第16話 絶対内緒、秘密だよ
第16話 絶対内緒、秘密だよ①
医務室へと向かう後輩二人の背を見送り、クリスはフィールド内へと立ち入った。
対するアイリスは自校のスタンドに歩み寄ってマリーをクロムに預けると、急ぐ様子もなくゆったりとした足取りで演習場の中心まで戻って来る。
……コイツが四大騎士の一人? 本当か?
クリスから見たアイリス・フォン・レガリアという少女は、「ぼんやりとしていて捉え所のない人物」という印象である。
同じ四大騎士のエドワードや千梨、クロムとはどこか雰囲気が異なる彼女に、どう戦えば良いのか頭を悩ませる。
クリスとアイリスが向き合うと、審判は二人の名前を読み上げ、短く笛を鳴らした。
「……宜しく」
「こちらこそ、宜しくな」
クリス対アイリスの試合は、先に試合を行った二組より遥かに穏やかな始まりとなった。
挨拶を済ませた二人は背を向け、距離を取る。
クリスは如何せんやり辛さを覚えつつ、アイリスの出方を窺った。
アイリスは、腰周りを飾るシルバーのチェーンにおもむろに手を
彼女は、練り上げた魔力を一気にチェーンへと流し込んでいく。それは与えられた
アイリスの魔力を受けてチェーン、正確にはチェーンに付いている八つの剣の飾りだが ――が、大きさや刀身の長さが異なる剣となって具現化する。クロムと同じ、剣の魔法具だ。
地面に突き立てられた八つの剣の内の一つにアイリスが手を伸ばし、その柄を握り締めた。
一瞬にして、アイリスの纏う空気が変化する。
ゾクリと皮膚が粟立つ。
言葉の通じない野生の魔法生物を相手にしているかのような感覚が、クリスを襲う。
「……ふっ」
小さな呼吸音がクリスの耳を掠める。
次の瞬間には、アイリスが眼前に迫っていた。
クリスが防御魔法を唱える隙もなく、彼女の身体はアイリスが振るった剣の剣圧で吹き飛ばされていた。
受身を取ることもできず、クリスは無様にフィールドを転がった。
「ほら、もっとだ。もっと君の力を見せてくれ。テラスト魔法学校のアメジスト寮生の実力は、こんなものじゃないだろう? ボクを魅せてみろ!」
先程までとは打って変わって、饒舌なアイリスがクリスを煽る。
全身から砂を溢しながら立ち上がったクリスは、それに応えるように無詠唱で光の矢を射ち放った。
しかしアイリスはその場から動くことなく、矢との距離やその数等を測りながら、八つの剣を時折持ち替えクリスの攻撃をいなしていく。
そして残る一つの矢を、アイリスは剣の面の部分で打ち返した。
まさか剣を棒きれのように用いるとは想像もしていなかったクリスは、打ち返された自身の矢への対応が一瞬遅れてしまう。
魔法を使用する間もなく何とか矢を躱したその先に、アイリスが待ち構えていた。
「重心の掛け方、筋肉の動かし方。その全てで、君の次の動きが良く分かる」
咄嗟に腕で防御したものの補助魔法を使用し強化された蹴りの前に、クリスは成す術なくフィールドに沈められた。
開始早々のアイリスの猛攻に、アリスは声も出ない。
ここまでアメジスト寮の生徒が一方的にやられている姿を、誰が想像しただろうか。それも三年生のクリスが。
「何なの、あの人……」
「アイリス・フォン・レガリア。四大騎士次期当主の中で、剣聖と言っても過言じゃない実力の持ち主だ」
思わずといったレイチェルの呟きに対し、エドワードが極めて冷静に言う。
「エドちんとアイリス先輩、どっちが強いの?」
「アイリス……いや、状況によっては五分五分か? 言っとくが、負け惜しみじゃねぇぞ。まぁ少なくとも剣を持たせたアイリスに、同学年で勝てる奴は中々いねぇわな」
「……シェリーちゃんでも?」
アリスの問いに、エドワードが考え込む風に宙を見上げた。少し唸ると、口を開く。
「――いや、ならシェリーだろ。シェリーはさっきので魔力制御のピアス一つ分だろ? 試合中、一度制御を誤り魔力を解放したが、実際の所それ以外での全力は出してない。枷を全て取り払えば、アイリスを上回るだろうな」
アリスはアメジスト寮側のスタンドを見下ろした。シェリーと千梨は医務室へ行ったきり、まだ戻って来ていない。
スタンドではアノスや初等部の少女が険しい表情で、クリス達の試合を食い入るように見詰めていた。
クリスは光の矢を変則的に射ち込むことでアイリスの気を逸らしつつ、重さが掛かることで閃光と爆発が起こる仕様の魔法陣を仕掛け、更に「蜃気楼」の魔法を上掛けする。
再び何度目かの光の矢を放つも、アイリスの剣によっていとも簡単に振り払われた。
徐々にクリスとの距離を詰めるアイリスは、その先に待ち受ける罠に気付いた様子はない。あと少しで、彼女は罠だらけの領域へと足を踏み入れる。
クリスが不自然にならない程度に、わざと隙を見せる。
そこにアイリスがすかさず深く踏み込もうとし、
「――っ、!?」
彼女は突然踏み留まると、素早く足を引いた。
そして地面に向けて、剣を大きく一薙ぎする。それにより、真っ先に蜃気楼が破壊された。
更にその一閃は、魔法陣が仕掛けてあった辺りを直撃した。剣圧により陣が作動し、閃光と共に連続的な爆発が起こる。
クリスは光に目を潰されないよう、腕を掲げて防御した。
(何故罠があることに気付いた?)
