第39話 やさしく花環にしておくれ

第39話 やさしく花環にしておくれ①

 しのぎを削るシェリーと『サーカス』団長ヴァイスに、アリスは当然手も足も出なかった。

 目まぐるしく変化する戦況に気を取られ、シェリーと親密そうにやり取りをするあの青年は一体全体『何』なのかと、ジストに尋ねている余裕もない。


 しかし途中で、青い髪の青年がシェリーと入れ替わるようにヴァイスと対峙する。

 激しさを増す二人の応酬の傍らで、シェリーはどうしてか微動だにせず立ち尽くしてた。


 ヴァイスと青髪の青年の戦闘に巻き込まれやしないかとハラハラしながら見守っていると、突如としてシェリーの身体から、夜に見間違う程の闇が溢れ出した。


 波の如く迫るそれを、ジストの防御魔法が弾く。

 するとジストは眉を寄せて、視線を防壁の上部に向けた。釣られて上を向いたアリスの目に、歯を立てたように削り取られた防壁が飛び込んで来た。


 脈動する闇が、絶えず防御魔法に叩き付けられる。張り直す矢先に防壁が破壊され、これでは鼬ごっこでしかない。



「……深淵に取り込まれるか。行き着く先は人ではないぞ」



 背中を向けるシェリーをその瞳に映し、ジストは苦々しい口調で呟いた。

 聞き捨てならず、アリスは「人ではないって、どういうことですか!?」と食らい付く。



「……俺の『魔法基礎学』でも少し学んだだろう。『魔法の深淵』だ。シェリーは今、そこに踏み入ろうとしている。精霊や魔法生物達に強力な力を持つものが多いのは、彼等の存在がより『魔法』というものに近しいからだ。これはシューゲル先生の領分になってしまうが、『彼等の生命の起源は魔力であり、魔法そのもの。故に深淵に近しい』。『魔法生物学』の教科書の冒頭に、そう載っていたはずだ」



 語り口は滑らかだが、ジストの表情は依然として厳しい。



「人間の身で魔法の深淵に挑むのは、はっきり言って無謀だ。そもそも、おいそれと辿り着けるものでもない」


「――『汝が深淵を覗く時、深淵もまた汝を覗いている』。これは昔、とある高名な魔法士が残した言葉だ。本当に、その通りなんだ。学校の先生達ですら深淵を見たことはないし、挑んだこともないだろう。挑もうと、思ったことすらないかもしれない」



「それは……生きて帰って来られるものですか?」



「前列がないから解らない。だが。もしも辿り着けたならば――ヴァイスに勝つ手立となるかもしれない。……ヴァイスもまた、深淵に近いものなのだろうからな」



 アリスはジストから視線を外すと、シェリーの背中を見詰めた。彼女からは、未だ障気にも似た黒い魔力が溢れ出している。

 闇に呑み込まれる友人の背に堪らなくなり、アリスは駆け出そうとした。それを、ジストの防御魔法が阻む。



「お前が行ってどうする、アリス。お前に何かあったら、傷付くのはシェリーだぞ」



 ――ジストの言う通りだ。

 アリスが行った所で出来ることは何もない。

 むしろ、足手纏いでしかないのは解っている。


 でも。それでも。

 頭では納得しているが、心が納得しきれない。

 そんなもやもやとする思いを抱えて、アリスは唇を噛み締めた。



 刹那、シェリーの声が脳裏を過る。



『――その時は、呼び戻してくれるか?』



 そうだ。そうだった。そうだったのだ。

 ならばアリスにできることは、ただ一つ。



「――シェリーちゃん!!」



 名前を呼ぶ。

 シェリーに聞こえるように。

 彼女に届くまで大きく。

 そのために声がれてしまったとしても、構うものか。













 シェリーは目を開けた。

 

