第22話 君がどこに行きたいか⑤


「いやー、会えて良かったよ。お前等に会うために、ここに足繁く通った甲斐があったな!」



 クリスが豪快に笑いながら、椅子にどっかりと腰掛けた。

「まあまあ、お前等も座れよ!」とクリスに促され、他寮といえども先輩の言うことには従うべきかと、アリス達はそれぞれ近場の席に座った。


 自身を含めて円を描くように座った後輩達に満面の笑みを浮かべたクリスは、持参した白い袋に手を突っ込むと、次々に菓子を取り出していく。

 菓子は机の上を占領し、あっという間に小さな山を作り上げた。袋の中から魔法のようにどんどん出て来る菓子に目を白黒させていたアリス達は、開いた口が塞がらない。

 そんな後輩達の困惑も尻目に、クリスが一番上にあった箱菓子を手に取った。



「ちょっと付き合ってくれよ。アタシの愚痴とやけ食いにさ! これはその報酬な!」



 今からその報酬を食べるのでは?と思ったが、菓子を持って来たのはクリスの手前、アリス達は無言で頷いた。



「本当さ~、確かにアタシが『アリスを追い掛けろ』って言ったけどさ、そのまま『サーカス』と戦うなんて考えられるか普通!? しかも、戦いが終わったと思ったら戻って来ないし!」



 菓子の箱を開けたクリスは、宣言通りやけ食いをし始めた。話の内容はシェリーに対するもので、愚痴というより恨み節に近い。

 文化祭のことに対し思うことがあるようだが、そもそもの原因がアリスにあるため「すみません……」と俯くと、目の前に棒状のチョコレート菓子が突き出された。



「お前が悪いんじゃない。そこは履き違えちゃ駄目だ。あれはシェリーの意思だし、たとえそこにお前の存在があったとしても、お前が落ち込んでたらシェリーが身体を張った意味がないだろ」



 クリスは封が切られた菓子の箱を、アリスへと差し出す。反射的に受け取った彼女に、クリスが白い歯を見せた。

 アリスはその箱から菓子を摘まむと、レイチェルとミリセントにも回して行く。



「あの、シェリーは……アイツの処遇は、まだ決定していないんですか?」



 レイチェルが真剣な面持ちで尋ねた。

 情報に敏感なレイチェルが知らないのだ。箝口令が敷かれているか、まだ未定であるか、もしくは秘密裏に決定していて、もう事が済んでいるかのどれかだろう。

 どんなに情報通とは言え、レイチェルとて学生だ。彼女にそこまでの情報を知る権利も、伝手もない。新聞記者だという彼女の父とて、どこまで調べることができるのかは怪しい。



「ああ。ジスト先生が言うには、この件に関しては元首のアーリオ・プティヒに一任されているそうだ」



「元首……」



 新聞を読まないアリスですら知っている、この国のトップである人物の名前が挙がり、アリスは二の句が継げない。シェリーの存在、そして今回の彼女の行動というのは、それ程までに重大なのだ。

 今まで『サーカスのシェリー』の片鱗にしか触れたことがなく、またそれも数える程度であったアリスは、世間一般と自身の認識に酷く隔たりを覚えた。



「ジスト先生、シェリーちゃんに会えたんですねぇ」



 ほっとした口調のミリセントに頷いたクリスが、今度は袋菓子に手を伸ばした。

 箱菓子はいつの間にか空になっており、空き箱はきちんと折り畳まれていた。彼女の性格が窺える。



「いつから学校に戻れるかが分からないから、単位代わりの提出物を渡しに行ったんだってさ」



 アリス達三人が共通して思い浮かべたのは、あの分厚いプリントの束だ。

 アリス達自身も提出しなければならないため、苦虫を噛み潰したような顔になってしまう。三人分のそれを真正面から見る羽目になったクリスが「ははっ」と愉快そうに笑った。



「単位の心配をしたのはシェリー本人らしくてさ。アタシ、ちょっと驚いたんだ。アイツ結構さ、悲観的な所があるじゃん? だから学校に戻る気なんてないんじゃないかって、内心思ってたんだ」


「でもアイツはきちんと、学校に戻って来るつもりだった。嬉しかったよ……でも、少し悔しい」



 クリスは中途半端に齧っていた、芋を薄く切って揚げ塩で味付けした菓子を、全て口に含んで食べ切った。パリパリという小気味良い音が、彼女の口内から響く。



アリスお前が、お前達がシェリーを良い方向へと変えたんだ。アタシ達アメジスト寮の生徒の方が、一緒にいた時間は長かったのに……それがほんの少し、ほんの少しだけ、悔しい」



