『アリス』の断片4 不思議の国に どうぞおやすみ、

『アリス』の断片4 不思議の国に どうぞおやすみ、①


「お母さん、お父さん! あたし、少し森で遊んで来るね!」



 二人の返事を待たずに、あたしは玄関を飛び出した。

 後ろで「今から!? そろそろ暗くなるわよ!」というお母さんの声が聞こえたが、無視して駆け抜ける。

 玄関前の階段をぴょんと飛び降り、両足を揃えて着地する。

 お母さんからは「危ないから止めなさい」と口酸っぱく言われているが、このスリル感が堪らない。隙を見てはついついやってしまうので、怒られてばかりいる。



 微かな水音に、庭の池の方へと目を向けた。

 水鳥の家族が水浴びをしている。丸々とした見た目の子供達が可愛らしい。

 彼等の水浴びをしばし眺めると、あたしは森の中に足を踏み入れた。

 身体を包み込む清涼な空気に、目を閉じて深呼吸する。嗅ぎ慣れた草木の匂い。靴裏に感じる、柔らかな下生えとふさふさした苔の感触。(この苔は、濡れていると忽ちトラップに変わるので要注意だ)。


 こうして森の中を散歩するのが好きだ。

 十回に一回位は迷子になるが、そうすると毎回お父さんが探しに来てくれる。どういう仕組みなのか必ず見付けてくれるので、それを待っている時間も楽しみの一つだ。……探してくれているお父さんには、悪くて言えないけれど。


 途中で出会った頬袋をパンパンにした欲張りな栗鼠に笑い、ふわふわの兎の親子を撫で、鎌首をもたげる蛇に出くわすると慌てて逃げ回った。

 蛇が追って来ていないことを確認し、あたしはまた歩き出す。


 蛇は苦手だ。舌も身体も長いのがナンセンス!


 やっぱり飼うなら猫が良い。名前は既に決めていて、「キティ」か「ダイナ」にしようと思っている。


 ただ、お父さんは犬が良いらしいので話が一向に進まない。どうやら犬と散歩がしたいらしい。

 そんなお父さんに、お母さんは「うちに三匹も犬はいらないのよ」と言っていたが……三匹も飼うつもりなのだろうか。

 それなら、あたしも猫を二匹飼ってもらえるかもしれない。そうしたら「キティ」と「ダイナ」、どっちの名前も付けられる。


 道中とても良い形の枝を拾ったので、剣に見立てて生い茂る草を払って歩く。

 物語の勇者にでもなった気分だ。今日も寝る前に、お母さんに本の続きを読んでもらおう。


 意気揚々に進んでいたが、ふと違和感を覚えた。

 木々の枝に、目を光らせた鴉が何匹も連なっている。何か獲物を狙っているのだろうか。それとも動物の死骸でもあるのだろうか。

 死骸を見るのは余り良い気分ではないが、異様な雰囲気につい怖いもの見たさで近付いてしまった。


 木の影から顔を覗かせると、あたしが想像していたものとはまるで異なるものがそこにあった。



「男の子……?」



 あたしより少し年上だろうか。

 整った身形の男の子が、ぐったりと俯せに倒れている。ぴくりともしない彼は、遠目からでは生きているのかすら分からない。

 鴉達の狙いがあの男の子であることに気付き、あたしは慌てて駆け寄った。



「『天を裂く、呼べよ光を』!」



 鴉達を傷付けないよう細心の注意を払いつつ、威嚇目的で光属性の魔法を放つ。だが、彼等に逃げる様子はない。

 仕方がないのであたしは男の子をつけ狙う太々ふてぶてしい鴉に睨みを利かせながら、彼の口元に手を翳す。湿った吐息が、指先に微かに触れた。



「良かったぁ、生きてる……」



 あたしは安心する余り、その場に座り込んでしまった。


 それにしても……とんでもなく綺麗な男の子だ。


 倒れた拍子に汚れたのか、きめ細かい白い頬には土が付着していたが、そんなもので彼の美貌を損なえる訳がない。

 枯れ葉に塗れた、いかにも指通りの良さそうな柔らかそうな髪は、丁度今位の、夕方と夜の境目のような紫色をしていた。

 家まで連れて行ってあげたいが、あたしの力では難しいだろう。家に着く前に、辺りが真っ暗になってしまう。


 ここは、お父さんを連れて来るのが一番だ。



「よし……!」



 あたしは気合十分に頷くと、男の子の周りに防御魔法を張った。これならば、鴉達につつかれる心配もない。

 聞こえていないとは思うが一応「待っててね!」と声を掛け、あたしは元来た道を駆け足で戻った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る