第18話 そうでないなら、正直者らしく⑥
「――ミリィ! お前等、良い所に!」
ミリセントの顔を見た途端こちらへ駆け寄って来るクリスに、レイチェルは嫌な予感がした。
記者を目指す者としてそんな曖昧な感覚を信じるべきではないのだろうが、彼女が次に発する言葉を聞きたくないと、そう思ってしまった。
「お前等の友達のアリスって子、様子がおかしくて……! 今、シェリーが追い掛けてる!」
クリスが正面玄関を指差したのを見るなり、レイチェルとミリセントは校舎を飛び出した。
クリスが二人を呼び留めたが、彼女達の背中はみるみる内に小さくなって見えなくなってしまった。
思っていた以上にアリスの足が速い。
シェリーが玄関から出ると、アリスの姿は既にどこにもなかった。
何が起こっているのかよく分からないが、アリスの様子がおかしいのは明らかだ。あんな風に人と揉める等、いつもの彼女からは考えられない。
取り敢えず左に行こうかと足を向けると、妙な視線を感じた。敵意も何もない、感情すら窺えないそれは、おおよそ人にできるものではない。
その出所を探るため、シェリーは素早く顔を上げる。――正門だ。こちらを見詰める者がいる。
「――何で、ここに……」
シェリーに気付かれたことを察したのだろう。
視線の主は彼女を一瞥すると、羽織っている上着の裾を
追い掛けようと反射的に身体が動いたが、アリスのことが頭を過る。
逡巡の後、シェリーは再びアリスを追って駆け出した。
アリスは、惑わしの森の入り口にある魔法水晶の前に佇んでいた。
いつの間にか、手には短剣を持っている。
確か「防御魔法を破壊する効果のある魔法具だ」と言って渡されたのだったか。
(でも、いつ、誰に渡されたものだったっけ?)
ふと浮かんだ疑問を上書きするように、アリスの頭の中に声が響く。
『――十三時の鐘を合図に』
アリスはその声に従って、ゆっくりと右腕を持ち上げた。
『――惑わしの森の魔法水晶を破壊しろ』
校舎から、通常ならば授業開始の合図となる十三時の鐘が鳴る。
――アリスは、短剣を振り下ろした。
「――待て!」
もう鐘は鳴り終わっている。急がなければ。
アリスは『お願い』を遂行するため力任せに短剣を魔法水晶へと近付けるが、彼女の腕を掴んでいる何者かも同じ力で対抗する。
ここでようやく、アリスは後ろを振り返った。
「……手を離して、シェリーちゃん」
「お前が
「邪魔しないで。私は『お願い』を守らなきゃ」
刻一刻と約束の時間は過ぎていく。
それを意識すると、徐々にどろどろとした嫌な怒りが沸いて来た。
アリスの邪魔をするのならば、相手が誰であろうと最早関係がない。
「――っだから! 邪魔をするなって、言ってるでしょ!!」
「私の邪魔をするシェリーちゃんなんて大っ嫌い! どこかに行ってよ、顔も見たくない!!」
アリスの強い拒絶に、シェリーが息を呑む。
彼女の指先から力が抜け、腕の拘束が緩んだ。
ほんの一瞬のことだったが、その隙を逃す程アリスも間抜けではない。
アリスは今度こそ、魔法水晶に短剣を突き立てた。
短剣を起点として魔法水晶に罅が生じると、それは大きな亀裂と化す。
効力を失った魔法水晶から仄青い光の放出が止まると、惑わしの森上空の防御魔法が砕け散った。
しかし防壁の破片は空中で霧散し、アリス達に降り注ぐことはない。
そして時を同じくして、校舎を覆う防御魔法が全機能を失った。
否。唯一南側の魔法水晶は無事だが、それ一つでは学校の四方を守る防壁としての役割を果たしていない。
――成功したのだ。
アリスは『お願い』を、約束を果たした。
「ふふ、ふ。これで褒めてもらえる。
「アリス……」
シェリーが呆然とした様子で呼び掛けるが、アリスは全く意に介さない。
シェリー等目に入らない程に、嬉しくて仕方がなかった。笑い声が溢れ落ちて抑えられない。
だから今更レイチェルとミリセントが現れようと、アリスは気にも留めなかった。
「何てこと……」
「魔法水晶が……」
言葉を失い立ち竦む彼女達に、シェリーは早口で尋ねた。
「――アリスが麗先輩とやらから貰ったものを、何か知らないか?」
