第22話 君がどこに行きたいか④

 思い立ったアリスの行動は早かった。


 休み明け、月曜日の放課後。

 アリスは目的の人物――ケイト・インフレイムを求めて、サファイア寮のある北棟の教室をしらみ潰しに探していた。

 情報通のレイチェルによれば放課後のケイトは空き教室で一人ぼんやりしていることが多いという話だったので、このような強硬手段になった。



 しかし放課後とはいえ、生徒はまだ残っている。

 当然北棟にいる彼等は青色のリボンやネクタイを締めているため、緑色のリボンでうろうろしているアリスは悪目立ちしていた。

 人の目が気になり、アリスは足を早めた。

 すると幾つか教室を通り過ぎた所で、お目当ての人物を発見する。



 ケイトは机の上に何かを広げ、心ここに在らずといった様子でそれを眺めていた。教室内には彼女以外誰もいない。

 一応声を掛け入室するも、彼女がアリスに気が付く様子はなかった。

「あの~……」と恐る恐る声を掛けるが、ケイトの視線は机の上の一点に定められ全く動かない。


 近付いて見てみると、机の上のそれは美術的な絵が描かれたタロットカードだった。

 何かを占っているのか六角形の形に並べられたカードと、その中央にも一枚。計七枚のカードが置かれている。

 物珍しさから机上をまじまじと眺めていると、ケイトは身動ぎ一つせず背を向けたまま言った。




「――貴女が来るのは、分かってた。昨日の占いに、そう出たから」




 驚いたアリスは素早くケイトから身を引くと、しどろもどろに謝罪した。



「ごっ、ご、ごめんなさい! 勝手に見ちゃって! でも私、天文学も占星学も成績悪いから!!」



 ――だから何だというのか。

 咄嗟に言い繕ったものとはいえ余りに情けない言い訳に、アリス自身もがっかりした。

 だがケイトは馬鹿にするでも笑うでもなく、きょとんと目を瞬かせる。



「……学校の成績と、占いの腕は関係ない」



 アリスが言いたいのはそういうことではなかったが、話が続かないので無理矢理本題に入ることにした。

 ケイトの話し方は独特で、何を言っても会話が平行線になるような予感がしたのだ。



「あの、初めまして。私、アリス・ウィンティーラって言います。文化祭の時助けてもらったって聞いて、お礼を言いたくて。それに、貴女に酷いことも言ったって聞いたから……本当にごめんなさい」



「気にしないで……私は視えたから忠告しただけ。貴女から伸びる、えにしの糸が」



 ケイトが広げられたタロットカードを、愛おしそうに撫ぜる。



「……何を占ってるの?」



 口にしてから出会ったばかりで踏み込み過ぎてしまったかとも思ったが、もうどうしようもない。

 しかしケイトは特に気にした風でもなく、あっさりと言った。



「貴女のこれから運命



「――ええっ!?」



 レイチェルから彼女の占いは良く当たると耳にしていたので、何を言われるのか身構えてしまった。




「……貴女の過去は、もう取り返しがつかない。誰にも、もうどうすることもできない」




『アリスの過去』――それは記憶を失う前のことか。ならばもう、記憶が戻ることはないのだろうか。




「今の貴女。……焦らないで。待っていればいずれ、待ち人は来る」


「未来の貴女。……大きな困難が待ち受けている。貴女も貴女の周りの人も、沢山の傷を負う。そして、受け入れ難い真実に直面するかもしれない。でも、全てが悪い方向に働く訳ではない」