(上掛けした蜃気楼の、微かな魔力を感知されたのか?)
(まるで野生の勘だな、本当に魔法生物かよ……!)
脳内を駆け巡る思考が煩わしい。
それを振り払うように腕を薙ぐと、いつの間にかクリスの懐に入り込んでいたアイリスと目が合う。
クリスは咄嗟に一歩後退するも間に合わず、剣の柄頭が彼女の腹に食い込んだ。
二度、三度とフィールドへ沈められるも、クリスは何度も起き上がりアイリスに食らい付く。
アイリスは手心を加えることなく、八つの剣を操ってクリスを攻め立てていく。
止むことのない猛攻にクリスはどんどん圧されていき、防御が間に合わなかった攻撃が彼女の柔肌を傷付ける。
遂に膝を突いて苦し紛れに再度光の矢を放つが、剣圧によって弾かれてしまう。
それがクリスの指先を掠り、血を滲ませた。
その赤を見て、クリスにある考えが浮かぶ。
クリスは新たに魔法陣を展開した。
青白い光を放つそれは、単純な図形や記号、文字等で彩られている。
「応えてくれ、光の精『ルス・エリ』……!」
クリスの呼び掛けに、魔法陣が一際強く輝いた。彼女の周りを、光の球体が幾つも飛び回る。
ルス・エリの姿を認めたアイリスが、品定めするように目を細めた。
それはそうだ。彼等は決して攻撃向きの妖精ではない。どちらかと言えば補助系の、子供にも喚び易く、魔法初心者向けの妖精だ。
クリスも、彼等に期待しているのは攻撃ではない。ほんの少し、クリスが詠唱を唱え終えるまでの時間稼ぎをしてくれれば、それで良い。
「行け!」
光の球体達が素早い動きでアイリスを翻弄し、クリスとの距離を詰めようとする彼女を、その都度妨害した。
妨害と言っても、勿論大したことができる訳ではない。激しく発光し目を眩ませるといった簡単なものだ。
しかしたったそれだけでも何度も続けば、どんなに気の長い人間でも鬱陶しくなるだろう。
今の狂戦士のようなアイリスにとっては、更に。
「邪魔だ!」
クリスの狙い通り、アイリスがルス・エリの排除を優先し出した。
しかし彼等の数は多い。ルス・エリの一番の特徴は一個体としてではなく、光の集合体として召喚されることだ。
今回クリスはそれを逆手に取った。
「『頭上に輝き足るは神の光、神の御意思、神の剣』」
「『憐れなる羊達の声が聞こえるか。汝の欲深きは世にのさばり、彼等の肉を喰らわん』」
クリスの詠唱が始まった。ルス・エリへのアイリスの攻撃は止まらない。
彼等はみるみる内にその数を減らしていく。
「『傲慢たるその魂、つっ、
焦りから早口になり、詠唱を噛みそうになる。
額を幾筋かの汗が流れ、頬を伝った。
しかし拭いはしない、いや、できない。
今集中力を欠いてしまえば、詠唱を最初からやり直す羽目になる。次はそんな時間を取らせてはもらえないだろう。
最早ルス・エリは、数える程しかフィールドに存在していない。アイリスが向かって来るのも、時間の問題だ。
「『神は決して汝を見逃すことはない』」
あと一節だ。手汗が酷い。口も渇く。
「『主よ、光を。邪悪なる暗君に、どうか主の鉄槌を』 」
クリスが全ての詠唱を終えるのと、アイリスがルス・エリを殲滅し、クリス目掛けて駆け出したのはほぼ同時だった。
「な、」
アイリスの頭上に影が差し、彼女は足を止めた。
見上げた先にアイリスが目にしたもの、それは。
黄金に輝く、巨大な剣だった。
そして剣は轟音と共に、アイリスへと落下した。
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