「麗先輩からの貰いもの……?」
「正確には分からないけど……そういえば最近、胸ポケットを気に掛けているのをよく見るわね」
「胸ポケット……悪いが、二人共協力してくれ。時間がない」
言うが早いか、シェリーはアリスの肩を掴んで向きを変えさせると、背後に回って羽交い締めにした。
次いでシェリーに指示されて駆け寄ったミリセントが、アリスの両手を抑え込む。
そうしてブレザーの胸ポケットが無防備になると、アリスは激しく抵抗した。
獣のような力で身を
手に何か、布のようなものが触れる。
レイチェルはそれを素早く取り出して、アリスから距離を取った。
「何、これ……匂い袋?」
レイチェルの手に握られた匂い袋を捉えた途端に、目の色を変えたアリスがミリセントの拘束を振り払った。
続け様にシェリーからも逃れようと足を振り上げて暴れ、拘束が解かれた腕を有らん限りレイチェルへ伸ばす。
「離して! 私から麗先輩を奪うなんて許さない!!」
「アリス、落ち着け。お前はその麗先輩に、洗脳に近い魔法を掛けられている。お前を意のままに操るために、媒介となる匂い袋を渡したんだ」
「そんなことない! 返せ! それはアンタ達が持っていて良いようなものじゃない!!」
「ねぇ! これにそこまでの力があるの!?」
「ああ。古い
匂い袋を害するという意図の発言に、アリスは今まで以上に激しく抵抗し出した。
シェリーが眉を顰め、何とか抑え込む。ここで拘束を緩めれば、アリスは間違いなく匂い袋を持っているレイチェルに危害を加えるだろう。
シェリーの手から抜け出せないことを察したアリスは、いつもの彼女からは考えられないような荒々しい口調で捲し立てた。
「嫌い! 私から麗先輩を奪おうとするシェリーちゃんなんて大嫌い! ここから消えろっ、いなくなっちゃえば良いんだ!! 私の邪魔をするシェリーちゃんなんて、私には必要ない! いらない、いらない、いらな――」
甲高い音が、アリスの言葉を遮った。
アリスの目の前には、ぼろぼろと涙を流すミリセントが立っている。
ミリセントの右手は既に振り抜かれた状態で、彼女がアリスの頬を打ったのは明確だった。
「例えアリスちゃんがいつものアリスちゃんじゃなくても、それだけは口にしちゃ駄目だよぉ……! 必ず後悔するもん!」
嗚咽を溢しながら訴えるミリセントに、アリスはぴたりと動きを止めた。
ミリセントを見詰めるアリスの瞳には、正気の色が戻っている。それを認めると、シェリーはゆっくりと拘束を解いた。
しばしアリスは茫然自失としていたが、
「わた、私、今まで何して……違う、違うのシェリーちゃん。私、そんなこと思ってない。シェリーちゃんは大切な、大事な友達で……嘘、嘘、嘘、そんなこと言いたかった訳じゃないの。私、私は――」
譫言のように言い募ったアリスは体力、精神的にも限界だったのか、がくりと膝を折った。
アリスが地面に倒れ伏す直前、レイチェルとミリセントが慌ててその身体を支えた。
だらりと力なく項垂れるアリスの顔色は悪い。
「――早く戻ろう。ここにいたら、お前達も巻き込まれる」
「何……?」
急かす口調のシェリーに、レイチェルは眉を寄せた。
アリスの心配もそこそこに、この場を急いで離れたがるシェリーの様子は尋常ではなかった。
その態度に異質さを覚え、レイチェルは再度「何なの」と短く問う。
「学校を囲む防御魔法が破壊された今、侵入は容易い。奴等が……『サーカス』が来る」
シェリーの言葉に呼応するように、ざわざわと惑わしの森が騒がしくなり、様々な魔法生物達の叫声が響く。
刹那、森から鳥の群れが一斉に飛び立った。異変にいち早く気付き、身を守ろうとしているのだろう。
それだけの脅威が近付いているのを、彼等は悟っている。
「行こう。――何があっても、必ず守るから」
力強いシェリーの言葉に背中を押され、レイチェルとミリセントはアリスを抱え直すと、強張った表情ながらも深く頷いた。
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