 クリスが無言で芋の揚げ菓子へと手を伸ばす。彼女はそれを一度に三枚程手に取ると、一気に口へと放り込んだ。『やけ食い』とは言い得て妙だった。

 同寮の先輩としてシェリーに心を砕いてきたのだろうクリスの弱音に、アリス達はどう声を掛けて良いか分からず、目を伏せた。教室内にしんみりとした空気が流れる。

 しかしそれを破ったのも、矢張クリスだった。




「……あー、悔しい! 悔しいから、腹いせに昔のシェリーの話をしてやるな! アタシ、実は最初アイツのことが苦手でさあ!!」




 突然大声を出したかと思うといきなりつらつらと話し始めたクリスに、アリスは困惑する。

 何と言うか、本当に酔っ払いのような調子だ。先程のチョコレート菓子に、アルコールでも含まれていたのだろうか。

 レイチェルもミリセントも稀に見るクリスの様子に狼狽えていたが、それよりも彼女の話の内容の方に気を引かれたのか、黙って別の菓子の袋を開けていた。

 聞く体勢は万全ということか。二人共ちゃっかりしている。



「アタシがシェリーに会ったのはアイツが中等部一年で、アタシが中等部三年の頃の話だ。当時のアメジスト寮には、まだアタシと千梨しかいなくてさ。アタシ達も『サーカス』の元メンバーが来るって聞いてたから、警戒してた。……そんな中にシェリーが編入して来たんだが、千梨は最初からシェリーを苦手に思ったみたいで、最低限しか関わらなかった。それでまあ同じ寮にいて仲悪いのもなと思ったアタシは、ちょいちょいシェリーに声を掛けてたんだ」


「でもアイツ『構わないで結構です』の一点張りでさ。さすがのアタシも怒った訳だよ」



 当時の二人のやり取りが、容易に想像できた。

 クリスがシェリーの言い方を真似したため、イメージが更に鮮明なものになる。



「それでしばらく本当に構わなかったんだけど、でもアイツ全く気にした感じもなくてさ。『もう勝手にしろ!』って思ってたある時、高等部の女の先輩と仲良さげに話してる所を目撃したんだ。丁度、前のお前等みたいな感じで。窓越しに喋っててさ。見たことない顔で笑ってるもんだから、友達がいるなら安心かって思った」


「その先輩は結構頻繁に会いに来てたよ。気の弱そうな、大人しそうな感じの人でさ。今思うと多分あの先輩、クラスで少し浮いてたんだろうな。シェリーが『サーカス』の元メンバーだったってことは暗黙の了解……公然の秘密みたいな扱いだったんだ。当然、噂なんて一瞬で出回る。たとえ顔を知らずとも、あんな目立つ容姿じゃ誰でも一発で『サーカスのシェリー』だって分かるさ」


「でも、秘密はいつかバレるものだろ? 何かの拍子にクラスメイトから聞いたのか、先輩はシェリーにぱったり会いに来なくなった。それでも一ヶ月位かな、シェリーはいつも先輩と会う教室の近くで、毎日のように待ってたんだ……あのベンチでさ」


「アタシそれが無性に癪に触ってさ、一回シェリーと取っ組み合いの喧嘩をしたことがあるんだよ。あの頃は若かったなぁ~」



 魔力の保有量も遥かに自身を凌ぎ、尚且つ『サーカス』元メンバーのシェリーと取っ組み合い……情報量の多さに相槌すら放棄するアリス達。レイチェルは最早突っ込む気力すらないのか、だらしなく背凭れに凭れ掛かっていた。

 クリスは、アリス達の反応等気にした様子もなく話を続けた。



「『お前を怖がってるんだから、もう来る訳ない!何を期待してるんだ!』って怒鳴ったアタシに、シェリーが言ったんだ。『貴女に言われなくても、分かってる。信じるのはもう止める、今日で終わりだ』って。そしたら次の日から、ベンチに寄り付きもしなくなった」


「それから元々少ない口数も更に減って、アタシは怒鳴った手前ばつが悪くなった……勝手だろ? それで一度、千梨も巻き込んで購買に誘ったんだ。昼御飯を一緒に食べて、お互い歩み寄る切っ掛けになれば良いと思って。三人しかいない、寮の仲間だから。あと、単純にシェリーと二人きりが気不味かったのもある」



 今のクリスとシェリーの関係性しか知らないアリスにとっては、目から鱗の話だった。アリスと同じく高等部からの入学だったミリセントも、興味深そうにクリスの話を聞いている。

 唯一レイチェルだけは中等部からテラストに通っているが、高等部内にあるアメジスト寮と中等部では敷地が離れているため、当時のことを詳しくは知らないのだろう。彼女の反応も、アリスやミリセントと変わらないものだった。



「そう言う訳で、アタシ等は購買部に向かった訳だが……正直『サーカス』への認識が、アタシも千梨も甘かったんだ。これは事実として言うけど、アタシ達アメジスト寮の生徒はそんじょそこらの奴よりは断然強い。だからその時のアタシ達は、他の奴等より『サーカス』に対する危機感が甘かったことは認める。それにアタシも千梨も、『サーカス』から直接的な被害を受けてなかったから……イオステュール出身のお前の前で、こんな言い方をしてごめんな」



 クリスがレイチェルに向かって、すまなそうに言った。

「いいえ、事実ですから」と、レイチェルが小さく首を横に振る。



「……思い返せば購買部に行くアタシ達の、特にシェリーを見る他の生徒の視線は異常だったよ。シェリーも少し、居心地悪そうにしてたような気がする。でもアタシも千梨もそれに気付かず、アタシなんて暢気に昼御飯は何にするかなんて話してたんだ。カツサンドにしようか、サンドウィッチにしようかなんてさ」


