第15話 不思議の国の夢のお話②


「ムゲンダケだ……!」



 千梨が巨大茸の胞子を吸って膝を突くと同時に、ミリセントが言った。



「ムゲンダケ?」



 鸚鵡返しに尋ねたアリスに、真剣な表情のミリセントが続ける。



「地方によっては麻酔薬にもなるんだよぉ。依存性はないけど、効果が強いんだよねぇ」



「それって危ないってこと?」



「うんとね、本当に危なくない薬っていうのはないんだぁ。だって皆、使う人、使い方次第だからねぇ。使い方によっては毒にも薬にもなる、あの茸も同じだよぉ」



 その説明に、アリスはフィールドでその存在を主張しているムゲンダケを恐々と見た。



「じゃあ、あのきのこの効果は痺れさせるとか、麻酔みたいなものなの?」



「ううん。それは他の材料もないとできないんだぁ。ムゲンダケのみの場合は、文字通り幻覚を見せるの。それも悪い方の」



「……あの先輩、顔に似合わずエグい戦い方をするのね」



 げぇと舌を出すレイチェルに、アリスも同意した。

 優しげで可愛らしい見た目の先輩だが、やることといい言動といい、恐ろしい。

 しかしそこに、エドワードの「ふーん?」という愉しげな響きを纏った呟きが聞こえた。

 意味深なそれが気になったアリス達は、彼を顧みる。



「どうしたの、エドちん?」



「うん? ああ、いや……幻覚は、千梨には悪手だったなって思ってな」



「えっ、何で?」



「千梨は養子とはいえ曲がり形にも四大騎士、フェルト家の人間だ。元々は日ノ輪国の武士の家に産まれ、生家の期待を背負い、このヨル=ウェルマルク新興国にやって来た。だからアイツは他の奴よりも反骨精神が強く、意地がある。幻覚ごときで、どうこうなるような奴じゃないはずだ」











 千梨は見覚えのある庭に立っていた。生家の九十九つくも家の庭だ。

 ここに来る直前までの記憶を、何とか捻り出す。


 千梨は日ノ輪国より遠く離れたヨル=ウェルマルク新興国のテラスト魔法学校で、シルヴェニティア魔法学院からの交換留学生である、マリー・エリミールとの試合の途中だったはずだ。


 なのに何故こんな所にいるのだろう。夢でも見ているのだろうか。

 もしくはあの茸の胞子に、幻覚を見せる性質があったのかもしれない。


 目の前には今より幼い姿の千梨が、竹刀を振っている。懐かしい。この頃はまだ自分の刀を持っていなかったため、修行のお供はいつもこの竹刀だった。

 フェルト家に養子に入る際、父から刀を一本渡されたが、まだ一度も使ったことはない。

 『この刀はフェルト家当主となった時に使う』。それが千梨の中での決め事でもあった。



 自分の幼い頃の姿を客観的に見ることができる機会等そうそうないので、つい色んな角度からまじまじと観察してしまう。

 今も身長は小さい方だが、この姿は更に小さい。まだ九十九家にいるということは、六歳か七歳位か。そんな子供が自分の背丈程の竹刀を持ち上げ、ふらつきながらも素振りをしているのは、幼少の自分といえども微笑ましさがあった。


