第27話 意味に心を。④
コニーの防御魔法が展開されるのと、放たれた光の矢がぶつかり合うのは同時だった。防壁に弾かれた矢は一瞬大きく光り輝き、瞬く間に霧散する。
視界が晴れると共に、ミリセント達は素早く散った。
彼女達は一様にして上空を仰ぐ。その視線の先にあるのは、青々とした葉を広げる巨大樹だ。
「……チッ」
姿は見えないものの、確かにエミルの舌打ちが聞こえた。枝から枝を移動しているのか、葉の揺れる微かな音も続く。
「――『蜃気楼』。闇を晴らしたのは、そういうことね……!」
ソフィアが吐き捨てるような口調で言うと、シェリーがいるであろう方向を憎々しげに睨む。
それは先のミリセントを彷彿とさせたが、シェリーへと向ける感情は対照的だった。
「まるで気配を感じない……」
エミルを警戒し、頻りに辺りを見回すコニーが硬い声音で呟いた。
それに応えるように、ソフィアが口を開く。
「いくら『蜃気楼』を使用していても、魔力の揺らぎだけは隠しきれない。マティス君が私達を攻撃してくる時、必ず予兆が――」
彼女の言葉が不自然に止まった、刹那。
天より落ちた
ミリセントは、反射的に閉じていた目を恐る恐る開いた。真っ先に視界に飛び込んで来たのは、無惨な姿を晒す大樹。
雷は大樹を直撃していたようで、青々とした枝葉は見る影もなく、至る所から黒煙を生じさせていた。
勿論、途方もない年月を感じさせる太い幹も無事ではなく、幹のほぼ中心から深々とした裂け目を覗かせていた。
己が身が真っ二つに裂けるのを、辛うじて繋がっている樹皮がいじましく耐えている。
裂けた幹の向こう側。陽炎のように、エミルが現れた。
相手の様子を窺えたのはお互い様で、エミルの更に奥には地面に片膝を付くシェリーと、彼女に寄り添うアリスの姿があった。
(ソフィアちゃんが言ったことは、本当だったんだ……!)
ミリセントは、自分達のチームが優位であると確信した。
エミルは強い。しかし、それは一対一での話だ。
彼等のチームはシェリーを軸としている。
そのシェリーが動けない今、攻撃に回れるのはエミルただ一人。
対するミリセント達は、全員まだ戦える。
アリスがエミルのサポートに徹したとしても、さすがの彼も三人相手は骨だろう。
思考を巡らせていると、エミルの唇が何事か紡いだ。
(……詠唱? なら――魔法が来る!)
魔力を練り上げつつ、身構えるミリセントの耳が捉えたのは――魔法の詠唱などではなかった。
「――今だ、クランチェ!!」
それを合図にシェリーの手元が怪しく光り、魔法陣が展開された。
しかしミリセントの位置からでは距離があり、何の魔法かまでは分からない。
狼狽えるミリセントを嘲笑うように、立ち塞がるエミルの影が不気味にもその輪郭を崩した。
エミルの影から鞭のように飛び出した闇色の魔物の腕が、近くにいたミリセントに迫る。
彼女は自身へと迫る魔物の鋭い爪に、ただ呆然と立ち尽くすしかできない。
「――ミリィ!!」
ミリセントの姿に、エニィを重ねたのか。
――それは定かではない。
しかし、ソフィアにミリセントを助ける義理はないはずで……だとしたら矢張、そうなのだろう。
焦りを滲ませたソフィアの声が耳を掠めたかと思うと、ミリセントの身体は強く突き飛ばされていた。
眉を寄せ、必死な表情を浮かべるソフィアと目が合う。
ミリセントは、無意識に手を伸ばしていた。
(――あぁ。ソフィアちゃんが『ミリィ』って呼んでくれたの、久し振りに聞いたなぁ)
ソフィアの細い身体が闇色の腕に捕えられ地面に押さえ込まれたのを、ミリセントの瞳が捉えた。
「――そこまで!!」
試合終了を告げるエドワードの声が響くと同時に、シェリーが魔力の供給を止め、魔物の腕を消し去った。
シェリーはよろめきながら立ち上がると、ショートパンツのポケットからティッシュを取り出す。
そうして小さな水球を創り出すと、抜き取ったそれに水を染み込ませた。
(まるで手足のように使ってるけど、他属性なんだよね。しかも使い方がなぁ……)
別にシェリーの魔法の使い方に文句があるという訳ではないのだが、何やら複雑な気分だ。
微妙な顔をするアリスを尻目に、シェリーは湿らせたティッシュで自身の顔や鼻周りを雑に拭う。
綺麗な顔を滅茶苦茶に擦るシェリーを黙って見てはいられず、彼女の手からティッシュを奪い取った。
アリスの暴挙に、シェリーが不思議そうな顔をした。
そんな彼女の鼻の頭は擦り過ぎて赤くなっている上、乾いてこびりついた血が拭い切れていない。
「シェリーちゃん、動いちゃ駄目だよ」
孤児院の子供達の世話を焼いているような気持ちを抱きつつ、固まった血を優しく落としてやる。
そう時間を掛けずに取れた汚れに、アリスは満足気な表情を浮かべた。
すると、目の前にシェリーの白い手の平が差し出される。
「……?」
差し出された手を握手の要領で握り返すと、シェリーが眉を下げた。