 リアの振るう剣先を、ヴァイスが首の動きだけで易々とかわす。その軌跡を青い焔が追う様は、演舞でも見ているかのようだ。

 リアは約束通り時間を稼いでくれたらしい。なら、シェリーも彼の信頼に応えるだけだ。


 シェリーは身体強化の補助魔法を用い、ヴァイスへと一直線に駆け出した。そして駆ける勢いもそのままに飛び上がると、足を振り抜く。

 ヴァイスは突然の闖入者にも動揺一つ見せず、己の影で防壁を創り出した。繰り出した蹴りが弾かれ、シェリーは舌を打つ。


 黒々とした防壁は瞬く間に魔物の腕に変わり、素早い動きでシェリーを攻め立てた。

 シェリーは鋭い爪を紙一重で避け、時に掻い潜り、ヴァイスの気を逸らす。


 その隙を突いたリアの青い炎が、光源となってシェリー、ヴァイス、リア、それぞれの影を打ち消した。

 本元を失った魔物の腕は不安定に揺らぐと、みるみる内に輪郭を崩していく。それと共に炎も勢いを失い、最後は幻のように跡形もなく消えていった。



「――君には見えた? 深淵の、その先が」



「随分と……優しい光だったよ」



「そっか。……それは、良いなぁ」



 シェリーが噛み締めるように答えると、ヴァイスは随分と子供らしい顔で目を瞬かせた。

 そうしてシェリーの返答を自分なりに噛み砕いたのか、ヴァイスはにいっと唇を持ち上げる。


 嬉しげに、愉しげに。

 しかし羨ましげで、されど寂しげに。


 ヴァイスは『友達』と表した異形の女に向かってて囁いた。愛を。哀を。切々と訴えるが如く。



「歌えよ、歌え――そうだ。全て――奪ってしまえ」



 ヴァイスの言に従い、女が歪な肉の羽を使って飛び上がる。

 女は一定の高さで制止したかと思うと、毒々しい紫の紅が塗られた唇をすぼめた。


 ――次の瞬間、甲高い叫び声が室内一帯を満たす。


 余りのかしましさに、シェリーは思わず顔を歪めた。何なら耳も塞いでしまいたいが、さすがにそれは無防備に過ぎた。



「リア、あの女を頼む!」



 耳障りな大音声に、シェリーは負けじと声を張り上げた。

 リアが了承の意を込めて頷き、女に狙いを定める。リアは距離を一瞬にして詰めると、自身の目線とほぼ同じ高さにいる女を蹴り付けた。

 抵抗する間も与えられず、女の身体が激しく床に打ち付けられる。


 それを視界の隅で捉えると、シェリーは呪文の一節を口にした。



「『――踊れ、踊れ。夜が明けるまで』」



 シェリーの影より生まれ堕ちた異形のものたちは、この世に生を受けると同時にヴォイスに襲い掛かる。彼等の持つ丸太の如く太い腕が。刃のように残忍な鋭さを持つ爪が。そして発達した筋肉で盛り上がった脚が、絶え間なく繰り出される。

 魔物達の猛攻は、ヴァイスと彼が創り出したハーピーもどきの女とを徐々に引き離した。


 ヴァイスは闇夜を切り取ったような球体を、再度創造する。お互い距離を詰められることを良しとはせず、その攻防は一進一退だった。


 魔物の一匹が、黒真珠にも似た闇の球体を煩わしそうに破壊する。弾けたそれは周囲を巻き込んで爆発し、新たな爆発を誘発した。

 爆発音が断続的に響き、激しい爆風がシェリーの銀糸を掻き乱す。


 ――そこに、爆発音とはまた違う音が加わった。


 横目で探ると、リアと対峙していたはずの女が柱に叩き付けられていた。負傷したのか直ぐには起き上がらない女に、リアが容赦なく拳を振り上げる。

 嗚咽にも似た女の呻き声が上がり、次いで固いもの同士がぶつかり合う鈍い音が聞こえた。

 時折鳥にも似た「キィキィ」という鳴き声が交ざり、断末魔染みたそれはいっそ憐れみすら誘う。

 

 リアは満身創痍の女の喉を片手で掴み、軽々と持ち上げた。彼は悪魔らしい哄笑を響かせると、女が肉の羽をバタつかせて金切り声を上げるのも無視し、細い首筋を締め上げる。


 ヴァイスの意識が、明らかにシェリーから逸れた。

 それに対して僅かな疑問が頭をもたげたが、この好機をみすみす逃せるはずもなく、シェリーは更に属性魔法を重ねた。

 帯状に変化したシェリーの影の一部が、ヴァイスを捕らえようと蛇のような動きでうごめき出す。

 


「それはさっきも見たよ」



 ヴァイスは迫る影を軽やかに躱し、一気にシェリーへと肉薄する。


 ヴァイスは手を伸ばしかけ――退


 彼の動きに遅れて長い銀糸が数本、音もなく床に散らばった。

 落ちた銀色を目にして、ヴァイスは不思議そうに首を傾げる。そして床に這わせていた視線をのろのろと持ち上げると、深紅の瞳にシェリーを映す。


 闇を伴ったシェリーの魔力。

 それはありとあらゆる形の剣を模して、堅牢な壁の如く彼女の周囲に佇んでいた。


 その様は以前シルヴェニティア魔法学院の交換留学生であるクロム・フォン・ゴードが、シェリーとの親善試合で見せた魔法を思い起こさせる。



「……ふぅん?」



 ここで初めて、ヴァイスの顔色が変わった。

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