第37話 ウサギのお使い④

 六時間目の授業からは参加したアリスとシェリーは、ホームルームが終わると即座にレイチェルとミリセントに捕まった。

 昼休みからかなりの時間校長室に拘束されていたことになるので(内二十分程はクロムとのお喋りで費やされているが)、一体何の話しだったのかと彼女達が気にしているのは解っていた。なのでこの状況もやむ無しである。



「長かったわね。結局何だったの?」



 アリスは寮や部活動等に向かう生徒達の「また寮でね~」「後でね!」といった楽しげな声を聞き流しながら、眼鏡を直すレイチェルの仕草を目で追う。



「えっと……」



 何と説明すれば、レイチェルとミリセントに上手く伝えられるのだろう。


 アリスがどう言い繕おうとも、頭も口も回るレイチェルには全て暴かれてしまいそうだ。

 アリスが上手い言葉を探して言い淀んでいる矢先、シェリーが真正面から答えた。



「―― 一週間後の十二月十五日。オレ達はヨル=ウェルマルク新興国、ノースコートリア王国が行う『サーカス』並びに『光の御子教』の合同捜査に協力する」



「は……?」



「え、っと……?」



 シェリーの余りに無駄のない説明に、二人は困惑した声を上げる。

 そこは矢張と言うべきか、先に情報処理を終えたのはレイチェルだった。



「シェリー。アンタが警察に協力するのは百歩、いいえ。千歩譲ってまだ理解ができる。でも、アリスは何? 何の目的があって戦う力を持たないアリスにまで、協力要請が出される訳?」



 レイチェルの持つ魔法属性は水だと言うのに、彼女の捲し立てる口調からはメラメラと燃え上がるような炎の気配を感じた。


 これは、この空気は不味い。


 アリスの脳裏には、約一年半前のレイチェルとシェリー、彼女達の邂逅が鮮明に甦っていた。



「レイちゃん、それは私が――」



「アリスを捜査に加えてくれるよう、頼んだのはオレだ」



 二人の会話に慌てて割り込んだアリスだが、一歩遅かった。


 咄嗟の弁明は、シェリーの淡々とした声によって掻き消されてしまう。

 彼女の言葉を耳にしたとほぼ同時、レイチェルがシェリーの胸ぐらに掴み掛かった。



「ちょっ、落ち着いてよぉ、レイちゃん……!」



 ミリセントの切羽詰まった声音に、まだ教室に残っていた数人の生徒がアリス達の様子を窺い見る。



「――アリスを危険に晒してまで、アンタは何がしたいの」



 低く発せられたレイチェルのそれには、怒りが多分に含まれていた。しかし、相反して落ち着いた語調は嵐の前の静けさにも似ている。

 二人の様子におろおろと狼狽えることしか出来ないアリスを尻目に、彼女達の会話は進む。



「オレの目的を達するために、アリスの……彼女の力が必要だ」



「アンタの目的は何」



「言えない」



 義父や、この国の最高位にある元首アーリオ・プティヒにも口を割らなかったシェリーだ。

 幾ら友人のレイチェルとは謂えども、彼女に真実を伝えはしないだろう。



「このっ――」



「でも」



 いきり立つレイチェルに、シェリーが言葉を被せた。




「アリスはオレが必ず守る――たとえ、この命に代えても」




 レイチェルが赤縁眼鏡の奥で目を丸くし、レイチェルを押し留めていたミリセントは「わぁ……!」と呟き目を輝かせると、頬を紅色に染めた。

 今のやり取りで多少は冷静になったのか、レイチェルはシェリーの胸ぐらからゆっくりと手を離す。


 そして今度は両手でシェリーの頬を引っ張った。



「……ふぁにふぉふるんふぁ(何をするんだ)」



「アンタが帰って来なっきゃ意味がないでしょ! 以前の文化祭の時に学ばなかった……?!」



 頬を左右に引っ張られていたとしてもその美貌が失われないシェリーは凄いなと、よく解らない点に感心していたアリスの隣で



「良いなぁ。ああいう台詞、いつかは言われてみたいよねぇ。女の子は皆憧れるよねぇ……!」



 と、ミリセントがうっとりとした表情を浮かべていた。






 その後もレイチェルに存分に頬を伸ばされていたシェリーは、ようやく「頬っぺた引き回しの刑」から解放された。赤くなった頬を擦りつつ、シェリーが小さく「……ごめん」と呟く。

 それを耳にして、レイチェルは深い深い溜め息を吐き出した。



「……アンタの事情は分からないけど、解ったわ。今は聞かないでいてあげる。但し――二人共無事に帰ってくること」



 アリスとシェリーに言い含めるようにレイチェルが言うと、次いでミリセントが続けた。



「二人が帰って来るのを、私達はここで待ってるからねぇ」



「……あぁ」



「ありがとう。レイちゃん、ミリィちゃん」



 笑い合う四人に、パラパラと拍手が送られた。

 彼女達の剣呑なやり取りを窺っていたクラスメイト達だ。

 見られていたことに気付いて顔を赤くしたレイチェルが「ちょっとアンタ達、見世物じゃないわ! お金取るわよ!!」と怒鳴ると、野次馬達は蜘蛛の子を散らすが如く走り去って行く。


 そんな、クラスメイトとレイチェルのやり取りはアリス達の笑いを誘ったのだが「アンタ達も何笑ってんのよ!」と、三人は思わぬとばっちりを受けたのだった。











 入浴も終え後は寝るだけの状態になると、アリスは一人勉強机に向かった。

 勿論、勉強をしている訳でなない。いや、学生の本分は勉学であるので本来ならば勉強しなければならないのだが……。


 アリスは図書室から借りた『ヒーロー少年V』シリーズを読んでいた。これを読み終えれば、次は最新刊だ。遂に、現在刊行されている巻に追い付く。



 ノースコートリア王国の首都、ティオロ・ネージュに甚大な被害を出した水属性の魔法。

 その使用者は――リーだという。


 彼の魔法が『サーカス』に何ら無関係な、善良な民の命を奪った。それは変えようのない事実であり、アリスも受け入れなければならない事実である。

 様々な感情が渦巻き、中々本に集中できない。紙の上に綴られた文字を上手く追えず、目が滑る。


 そんな中、とある一文がアリスの目に留まった。




『堕ちたなら、堕ちる所まで。そうして最後に残るのは、自分の命だけ。後はそれも使い潰して、綺麗さっぱり消えるのさ。そしたら全て大団円――そう思うだろ、ヒーロー主人公さん』




 主人公に捕らえられた、犯人の台詞。

 『堕ちたなら、堕ちる所まで』……アリスが麗と鈴麗リンリーを思い浮かべるには、十分過ぎる言葉だった。


 『そうして最後に残るのは、自分の命だけ。』



「『後はそれも使い潰して、綺麗さっぱり消えるのさ』……」



 ――本当にそれが大団円なのだろうか?



 麗は、彼は、この台詞に対して何を思ったのだろう。何を考えたのだろう。


 できることならば彼の命ではなく、心に問い掛けたい。







 第37話 ウサギのお使い 完

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