 汗を流しながら竹刀を振る子供の横顔を眺めていると、がっしりとした体格の、顎髭を蓄えた男性が姿を現した。年の頃は初老を多少過ぎた位だろうか。



「父上……」



 実父の平八郎だ。千梨がフェルト家に養子に入ってからは、お互いけじめをつけるために顔を合わせていない。

 今頃、何をしているのだろうか。千梨が郷愁の念に駆られていると、父が幻覚の千梨に話し掛けた。



「精が出るな」



「父上! いえ、これ位何てことありません。我は強くなります。兄上達にも負けない位。そしてフェルト家の方々の期待に応えてみせます!」



 そうだ。既にこの頃には、千梨がフェルト家の養子になることは決まっていた。


 九十九家は元々は武士の家系で、一昔前は名のある主君に使え、名実を欲するがままだった。

 しかし今ではその片鱗もない。時代が変わったのだ。武術より呪い魔法が台頭し、剣術は古臭いの一言で無下にされるようになった。

 特に日ノ輪この国は東大陸の中でも呪い、否、魔法についての研究はかなりの遅れをとっている。

 そんな国の人間である千梨を、是非養子にと言ってくれた家、それがフェルト家だ。


 切欠はフェルト家の当主夫妻が長らく子宝に恵まれず、気鬱な日々を過ごしていた頃、偶然出席した国籍問わずの剣術家達の集まりで、平八郎と隣り合わせの席になったらしい。

 しばし語らう内に意気投合したフェルト家の当主と平八郎は、そこで約束事を交わした。



『フェルト家に平八郎の娘、千梨を養子にする代わりに、九十九家へ金銭的な補助をして欲しい』



 簡単に纏めてしまえばこのような内容だった。

 千梨には年の離れた優秀な兄が二人いる。九十九家は長兄が継ぎ、次兄は寺小屋を経営する傍ら、剣術の師範として身を立てることとなっていた。

 女である千梨に家を継ぐことはできないし、何より自分より優秀な兄が何とかしてくれる。ならば千梨には、相応の年になったら嫁ぐという選択肢しかなかった。


 しかしそれは嫌だった。次兄のように剣術に生きたい。子供ながらにそんなことをぼんやりと考えていた矢先、フェルト家から養子の打診があった。

 正直、渡りに船だった。何なら神の救いかとも思った程だ。

 千梨は一も二もなく頷いた。自分は剣術を続けることができて、フェルト家には後継者ができ、九十九家はフェルト家から受け取る金銭で、暮らしを少しでも良くできる。良いこと尽くめだ。



「すまない。これでは金の為にお前をフェルト家へ売ったようなものだと思われても、仕方がない」



 疲れた顔をして深く頭を下げる父の黒い頭髪に、白く光るものが幾筋かあった。

 こんなに小さい人だっただろうか。もっと逞しい人だと思っていた。

 最後に見たのは、千梨を迎えに来たフェルト家の当主に頭を下げる、父の姿だ。



「いいえ、父上。我は嬉しいのです。嫁になど行きたくない。我は剣の道を歩んで生きたい。それが叶うのですから、何故父上が謝る必要がありますか」




『本当に、そう思うのか?』




 先程まで朗らかに話していた子供の千梨が、突然表情をなくしてぐるりと千梨の方を向いた。

 人間には到底有り得ない首の曲がり方に、千梨は一歩足を引いた。視線を父へずらすと、彼は虚ろな目で千梨を見詰め返す。

 子供の千梨が捲し立てる。



『先に産まれただけの兄が羨ましいと、憎たらしいとは思わなかったか? 養子になるなら、次兄の京太郎けいたろうでも良かったはずだ。父上は女である我を、厄介払いしたかっただけではないのか? フェルト家は、まんまといらないものを押し付けられただけなのでは?』



 確かに口では何とでも言えたが、そう考えたことがあるのは事実だ。

 初めてフェルト家の養子になることを伝えられた時は、捨てられたのだと、そう思った。

 だが――。



「そうは思わん」



『……何故、そう言える?』



 子供の千梨が不思議そうに首をかたむけた。見ていてハラハラする。いつか千切れそうだ。幻覚とはいえ同じ顔の人間の首が胴体と離れる様は、見たいものではない。



「我は今、幸せじゃ。フェルト家には学校にまで通わせてもらい、日ノ輪国では到底学ぶことのできなかったじゃろう魔法の勉強を、させてもらっている」


「アメジスト寮の数少ない同胞もいる。慕ってくれる後輩達、気に食わない小生意気な後輩、尊敬できる先輩、生徒を思ってくれる先生が。これは『九十九千梨』ではなく『千梨・フォン・フェルト』でしか繋げなかった縁じゃ」


