第22話 君がどこに行きたいか③
愛好会の活動を終えたアリスは、少し時を置いてから消灯時間を大分過ぎた校内を歩いていた。
決して迷子になっている訳ではない。……多少は迷ったのだが。
アリスはガーネット寮のある南棟を目指していた。正確には南棟にある教室を。
――いると良いのだが。
彼女の特殊な時間割を、アリスは全く把握できていなかった。
レイチェルならば話は違うのだろうが、突発的な思い付きなので相談する時間がなかったのだ。
南棟の二階の教室はどこも電気が点いておらず、アリスは落胆する。
しかしまだ一階があると自分を励まし、階段を静かに下りた。
見回りの教師に見付かり、自寮へ強制送還されては困る。
まるで空き巣に入った泥棒のような気持ちで歩を進めると、一室だけ明かりが点いている教室があった。
そっと近付き中を覗くと、白いブランケットを頭から被った、馴染みのある後ろ姿が飛び込んで来た。
慎重に教室内を窺い見ると、どうやら教師はいないようだ。アリスは小さく安堵の息を吐き、教室の扉を開ける。
物音に気付いたブランケットゴーストが、勢い良く振り返った。風を切る音が聞こえてきそうだ。
「……アリスちゃん?」
「うん、急にごめんね。カーミラちゃん」
見知った人物であることに安心したのか吸血鬼のハーフ、カーミラ・シルヴィが被っていたブランケットを膝の上に折り畳んだ。
「これから授業?」
「ううん、今は自習時間。今日は特別、二時間位時間が空くんだ」
座って話して良いかと尋ねると、カーミラが近くの椅子を指し示した。
アリスはそこに腰掛けると、訪問の目的を告げる。
「文化祭の時、私の様子がおかしいのをレイちゃんとミリィちゃんに伝えてくれたって聞いたの。本当にありがとう」
「えっ、えっ。そんな、お礼なんて良いよ……! 私もアリスちゃん達にはお世話になったし、むしろ無事で良かった」
二人で頭を下げ合う姿は、端から見れば滑稽極まりなかっただろう。しかし当の本人達は、至って大真面目だった。
ようやく礼の言い合い合戦が終わり、カーミラが遠慮がちに口を開く。
「……アリスちゃん、変わりはない?」
「え?」
「何だか、落ち込んでいるように見えたから……私の気の所為なら、良いんだけど……」
言葉を探すように、豊かな胸元に落ちるウェーブ掛かった黒髪を弄ぶカーミラ。
白を通り越して最早青白くさえもある細い指と黒髪のコントラストに、気弱で大人しい彼女が半分とはいえ、間違うことなく夜闇を生きる吸血鬼の血族であることは一目瞭然だった。
「……うん。少し悩んでる、のかな」
シェリーに謝りたい。学校に戻って来て欲しい。
しかしそれらの願いを一学生であるアリスが叶えることは、土台無理な話だった。
「ちょっと自分の力ではどうにもできなくて、行き詰まってる感じかな……」
「……私もね。この身体に流れる吸血鬼の血は自分ではどうにもできないから、悩むこともあったんだ」
俯いたカーミラが、膝の上のブランケットを握り締めた。
白いブランケットに皺が寄り、当時の彼女の心情を思い起こさせる。否、アリスも同じようなものか。
「でもね。アリスちゃん達が、そんな私を変えてくれた。……私一人の力ではアリスちゃん達のようにできないかもしれないけど、話は聞いてあげられる。二人なら、何か策が浮かぶかもしれない。私じゃなくても、レイチェルちゃんでも、ミリセントちゃんでも良い。……でも決して、一人で結論を急がないで。約束だよ、アリスちゃん」
魔力が乗っているかのように、強い言葉だった。まるで魔法だ。
常日頃のおどおどとした様子からは想像できないカーミラの真剣な
カーミラがここまで長々と話すのを、初めて聞いた。話し方も以前よりは明瞭としていて、自信が付いたようにも思う。
「……カーミラちゃん、本当に強くなったね」
「えっ!?」
「前はもっとこう、おどおどしてたから。……凄く頑張ったんだね」
カーミラが頬を赤く染めて目を泳がせた。肌が白い分、解りやすい。
彼女を見ていると暗いトンネルの中に一筋の光明が射したような、長い迷宮を脱け出して新鮮な風をこの身に浴びたような、そんな心地になった。
「――ありがとう、カーミラちゃん。何だか少し元気が出たよ」
「私まだ何もしてないよ……?」
「ううん。そんなことない」
カーミラが不思議そうにしていたが、アリスは言葉を重ねることをしなかった。
元々は礼を伝えに来たのだが、それを上回る以上のものを貰ってしまった。
ひた向きに努力する彼女と話せて良かった。今後自分がどうしていくべきか、少しだけ見えた気がする。
次の授業を担当する教師がやって来るまで、二人はお互いの話をした。
カーミラに同寮の友人ができ、今日のアリスのように時々遊びに来てくれるといった話から、真夜中の授業であるため、時折先生が居眠りをしてしまうという話。
アリスはカーミラとも顔見知りのミリセントやレイチェル、そしてシェリーの話をした。カーミラにシェリーの話をするのは、これが初めてだ。
カーミラからどんな反応が返ってくるのか多少不安だったが、彼女は「シェリー・クランチェさんと友達なんだ、綺麗な人だよね」と、至って普通だったため内心ほっとした。
カーミラもシェリーも、夜のひっそりとした静けさがよく似合う。
シェリーにとって夜は『サーカス』を思い出させるだろうから、余り気分の良いものではないだろうが。それでも月下に見る彼女達は、この世のものとは思えない程妖美だろう。
綺麗過ぎるっていうのは、最早美の暴力だよねと独り言ち、アリスはカーミラとのお喋りをしばし楽しんだ。
アリスにはカーミラの他にもう一人、礼を言わねばならない人物がいる。
彼女とは操られていた時にしか顔を合わせていないので、かなり気不味い。更には結構な暴言を吐いた記憶もあるため、気不味さは倍増だ。
でもカーミラから少しの勇気を貰った。だから大丈夫だ。
――サファイア寮一年、ケイト・インフレイム。
文化祭の日、麗と匂い袋との関係性に真っ先に気付いた、あの占い師の少女。
彼女とも、会って話さなければならない。
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