第15話 不思議の国の夢のお話③
――その時だ。
シルヴェニティア魔法学院側のスタンドから、緑の稲妻がフィールド目掛けて走ったのは。
稲妻は重力を感じさせない動作で、マリーを横抱きに受け止めた。
固く目を瞑っていたマリーが、いつまでも地面に激突しないことを疑問に思ったか、ゆっくりと目を開く。
「アイリスちゃん……」
「うん。怪我は?」
「ないよ、ありがとね」
「うん」
緑の稲妻 ――否、新緑の髪をしたアイリス・フォン・レガリアはマリーの怪我の有無を確認すると、彼女を爪先からそっと地面へ下ろした。
王子様然としたそれに、観覧席の女子生徒達から「ほう」という、うっとりとした溜め息が至る所から上がる。
マリーの足は小鹿のようにガクガクと震えており、アイリスに寄り添われる形で何とか立っている状態だった。
あれ程高い所から落ちれば、誰しも怖いだろう。
アイリスはマリーを支えながら、フィールドの中心へゆっくりと歩いて来る。
同じ四大騎士の者に無様な姿は見せまいと、千梨は何とか身体を起こし、よろよろと立ち上がった。
千梨を一瞥したアイリスが、マリーに視線を下げる。
未だ落下の恐怖が尾を引いているのか、彼女の顔色は余り良くはない。
アイリスはそれを見て、試合続行は不可能と判断したのだろう。審判に向かって「マリーの負けだ」と簡潔に言った。
呆然としていた審判が再度アイリスに呼び掛けられ、ようやく勝者をコールした。
「この試合、テラスト魔法学校、千梨・フォン・フェルト選手の勝利!」
これで二連勝だ。生徒の歓喜の声が、大きく響いた。
それを耳にした途端、千梨はへなへなとその場に座り込んだ。格好が付かないが、既に限界だった。
次はクリスの試合だ。早くフィールドから去らねばならない。
しかし少しの間だけ、この歓声に包まれていたかった。
「あの先輩、凄い速かったね。稲妻みたい!」
「身体強化の魔法だな。その後マリー・エリミールを受け止めるために、自分の腕も強化したんだろ」
「まるで王子様だねぇ……」
エドワードの解説を右から左へ聞き流し、顔を赤らめてうっとりとした表情を浮かべるミリセントに、アリスは苦笑した。
フィールドでは、千梨がふらつきながらもアメジスト寮のスタンドに戻って行く。
「千梨先輩、大丈夫かな?」
「この親善試合のルールから考えるに、こういうことも想定内ってことでしょ。それに
「あ、クリス先輩が出て来たよぉ」
以前の罰則の際クリスと同じ班になり、彼女と意気投合して縁を深めたミリセントが、嬉しそうに微笑む。
クリスは千梨に近寄って行くと、自身より幾分か小柄な身体を支えてエスコートしている。
「差し詰め、イケメン対イケメンって所ね」
キリッとした顔で纏めたレイチェルに、エドワードが「どっちも女だけどな」と突っ込みを入れる。
それに対し、ミリセントがすかさず不満を洩らした。
「エドちん、それは古いよぉ。イケメンって言葉に、男女の垣根は存在しないんだよぉ」
「つーか、問題はそこじゃないんだよなぁ……」
やれやれと肩を竦めたエドワードのぼやきを尻目に、アリスはアメジスト寮のスタンドを窺い見る。
何事か揉めているような様子だったが、シェリーがクリスと交代し、千梨をどこかへ連れていくようだった。あの怪我だ。十中八九医務室だろう。
千梨とシェリーの二人は特別演習の時も余り仲が良さそうな感じではなかったので、少々不安に思える組み合わせだった。
「喧嘩とかしないと良いけどなぁ、シェリーちゃん……」
クリスに支えられながらスタンドに戻った千梨は、心配そうな表情を浮かべるアノスとユリーシャに、一番に出迎えられた。
「お疲れ様、千梨。医務室に向かうぞ」
そう言いながら椅子から立ち上がる担任に、千梨はアノス、ユリーシャ、そしてシェリーにさっと視線を向ける。
果たして、この場からジストを離して良いものか。幾らシェリーが強くとも、教師であるジストにしか対応仕切れないこともあるだろう。先程のクロムの試合での、野次のように。
悩む素振りを見せる千梨に、彼女の流血沙汰の怪我にも顔色一つ変えなかったシェリーが、いつも通りの口調で言った。
「医務室にはオレが付き添います。ジスト先生はアノスとユリーシャに付いていて下さい」
試合後の先輩を働かせる訳にはと、アノスが「ボクが行きますよ」と声を上げるが、シェリーが首を横に振った。
「折角のクリス先輩の試合だ。後学のためにも、お前等はきちんと見ておいた方が良い」
