『魅力的な魂ではない』と評していたね。なら、そうだな。君の言葉を借りるなら――苦味と塩味と、それ以外の雑味が多そうだ……ううん、これじゃあ駄目駄目だね。君達悪魔が求めるような、そんな極上の品には程遠い」



 悲しげな口調とは裏腹に、ヴァイスの攻撃が激しさを増す。



「――さて。楽しいお喋りもここまでにしようか。そろそろ、俺の新しいを見せてあげる――おいで」



 ヴァイスの周囲を漂っていた黒真珠にも似た球体が、突如として破裂した。

 球体は一度魔力に戻ると、再びうごめき出して徐々に人の形を成していく。


 次の瞬間――ヴァイスの隣には、長い金髪を持った美しい裸形の女が寄り添っていた。

 冷たい印象を受ける美貌の女が、濃い紫の紅が引かれた唇を薄く開く。


 造作は美しい女だが、その姿は異形だった。

 女の背中より生える羽は人間の手や魔物の手といった、種族の垣根を越えた数多の生物達の手指を組み合わせて創られていた。

 狂気をも感じさせるそれは造形の歪さも相俟って、リアをして酷い嫌悪感とおぞましさがある。


 乳房には若い女特有の瑞々しさが見てとれた。

 程好い肉付きのウエストは引き締り、腹部には腹筋のうっすらとした陰影が浮かぶ。


 世の女が羨むような、均整のとれた彼女の下半身は――鳥の姿をしていた。


 その特徴だけならば、ハーピーと呼ばれる魔法生物に近い。

 しかしハーピーは人間の腕にあたる部分そのものが翼であるのに対し、目の前の女は人間の腕を持った上で翼をも持ち得ていた。



「『綺麗は汚い、汚いは綺麗』……完璧な造形美より、多少の欠けや歪みがあった方が美しい」



 ヴァイスは古い戯曲の一節をそらんじると、女に「さあ。君の歌を、嘆きを聴かせておくれよ」と短く命じた。



 そして響く――絶唱。



 最早怪音波とも言って良いそれが部屋全体に反響し、リアの平行感覚を奪う。

 確かに、リアの世界にはこれ以上に賑やかな同胞もいる。耐えられない訳ではない――が。だからと言って、不快な歌声に付き合ってやる義理もない。


 そもこの女は精霊や、リアのような魔族の類いですらない。これはヴァイスの属性魔法。彼の想像力と、創造力の結晶だ。

 細やかな造形から推測するに、女にはモデルがいるのだろう。ヴァイスがこうして執着を寄せ、シエルのように自身の傍に置いておきたいと願った存在が。


 リアは己が愛し子シェリーを振り返る。

 彼女は目を閉じて、自身の内側、その深淵と向き合っていた。










 ヴァイスとリア。二人の戦闘が始まったのを認めると、シェリーは目を伏せた。


 そして己の内側、肉体が内包する魔力に意識を集中させる。今まで無自覚に立ち入っていた『魔法の深淵』――そこに、自分の意思で辿り着いてみせる。





 ――そうして、どの位経ったのだろう。

 気付けば、リア達の戦闘の音が遠い。

 光が一切届かない深海に身を沈ませているような感覚が、シェリーを包み込んでいた。



 そのまま深く深く沈んで行くと、底に待っていたのは己の姿をした深淵だった。


「良いのか? 引き返せないぞ」と、深淵が問う。


 その言葉に、シェリーの頭を大切なもの達の姿が過る。思い浮かべた彼女、彼等の顔は――皆、笑っていた。


 それに鼓舞されたシェリーは、「だからこそ行くんだ」と啖呵を切った。


 すると、向かい合った深淵が厭らしく嗤う。

 深淵は黒く染まった手を伸ばすと、シェリーの腕を掴んだ。彼女の意識は、更に深みへと引き摺られて行く。


 レース生地のような闇がシェリーの頬を擽る。

 その先でぽっかりと口を開けた兎穴が、シェリーを呑み込もうと待ち構えていた。


 ――ここに落ちたら、自分は一体どうなってしまうのか。


 注意が逸れた次の瞬間。無防備なシェリーの背中に強い衝撃が走った。かしいだ彼女の身体は、いとも簡単に穴へと落ちて行く。

 視界の隅で、己の顔をした深淵がしたり顔を浮かべていた。






 ――その時だ。


 自身の名前を呼ぶ、微かな声を拾い上げた。

 突如として射し込んだ優しい光が、闇を照らし出す。眩い光を直視してしまったらしい深淵が、口汚く悪態を吐いた。



 シェリーを導く一筋の光、それは確かに




「――シェリーちゃん!!」




 アリスへと繋がっていた。






 私とアリス 第38話 ゲームへのご招待 完

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