「……違う、そうじゃない。
そういうことかと、アリスは汚れたティッシュをシェリーの手に乗せた。
……頬が熱い。勘違いをした自分が恥ずかしい。
いつまでも集合しないアリス達に痺れを切らしたか、エドワードが急かすように二人を呼んだ。
何とはなしに目を向けると、上体を起こしたソフィアにミリセントが手を貸していた。
土塗れのソフィアからはいつもの気高さなど微塵も感じなかったが、彼女の顔はどこか憑き物が落ちたように晴れやかだ。
彼女達二人を少し離れた場所から見守るコニーと、ふと目が合った(相変わらず、彼の双眸は分厚い前髪に隠されているが)。
コニーが親指を立てて微笑むので、ミリセントとソフィアの関係は良い方向へ進んだのだなと、何となく理解する。
アリスが同じ仕草を返していると「一人で何してるんだ」と、若干引いた口調のシェリーに突っ込みを入れられた。
整列した生徒達の前に立ったエドワードはバインダーを小脇に抱えると、珍しく教師然とした口調で語り始めた。
「これで、エメラルド寮の代表チームは決定だ。寮の代表として恥じない、悔いのない試合をしてきてくれ。――そして、素晴らしい試合を見せてくれた両チームに拍手!」
アリス達のチーム、ミリセント達のチームがクラスメイト達の大きな拍手に包まれる。
アリスが魔法の実技を伴う授業で目立つ機会は殆んどないので、かなり新鮮に感じた。
だが……アリスは温かい拍手を送られる中、一人顔を曇らせた。
御前試合まで、一ヶ月を切っている。
五月は連休も挟むため、残された時間は少ない。
シェリーとエミルが代表チームとして選ばれたのは純粋に嬉しいのだが、果たしてアリスはどこまで彼等の助けとなれるのか。
それに、試合には元首アーリオ・プティヒをはじめとして多くの来賓が集まるだろう。
そんな中で試合をするというのも、アリスにとっては大きな不安要素だった。
「シェリー、ちょっと良いか」
校内へ戻ろうとしていたシェリーは、エドワードの『良いか』と言う割に有無を言わさぬそれに引き留められた。
怪訝そうに足を止めたアリス達に先に行くよう促し、シェリーは今の担任であるエドワード・フォン・アレスに向き直る。
「その魔力制御の魔法具を着けてから、今日みたいな魔法の使い方は初めてか?」
「はい」
『その』と、エドワードが己の首筋辺りを指先で叩いた。
童顔の外見に見合わず、意外と男らしい無骨な太い指をしている。
「お前、これからもそんな魔法の使い方をしていくつもりか?」
「……」
エドワードが厳しい口調で言った。
彼にしては珍しい態度なのだが、付き合いが短いシェリーには知る由もない。
彼女自身も懸念していた事柄であるため、口を噤んだ。
文化祭の時も、今日の模擬試合も。
シェリーの戦い方は決められた量しか入らない器に水を無理矢理注ぎ足し、溢れさせたようなものだ。水を魔力と考えれば、それがどれ程無謀かは解るだろう。
彼女の様子に深く溜め息を吐き出したエドワードが、「解ってんなら良いけどな」とぼやく。
そして、思い付いたように続けた。
「……そういや、シューゲル先生もかなり魔力が多いんだがな。今は子供の姿を取ることで常時魔力を使用し、消費するようにしているらしい」
シューゲルには中等部入学当初より魔力制御の魔法具を造ってもらったりと何かと世話になりっぱなしだが、シェリーは彼の事情を全く以て知らないことに気付く。
言われてみれば、先の文化祭の時には成人男性の姿をしていたなと、目の前の担任よりも頭一個分は高かっただろうシューゲルの姿を思い浮かべる。
シェリーの物言いたげな視線に、エドワードが片眉を跳ね上げた。
「何だ?」
「いえ……」
「ま、困ったらシューゲル先生を訪ねてみると良い。俺は雀の涙程の魔力しかないから、お前の苦労は正直に言って解らん。でも、シューゲル先生なら色々と手立てを考えてくれると思う。だから、その魔法の使い方は控えろ」
「……はい。ありがとうございます、エドワード先生」
「お、おう。……受け持ちの生徒から普通に名前を呼ばれると、何か変な感じだな」
照れ臭そうに頬を掻いたエドワードが、砂色のマントを翻し校舎の方へと去って行く。
アリス達の話から『エドワード・フォン・アレス』という教師は、もっと適当な人物なのかと思っていたが……案外周りを見ているのだなと、彼の評価を上方修正した。
シェリーはエドワードの後ろ姿を見送りつつ、彼の助言を思い起こす。
「『姿を変化させて、魔力を消費させる』か……それは盲点だった」
これ以上魔力が増大するのであれば、今後はそういった対策も視野に入れていかねばならない。
一人頷くと、シェリーは校舎に向かって駆ける。
早く授業に向かわなければ。
次はマシュー・スプライトの魔法史学だ。
第27話 意味に心を。 完
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