アメジスト寮の生徒の中では最強の名を欲するがままのシェリーにそう言われてしまえば、アノスはそれ以上強くは出られなかった。
シェリーはぎこちなく頷いたアノスを視認すると、千梨に向き直る。
「行きましょう」
屋内の通路に、人の姿は皆無だった。皆次の試合への期待が高いのだろう。
千梨はシェリーの手を借り、ひたすら無言で医務室を目指していた。
苦手な後輩と二人っきりというのは、ここまで気不味いものなのか。本調子ではないものが、更に具合が悪くなりそうだ。
早く医務室に着いてくれと、半ば願う気持ちで歩を進める。正直、足を持ち上げるのも億劫だ。
「……幾ら小柄な千梨先輩でも、全体重を掛けられると重いです。もう少しですから頑張ってください」
「重くて悪かったな……」
淡々と苦情を言われ、千梨は唸った。
彼女は萎えた足に何とか力を入れ、体勢を整える。
「……千梨先輩の戦い方、オレやアノス、クリス先輩の戦い方を思い起こさせました。先輩の積極的に学んでいこうとする姿勢は、素晴らしいと思います」
「――正直、」
突然長々と話し始めたと思いきや、更には千梨を褒めるような内容に、彼女はまじまじと、人形の如く整ったシェリーの横顔を見詰めた。
しかしシェリーは千梨に顔を向けることなく、真っ直ぐと通路の先を見据え、ぽつりと溢す。
「凄いと思いました。シルヴェニティア側の生徒の魔法は、オレでは恐らく破ることができなかった」
「は……」
何を言われているのか咄嗟に理解できず、千梨は間の抜けた声を発してしまう。
シェリーはそんな千梨等気にすら留めず、続けた。
「精神に作用する魔法を解くのは、そう簡単なことではない。それに因る傷が深ければ深い程に。千梨先輩にとってのトラウマが何なのかまでは分かりませんが、生半可なものでもないでしょう……純粋に、称賛します」
「……何で貴様は我のことになると、いちいち上からなんじゃ」
自覚がなかったのか、シェリーが小首を傾げる。
「そう、ですか? そんなつもりは全くないんですが……オレは千梨先輩のことも、尊敬してますよ」
「……貴様、大丈夫か? クロムとの試合で、どこか怪我でもしたのか? 頭とか」
「オレは砂利がちょっと掠めた程度なので、大怪我している先輩程ではないですね」
「ぐぅ……」
とんだ反撃を喰らい、千梨は黙り込んだ。
すると自身を支えるシェリーの口元がうっすらと綻んだのに気付き、意表を突かれる。
「……本当に変わったな」
「何がです?」
「切欠は特別演習の時に貴様を引き留めた、あの橙色の髪の少女じゃろう? 良い友人と、出会えたのじゃな」
「……」
「シェリー。貴様のことは苦手なままじゃが、前程ではない」
「……苦手なのは変わらないんですね。面白い人だ」
その時、ワアッという歓声が沸き上がり、二人の会話を遮った。
そろそろ試合が始まるのだろうか。この黄色い声はクリスのファンか。賑やかなことだ。
「――行きましょうか。オレも、クリス先輩の試合は見たい」
「そうじゃな……あのアイリスにどこまで先輩が食らい付くのかは、我も見てみたい」
「……? 強いんですか、そのアイリスって人は」
「剣聖と言っても過言ではない。貴様とはまた違った強さだ。剣に特化した、な」
『剣聖』とは特に四大騎士に伝わる言い方で、主君に剣の腕を認められた者のことである。
実際に剣聖がいたとされるのは遥か昔の話で、今となっては『素晴らしい剣の腕前を持つ者』といった意味で使われることが多い。
最も『剣聖』という言葉自体が、時代と共に重要な式典といった公の場位でしか使われなくなったのだが。
口を動かしながら歩いていると、その振動が頭に響く。千梨は顔を顰めつつ、先程より慎重に歩みを進めた。
「どちらが、勝つと思いますか」
シェリーが静かに尋ねる。
その声には、どこか恐怖や怯えのようなものが混じっているような気がした。
アメジスト寮の生徒にとって、最高学年のクリス・ベリルは精神的支柱のようなものだ。
それ故に彼女の敗退は中々想像できるものでもないし、したいものでもない。それは千梨とて同じである。
しかしアイリスのことも多少なりと知っている千梨は、今回ばかりは他の者達のように、クリスの強さを盲信できなかった。
「――アイリス・フォン・レガリア。恐らくこの予想が覆ることはないと、我は思う」
再度上がった歓声が、どこか遠くに聞こえた。
第15話 不思議の国の夢のお話 完
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