「結果として銭のために我を売ったのじゃと、父上は未だにそう思っているのかもしれない。後悔しているのかもしれない 。だが、


「我は『千梨・フォン・フェルト』じゃ! これは我の人生、我のもの。そこに他人の感情等、微塵も関係ない! 残念じゃったな、マリー・エリミール! 我にこんな幻覚は効かん!! 何故なら、」




「我が我である限り、今までの人生を、運命を、狂う程に辛い等と思ったことは、一度としてないのじゃ!!」




 幻覚の中で、千梨は持てる魔力を放出させた。それはマリーの魔力を上回り、彼女の幻覚を内側から押し破る。

 そして身体がふわりと浮かぶような感覚がして、現実世界へと戻るのだと直感的に分かった。

 最後に幻覚の父が眩しそうに目を細め、微笑んだ、ような気がした。











 微動だにせず、膝を突いて俯いていた千梨の身体から、突如大量の魔力が放出された。

 その衝撃波でムゲンダケが全て薙ぎ払われる。

 反射的に目を閉じてしまったマリーが次に目を開けた時に見たのは、手負いながらも立ち上がり、真っ直ぐにマリーを見詰める千梨の姿だ。



「自力で脱け出したんですね、凄いです。中々できることじゃありませんよ。大抵の人は心が壊れる方が先なので。屈強な精神力です……でも私が優勢なのは変わりません」



 マリーが話している側からメキメキと木々が生え、次々に動き出す。

 しかし千梨は一切動じず、その場にただ立ち尽くしていた。魔力切れか。だが彼女から降参の言葉が出ていない以上、試合は続行だ。

 マリーは木々達に、千梨を狙うよう指示をする。彼等はそれを忠実にこなそうとした。



「気に食わない小生意気な後輩がな、」



 ぽつりと、千梨の独白が耳に入った。

 だがそれを聞いた所で、マリーは攻撃を止めない。一体何を言うつもりなのかと、彼女は目を細めた。



「よく、魔力を放出させて攻撃を防ぐのじゃ。あんな荒業、魔力の多い人間にしかできない芸当じゃが、いざやってみると相手から距離も取れるし、戦法の幅が広がることが分かった」


「とても癪じゃが、これもシェリーのお陰じゃな」



 そう言うが早いか、千梨は持っていた石刀を地面に勢い良く突き立てた。その刀を起点に、フィールドに砂嵐が発生する。

 そして千梨は残る魔力を全放出し、針の如く鋭い巨大な土の柱を何本も出現させる。

 それは彼女に襲い掛かろうとしていた木々を全て切り裂き、マリーのいる巨大樹の約半分を抉り取った。


 マリーの創り出した植物は全て千梨の魔法によって耕されてしまう形となり、巨大樹以外は土へ還る。

 体の半ばを失った巨大樹は、ミシミシと音を立てながら欠損部分より折れ始めた。

 巨大樹の枝の上に立っていたマリーは木が折れた衝撃で体勢を崩し、立て直す間もなくフィールドへと落下した。二階席に相当する高さから落ちれば、ひとたまりもない。



 千梨は防御魔法を展開しようとするが、魔力をほぼ使い切ってしまっているため、マリーを受け止められる程の強度のものは創れない。

 気の抜ける音と共に消失した防御魔法に舌打ちし、千梨は走り出そうとした。

 己を下敷きにすることで、身を挺してマリーを庇おうとしたのだ。大怪我をするだろうが、優秀な保健医の李紅花リホンファが治してくれるだろうと高を括った。

 それに、マリーが死ぬよりはずっとずっとマシだ。



 しかし千梨の足は一歩も進まず、膝から崩れ落ちた。地面に両膝を強打するも、最早その痛みすら分からない。

 ぐわんぐわんと頭が回る。全身強打に頭からの出血に加え、魔力切れときた。むしろ今まで立っていたことの方がおかしい位だ。

 膝を突いた体勢から、千梨の身体はそのまま倒れ伏した。何とか顔を上げ、指先で無理に魔力を練る。しかし無い袖は振れぬ。

 視界の隅に、魔法を行使しようと慌ただしく動く、幾人かの教師の姿が見えた。

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