第27話 意味に心を。③

 この場で闇属性を持つのは、シェリーただ一人。

 詠唱を続ける彼女の身体からは、漏れ出した魔力が視認できる程に揺らめいていた。


 ソフィア・フィリスが対抗し詠唱を始めるが、シェリーの方が一枚も二枚も上手うわてだ。彼女の魔法は圧し負け、フィールドが闇に覆われる。

 ソフィアが悔しげに顔を歪めると共に、光属性の加護を失った木々の攻撃力があからさまに落ちた。

 シェリーの詠唱が止むと、アリスとエミルはほぼ同時に防御魔法を解く。


 そして、エミルが弾丸さながらに飛び出した。


 元々の足の速さに加えて、補助魔法で身体強化もしているのだろう。

 彼は動きが格段に悪くなった木々に属性魔法の雷を落として焼き尽くすと、一直線にソフィアへと向かった。



 アリスがいつでも魔法を放てるように身構えていると、魔法を維持するシェリーの身体がぐらりとかしぐ。

 倒れるようなことはなかったが、こんな様子の彼女は初めてだ。

 咄嗟に駆け寄ろうとするが、当のシェリーは制服の袖で鼻を押さえながら「良い。それよりも、マティスを見てろ。何かするぞ」と、アリスをその場に留める。

 アリスはシェリーとエミルを交互に窺い見て、悩んだ末にその言葉に従うことにした。

 アリスの視線の先では、エミルと対峙するコニー・ブラウンが木属性の魔法陣を展開させていた。




 コニーが再度人型の木々を創り出し、エミルの進路を妨害する。

 エミルが腰を屈め低い体勢で攻撃をかわすと、彼の頭上すれすれを太い木の枝が通り過ぎて行った。

 風を切る音が、後衛のアリスにまで聞こえてきそうだ。

 猛攻をやり過ごしたエミルは、素早く木々の間をすり抜ける。


 それを、険しい顔付きのソフィアが迎え打った。

 彼女はエミルの手に雷が集まるのを見て詠唱の体勢に入ったが、一歩遅い。



 エミルの雷は、



 雷が激しく発光し、轟音の後に砂埃が舞い上がった。

 大量の砂埃の洗礼に、ソフィア達のチームのみならず、アリスとシェリーも反射的に目を瞑る。


 ――そうして、ようやく砂埃が収まった頃。


 目を開けたアリス達の前にエミルの姿はなく、彼は忽然と姿を消していた。



「エミル君がいない……?」



 唖然とするアリスに反し、シェリーは「そういうことか」と呟くと、闇の帳を上げた。

 意図が掴めず困惑した表情のアリスに、シェリーは正面を向いたままに言った。



「アリス、思い出せ。一年前。アメジスト寮の特別演習。――アノスとクリス先輩の試合だ」






 ミリセント達の行動は早かった。

 ソフィア、ミリセント、コニーは大樹を背に身を寄せ、エミルの攻撃がどこから来ても良いように背中合わせになる。


 張り詰めた空気が漂う三人の間に、会話はない。

 今までの試合がそうだったように。


 コニーが気不味そうに目を泳がせる。

 いつも空気を悪くしてしまって、彼には本当に申し訳ない。



(――いけない。今は試合に集中しなっきゃ)