「……貴女は、周りの多くの人に支えられているのね。その人達を大切に。些細な出会いも、大事にした方が良い。彼等はいつでも、貴女の助けになるわ」


「――このまま進んで行けば、貴女は貴女の物語に必ず触れる。それは大きな変化。恐らく、貴女の今までを変えるもの。……どうか、受け止めて」




 神の宣託のように厳かに伝えられるそれに、アリスは口を挟む余裕もなく反射的に頷いた。

 ケイトは手早くタロットカードを片付け、席を立つ。

 唖然としているアリスに、ケイトが微かに笑った。



「……言ったでしょ。『来るのは分かってた』って。私は、貴女を待ってたの」



 ケイトはそう言い残すと紫紺の髪を揺らし、ゆったりと歩み去った。立ち尽くすアリスが、一人取り残される。

 アリスは小さくなるケイトの背中を呆然と見送っていたが、部活中の生徒の威勢の良い声に我に返りエメラルド寮の道を戻った。


 何だか、狐につままれた(日ノ輪国では、訳が分からないことをそう言うらしい。サラから聞いたことがある)ような気分だった。











 ケイトとの衝撃的な邂逅をした、その翌日の放課後。

 アリスは思う所があり、シェリーと会うために使用していた空き教室へと足を運んでいた。

 今日は今の時季にしては珍しく暖かい日で、そのため朝から雨が降っていた。どんよりとした天気に、アリスの心も沈む。


 アリスは、いつもシェリーが使っていた白いベンチを窓越しに覗いた。そこには誰もおらず、心なしか寂しげな景色に見える。

 雨が降っているのだから、誰もいなくて当然だ。



 ――いや。

 それ以前に、シェリーはテラスト魔法学校ここにはいない。



 雨だろうと晴れだろうと、彼女が学校にいないのだから、あのベンチが埋まることはないのだ。


 初めてこの窓越しにシェリーとやり取りした日。アリスは、孤児院によく姿を見せていた黒猫を彼女に重ねた。


 しかしその猫は、アリスが知らぬ間にひっそりと命の灯火を消していた。


 ――彼と同じように、自分の知らない所でシェリーの命が失われてしまったら。


『サーカス』の存在を身近に感じた今回の文化祭で、実際にそのようなことがあってもおかしくないのだと思い知った。


 次いで脳裏を過ったのはシェリーが住む街、ヴェルフェクスで起こった出来事だ。

 『サーカス』により伝統の街イストリアが闇属性の魔法で包まれた時、彼女は身一つであの場に向かおうとしていた。



 ―――今回の文化祭も同じだ。



 シェリーは良くも悪くも、自分の意思に正直だ。そしてそれ以上に、懐に入れた人間には甘い。根が優しいのだ。

 だからこそ、そこを突かれた。シェリーと長らく共に過ごして来た『サーカス』には、彼女が取りそうな行動など手に取るように解っただろう。



 アリスは、シェリーの弱点にしかならなかった。


 ただただ悔しくて、腹立たしかった。


 それを十二分に解っていたのだろうリーも、守らせてしまったシェリーも、何より無力な癖に危機感のなかった己が、一番許せない。



 アリスは固く握った拳を窓枠に叩き付けた。

 何度も、何度も。



 何回、何十回目だろうか。

 拳を再度窓枠へ叩き付けようとした時、その手を後ろから止められた。

 振り返ると眦を吊り上げたレイチェルと、悲しげな顔のミリセントが立っていた。

 レイチェルは掴んだアリスの腕を、強引に下げさせる。



「……やっぱりね。ここにいると思ったわ」



「アリスちゃん、手が赤くなってるよぉ。……寮に戻ろう?」



 優しい口調で寄り添ってくれる彼女達を前に、抑え込んでいた感情が決壊した。

 夏の空のようなアリスの青の瞳から、大粒の涙が溢れる。それは頬を濡らし、顎先を伝って流れて行く。堪えられなかった嗚咽が、雨音に混じって微かに洩れた。



「悔しいよぉ……! 私、私っ、何も、何も気が付けなくて、自分が許せない……!」



 わあわあ泣き喚くアリスの訴えは、感情も昂っているのも相俟って支離滅裂だった。

 しかしレイチェルもミリセントもそれを指摘せず、無言でアリスを抱き締めてくれた。

 触れる彼女達の身体も、小さく震えていた。泣いているのだろう。

 アリスは自分のことで精一杯で、彼女達を労ることが出来なかった。






 いつの間にか座り込み、団子のように固まって鼻を鳴らしていたアリス達の耳に、コツコツという控え目な物音が届いた。

 赤縁眼鏡の奥を赤く腫らしたレイチェルが、真っ先に顔を上げる。続いてアリスも顔を上げると、薄暮れの中に目にも鮮やかな赤い傘が飛び込んで来た。



 窓越しの雨の中、アメジスト寮のクリス・ベリルが、赤い傘と白い袋を片手に困り顔で立っていた。



 彼女はアリス達の方を指差して何事か言っていたが、如何せん雨音でよく聞こえない。

 アリスが適当に頷き返すと、にっこりと笑ったクリスが踵を返した。

 赤い傘が離れて行き、遂に視界から消える。


 レイチェルが鼻の詰まった声で「何なの……?」と訝しげに呟く。その隣ではミリセントが制服のポケットから取り出したハンカチで、目元を押さえていた。

 アリスがゆるゆると立ち上がりブレザーの袖で顔を拭うと、レイチェルとミリセントも倣って立ち上がる。


 教室内に湿っぽい空気が漂う中、バタバタと騒がしい足音が近付いて来る。

 それはアリス達がいる教室の前で止まったかと思うと、次の瞬間入り口の扉が騒々しく開け放たれた。



「よお、邪魔するぞ~!」



 傘はどこかに置いて来たのか右手に持った白い袋を掲げながら室内へと入って来たクリスに、レイチェルが「酔っ払いのおじさんじゃない……」と突っ込みを入れたのをアリスの耳が捉える。

 想像するとそれ程違和感がなく、クリスには申し訳ないがアリスは噴き出してしまった。

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