「そしたら、アタシ達の少し後ろを歩いてたシェリーに何かが投げつけられた。……コーヒーの入った紙コップだったよ。幸い熱湯って程じゃなかったから、火傷はしなかったけどな。その一投が、他の奴の理性も投げ飛ばした。消しゴムやらゴミの入った袋やら、わざわざ食堂から持って来たのか生卵なんてのもあった」


「アタシは意味が分からなかった。一体何が起こっているのか。自分に向けられていたものではないとは言え、人の悪意にあそこまで晒されるのは初めてで……情けないことに、アタシは恐怖で一歩も動けなかった」


「でも千梨が応戦したんだ。シェリーのことが苦手で、生徒同士の私闘が禁止されているのも知っていたのに。『卑怯千万、不届き者めが! 正面からは勝てないと分かって、背後を狙ったか! 最初に物を投げた者、名乗り出ろ!! 騎士の風上にも置けん、我が幾らでも相手になってやる!!』って、凄い剣幕でさ。しかも日ノ輪国の言語も混ざって所々何言ってるかも分からないし、殺気立って魔力も洩れてるし。そりぁ、他寮の生徒からしてみれば滅茶苦茶怖いよな。アタシも怖かったもん」


「なのに当事者のシェリーの方がよっぽど冷静でさぁ。怒り狂って鬼神みたいな千梨に『私闘は禁止では?』とか言っちゃって、あれは皆唖然としたよな。『いやいや、お前のために怒ってるんだろ!?』みたいな。多分、あの場にいた全員の気持ちが一致したと思うよ。それで千梨の気が削がれた所に、騒ぎを聞き付けたシューゲル先生と当時アメジスト寮の担任だった先生が来て、その場を収めてくれたって訳だ」



 いつの間にか芋を揚げた菓子を食べ尽くしたクリスが、次の菓子の袋を開け始めた。バリバリと無遠慮な音が響く。



「まあ状況が一目瞭然ってことで、アメジスト寮のアタシ達にはお咎めはなかった。千梨も厳重注意で済んだ。事が事だったしな……その時さ、購買部の近くにいたんだよ。その、例の来なくなった先輩」



 まさか先程の先輩の話がここに戻って来るとは。聞き手のアリス達は今後の展開に対し、既に予感めいたものを感じていた。



「寮に戻ろうとしたシェリーと、先輩の目が合ったんだ。アタシも先輩の顔は知ってたから直ぐに気付いた。千梨はシェリーと先輩に面識があることは知らなかったみたいだけど、何となくアタシ達の様子のおかしさには勘付いたみたいだった」


「シェリーと目が合った途端、先輩はあからさまに顔色を変えた。そしてクラスメイトの友達の輪に混ざって、歩み去って行った。……アタシはシェリーに、声の一つも掛けられなかったよ。何を言えば良いのか言葉が見付からなかった」


「そこからかな。その事件もあって、シェリーは最低限しか校舎内に立ち入らなくなった。あれを見た手前、アタシはアイツの買い物を代わってやるようになった。千梨も、然り気無く気遣う素振りを見せることがあったよ。まあ、千梨は否定するだろうけど」


「それ以降シェリーとその先輩は会うことなく、先輩は翌年卒業した。その後、またシェリーはあのベンチに居座るようになった。まるで誰かを待ってるみたいに……だからな、アリス。アタシはお前のことを、最初は信用していなかった。どうせあの先輩と同じだろうって、そう思ってた」



 クリスが一度話を切り、アリスの顔を真っ直ぐに見詰めた。



「……後二ヶ月もすれば、アタシも卒業だ。だからシェリーにお前達みたいな友達ができて、本当に良かったよ」



『卒業』。クリスだけではなく、いずれはアリス達にも訪れるものだが、随分生々しい響きを持った言葉だった。



「クリス先輩、進路はもう決まってるんですか?」



「ああ。内定は貰ってるから、後は何事もなく卒業するだけ。……シェリーも、それまでに戻って来られると良いんだけどな」



 レイチェルの問いに答えたクリスが、少し寂しげな顔をした。

 目の前の先輩が卒業してしまう。そう考えると多少の関わりしかなかったアリスでさえ、寂しさを覚えるのだ。長く共に過ごしたシェリーなら、胸に迫る想いはそれ以上だろう。




「――シェリーちゃんは絶対戻って来ます」




 願望の入り混じる強い口調で、アリスが言った。

 クリスは目を丸くしたが、相好を崩すと「だな!」と眦を下げる。



「ほらほら、もっと食べろ~!」



 クリスに促されるがまま、アリス達は机の上の菓子を減らして行く。

 彼女達は十八時前には解散したが、ひたすら菓子を貪っていたアリス達の腹に夕食が入る程の余裕はなく、結局三人は夕食を食べずに終わった。


 その日のメニューはアリスお気に入りのビーフシチューだったらしく、後から知ってがっくりと肩を落とした。






 第22話 君がどこに行きたいか 完

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