 ミリセントは神経を研ぎ澄まし、微かな衣擦れさえ聞き洩らさないよう耳を澄ます。

 緊張しているのか、自分の呼吸音がやけに大きく聞こえる気がする。


 属性魔法を解いた、シェリーの意図が解らない。

 あのまま闇に包まれていた方が、同属性の彼女にとっては有利に働いたというのに。


 眉根を寄せて考え込んでいたミリセントは、「ねぇ」という呼び掛けに意識を引き戻された。


 ソフィアだ。


 思えば、背中越しとはいえ彼女の体温に触れるのは久し振りだった。



「……なぁに、ソフィアちゃん」



 つっかえたように言葉が出ず、掠れた小声になってしまった。

 唇を湿らそうと舌を出し掛け、口内も渇いていることに気付いて止める。



「……貴女。水属性の魔法、使えたのね」



「えっ? ……う、うん。レイちゃんが教えてくれたの。私、二人の足を引っ張りたくなかったから。対戦相手も、アリスちゃん達だしねぇ」



「そう。レイチェル・バーグが……」



 ソフィアが短く答え、三人の間に再び沈黙が流れる。

 しかし二度目の沈黙を破ったのも、ソフィアだった。



「――別に、貴女がそこまでする必要はなかったんじゃないの? チームメイトとはいえ、嫌いな私には」



 たっぷりと皮肉を含んだソフィアの台詞に、ミリセントは拳を握り締める。


 内容は兎も角、ソフィアから話し掛けてくれるとは思ってもいなかった。


 この機会を逃す訳にはいかない。

 今言わなければ本当にこのまま……これからもずっと、何も話せないままだ。

 様々な感情が口を衝きそうになるのを何とか抑え、ミリセントは静かな口調で言った。



「……それは違う。逆だよぉ。ソフィアちゃんと同じチームだからこそ、変わった私を見て欲しかったの。――あの頃とは違う、私を」



 ソフィアが後ろを向いてくれていて助かった。

 まだ、彼女を正面にして言える程の勇気はない。


 背後で、ソフィアの息遣いが乱れる。

 ミリセントの身体が、唇が、固く握り締めた拳が、小刻みに震える。


 エミルを警戒する緊張感をも上回る――恐怖心。


 今の言葉全てが、ミリセントの答えだ。

 それを否定されてしまったら……怖い。怖くて堪らない。怖くて堪らないが――ようやく『あの時』のソフィアと、同じ土俵に立てた気がした。




「――私。貴女のことを赦せないし、赦さないわ」




 深く息を吐いたソフィアが、矢張背中を向けたままに告げる。



「……うん」



「貴女が私を見捨てた、あの時の目。忘れることなんてできない。多分、一生」



「うん」



「……でも。貴女の努力を、私は否定しない。曲がりなりにも、貴女と一年を共に過ごしたクラスメイトとして。――だって、他属性の魔法の習得はそう簡単なものではないもの。貴女はそれをこの試合までに間に合わせ、きちんと形にした。私達チームメイトのために。その行いは誇るべき、称賛されて然るべきことよ」



「……」



 (……ああ、そうだったなぁ)



 ソフィア・フィリスとは、こんな少女だった。


 彼女は一切何も、変わってはいないのだ。

 気が強く皮肉屋で、曲がったことは嫌いで。己が正しいと思った道を、愚直なまでに突き進む。

 ミリセントのみならず、友人であるアリスやレイチェルにまで難癖を付けるソフィアのことを「変わってしまったな」とそんな風に思い、恐れていた。


 ソフィアに対して抱いていた強い罪悪感がミリセントの目を曇らせていた部分も、少なからずあったのだろう。

 それは『ソフィアは絶対に自分のことを恨んでいるし、赦しはしないだろう』という、強迫観念にも似ていた。



「今度サルバス=フォレに帰ったら、エニィの所に顔を出しなさい。貴女にはその義務がある。それに……あの子も貴女に会いたいはずだわ」



 エニィ・ウリアス。

 ミリセントとソフィアの幼馴染みであり、大切な親友であり――未だ眠り続ける少女。


 ミリセントの脳裏を、明るい笑顔のエニィが過る。それはいつかに見せて貰った、シェリーの屋敷の向日葵そっくりだ。

 温かな記憶の中で微笑むエニィに、優しく背中を押されたような気がした。



(――都合の良い私でごめんね。それでも……力を貸して、エニィちゃん)




「――その時は、ソフィアちゃんも一緒に来てくれる……?」




 ミリセントの小さくも、固い意思を感じさせる問いに、ソフィアが息を呑んだ。

 彼女の纏う空気が、迷うように揺れる。そして。



「……時間があったらね。でも勘違いしないで。貴女のためじゃなくて、エニィのためよ」



「うん、解ってるよぉ。……ありがとう、ソフィアちゃん」



 幼い頃のような関係には、もう戻れないのかもしれない。


 ――それでも、新しい関係は築くことがでるはずだ。


 継ぎ接ぎだらけでも。不恰好でも。

 ミリセントにとっては、大きな一歩だった。











「……何だか、静か過ぎるね」



 空気を読み、今までずっと口を閉ざしていたコニーがぽつりと呟いた。

 ミリセントは、そこでようやくコニーの存在を思い出す。

 ソフィアも冷静な彼女にしては珍しく、肩を跳ねさせて驚きを露にしていた。



「……確かに、コニー君の言う通りだねぇ。エミル君もシェリーちゃんも、何で攻撃して来ないのかなぁ?」



 ミリセントの疑問に、ソフィアが驚いたことへの照れ隠しか二、三度咳払いをした。



「……マティス君は兎も角、クランチェさんはもう動けないんじゃない?」



「どういうこと、フィリスさん?」



「彼女、私の属性魔法を塗り替えるのに大量の魔力を使用していたわ。それも、魔力制御の魔法具を着けたままね。かなり消耗しているはずよ」



「えっ、それ大丈夫なの……?」



 顔色を変えてシェリーがいるであろう方角を振り返るミリセントだったが、自身が出現させた大樹によって視界が遮られる。

 間の抜けた動作に、ソフィアが整った瓜実顔を大きく歪めた。



「貴女ね、相手チームを心配してどうす――ブラウン君、上よ!!」



 突如発されたソフィアの厳しい声に、コニーは指示されるがまま上空に防御魔法を展開した。

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