第16話 絶対内緒、秘密だよ②
「戻った。今どうなってるんじゃ?」
「千梨先輩、シェリー先輩……」
スタンドに戻った千梨とシェリーは、暗い表情のアノスとユリーシャに出迎えられた。
まるで通夜のような空気に、医務室に戻ろうかと一瞬考える。
千梨はクリスがいるはずのフィールドへ目を向けるが、一体何があったのか。激しく舞い上がる土埃で、一切が窺えない。
諦めて後輩達へ視線を戻し、椅子に座る。シェリーもそれに倣い、千梨の隣に腰掛けた。
「一体何があったんじゃ?」
「実は……」
「あんなに強いクリス先輩が、殆ど一方的にっ……」
説明しようとするアノスを遮り、ユリーシャが嗚咽混じりに言った。
口を開いた途端に抑えられなくなったのか、大きな瞳からぽろりと涙が溢れ落ちる。
彼女の言う通りならばアメジスト寮生の中でも最高学年であるクリスが、同学年のアイリス相手に手も足も出なかったという訳だ。それはさぞ驚いたことだろう。
ユリーシャはアメジスト寮の生徒を、どこか神聖視している節がある。あからさまではないが、特にシェリーのことを神の如く一際崇拝しているように感じることがあった。
ユリーシャのアメジスト寮への編入は理由が理由なため、最初から純粋な強さのみで入寮したシェリーのことを尊敬するのは分からなくはないが、だとしても千梨が異質さを感じざるを得なかった程だ。
「クリスの属性魔法の余波で、まだ見晴らしが悪くてな。どうなったのかが分からない。どうやらクリスは魔力の大半を使用して、先程の魔法を使用したらしいが……」
生徒達から離れた所に座るジストが、現状を補足した。
この土埃はクリスの魔法によって起こったものだったらしい。
誰もが口を閉ざし静かになったスタンドに、ユリーシャの途切れ途切れの嗚咽が響く。
「ユリーシャ」
ジストが優しげな声でユリーシャの名を呼んだ。
涙を拭いながら担任の顔を見上げた彼女に、ジストが微笑む。
「自分の好きな人が傷付くのも、負けてしまうかもしれないのも、辛いな。良く解る。でも、お前が目を背けてはいけない。お前はクリスの仲間なんだから」
ユリーシャはしばらくすんすんと鼻を啜っていたが、制服の袖でごしごしと豪快に目元を拭うと、真っ赤に充血した瞳でフィールドを見詰める。
泣いたことにより目蓋は腫れ、その目付きは険悪だったが、彼女の成長を笑う者はここには誰一人としていなかった。
千梨もユリーシャを見習いフィールドに視線を向ける。同じくクリスの仲間として、彼女にもこの試合の決着を見届ける義務があった。
気付いたらアイリスの頭上に黄金の剣が座していて、それは瞬きの間に彼女へと落下していた。
隣のミリセントが小さく悲鳴を上げた。あれが直撃していたら大惨事だ。
しかし後ろのエドワードを含め、周りの教師陣が焦る様子も、動く気配もない。恐慌に陥っているのは観覧席の生徒だけだ。
アメジスト寮の生徒達も、シルヴェニティア魔法学院側の生徒達も、外野の騒ぎ等聞こえていないのか、それぞれの仲間の試合を真剣に見守っていた。
普通であればこれで勝敗が決するだろう。
しかし、フィールドに膝を突くクリスの表情は優れない。彼女は大剣が落ちた場所を、一点に見詰めている。
そして剣の落下の衝撃により巻き上がった砂が、ようやく晴れた。
果たして、アイリスは無傷で立っていた。
彼女は右手を振り上げた状態で、魔法を使用し防御等をした様子は一切なかった。
あの属性魔法には、残っていたクリスの魔力の殆どを使ったのだ。それを魔法もなしに一体どうやって防いだのかと頭を巡らせ、はっと閃いた。
「もしかして……アタシの魔法を、切ったのか? 真っ二つに?」
もしもそれが正解ならば、今のクリスに勝機はない。
魔法の技量、経験共に圧倒的に足りていない。
アイリスには及ばない。それは絶望的なまでの、壁だった。
しかし、クリスはここで諦めるような人間ではない。
魔力はほぼ底を尽いている。だがゼロではない。まだできることがあるはずだ。
クリスはきっ、と強い眼差しでアイリスを射抜いた。
アイリスはそんなクリスの様子に目を見張ると、微かに口元を綻ばせる。
「……君の目は、未だ輝きを失わないのか。それは君が思っているよりも、凄いことだよ」
「だからボクも、それに応えることにする」
言うが早いか、アイリスが魔力を通して八つの剣を操る。それぞれ別の動きをする剣が、クリスを翻弄した。
一の剣、二の剣、三の剣までは辛うじて防いだものの、死角から迫っていた四の剣が、クリスの足を傷付けた。
がくりと体勢を崩した所に、五の剣の柄頭がクリスの腹部を直撃する。思わず
たまらず吹っ飛ばされたクリスが、フィールドに大の字に転がる。仰向けに倒れ伏した彼女の首の直ぐ側に、七の剣が突き刺さった。
首の薄皮一枚を挟んで、剣の冷たさを感じる。そこでようやく、今まである程度手加減されていたのだと思い至った。
脳が揺れているのかぐらぐらする視界の中、クリスの胴を跨ぎ、こちらを見下ろすアイリスと目が合った。
アイリスの持つ八つ目の剣が、クリスの喉元に突き付けられている。
「……参ったよ、降参だ」
クリスが両手を上げ、疲れた声音で言う。
アイリスは『降参』の言葉を聞いて、剣を引いた。
彼女が魔力の供給を止めると八つの剣が全て消え去り、彼女の腰周りのチェーンの有るべき場所へと戻って行く。
「立てる?」
先程までの饒舌さはどこへ置いて来たのか。
短く問うアイリスから差し伸べられた手は、白く、細かった。
まだ若干の吐き気はあったが、クリスはその手を掴んで立ち上がる。これはクリスのなけなしの矜持だった。
掴んだ手は少女らしく柔く、滑らかだった。しかし微かに触れた手指の付け根の部分が硬くなっていて、直ぐに剣ダコだと分かった。
剣聖とも称されるアイリスの、努力の証だ。大半の人間はこれを知らずに、ただ彼女を『天才』と称賛するのだろう。しかしクリスは身を以て彼女の努力の結晶に触れ、確かに対峙したのだ。
それに気付いたからこそ、言わねばなるまいとクリスは口を開いた。
「――戦えて良かったよ、アイリス。負けたのは悔しいけどさ。これはアンタが日々積み重ねて来たものの、その結果だ」
「……ボクも、君と戦えて良かった。ありがとう、クリス」
掴んでいた手をそのまま握手に変え、二人はお互いの健闘を称え合った。そして審判がアイリスの勝利を告げる。
これで結果はテラスト魔法学校の二勝一敗だ。審判は、高らかにテラスト魔法学校の優勝を宣言した。
観覧していた生徒達が一斉に立ち上がり、演習場全体を震わすような歓声と拍手が上がる。
選手として出場していたアメジスト寮の高等部の生徒達、シルヴェニティア魔法学院の生徒達が開始同様フィールドの中心へと歩み寄り、学年問わず握手し合った。
試合の結果はどうであれ、お互い得る物があったのだろう。両校の生徒達の表情は明るかった。
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