追憶の欠片5 「もしも」と「そして」

追憶の欠片5 「もしも」と「そして」①


 目を開ける。


 己の口から吐き出された空気が水泡と化し、眼前を揺蕩う。

 水中のぼんやりとした視界の中、目を奪われるような、鮮やかな色が飛び込んで来た。

 生きていくのに最低限の知識のみを有する彼の頭の中には、その色が何色なのかを表現できる言葉は見当たらなかった。ただ一つ言えたのは。


 ――余り好みの色じゃないな。


 それだけだ。





 意識が覚醒すると、水中から直ぐに出された。

 今までいたのは、どうやら筒状の入れ物の中だったらしい。満たされていた水は培養液だろうか。



「……闇属性だと? 『光の御子』からは一番遠い存在じゃないか。失敗作め」



「今までのレポートが全てパアだ。役立たずにも程がある」



 こちらの腕やら頭やらに用途不明の器具を取り付けて何やら調べていた白衣の男達が、吐き捨てるように言った。

 『失敗作』とは、どうやら自分のことを指しているようだ。勝手に作って生んだのはそっちだろうに。何故己の責任を押し付けるのだろう。

 白衣の男達の内、一番立場が上らしき老齢の男性が背後に佇む青年を振り返った。

 先程の鮮やかな髪色の男だ。彼はここにいる人間の中で一等若く見えた。



「ネオン大主教、どう致しますか。の処分は」



 処分……棄てられるのか。

 特別な感情は沸いて来ない。命を惜しむ程の時間を過ごしていないからか。

 ネオンと呼ばれた男は、ひたすらに無感動な瞳でこちらを一瞥した。まるで取るに足らない塵芥を見る目。



「目覚めたのは今の所彼だけだ。属性が異なるという理由だけで処分するのは尚早だろう。何ものにも使い道がある。後々役に立つかもしれない」



 ネオンは淡々と述べると、興味を失ったようにふいと白衣の老人に向き直る。



「服を着せてやれ。ミデンを世話役として付ける」






 白衣の男の一人から新品のタオルを投げ渡されたので、まずは無駄に長い髪を雑に拭った。

 次いで手術衣にも似た白い服を宛がわれ、見様見真似で適当に着込む。ようやく人間らしい見た目になった所で、使い終わったタオルを片手に改めて辺りを見回した。


 今の今まで気付かなかったのだが、筒状の入れ物……培養器とでも言うのだろうか。

 それは自分が眠っていたもの、一つだけではなかった。


 培養器は広い室内に幾つも置いてあり、全てが薄ぼんやりと光り輝いている。

 培養器の中には胎児のような見た目の者から、自身と同じ青年の姿のものまで、それぞれが目覚めの時を待っていた。

 物によっては人型を保てていない、奇形の者もいる。


 目に掛かる、まだ湿り気を帯びた長い髪を払い除けながら、培養液の海に揺蕩う男を観察する。

 彼は見た目こそ人の形を成していたが、目鼻はなく唇は顳顬まで裂け、その容貌はまさに異形だった。下手に人の姿をしているだけに、冒涜的なまでに悍ましい。

 彼の頭部に僅かながら生えた毛髪が自身の視界を遮る頭髪と同じ色を有していて、彼は有り得たかもしれない自分の姿なのだと悟った。



「彼が気になりますか?」



 どこか人を小馬鹿にするような、軽薄さを感じさせる声に顔を上げる。

 鳶色の髪と瞳を持つ特徴のない顔の男が、柔和な笑顔を浮かべて立っていた。



「初めまして、ミデン・レイクと申します。貴方のお名前は?」



「名前……?」



 ――そんなものはない。



 いつまで経っても返って来ない答えに、ミデンと名乗った男は「……ふむ。名前もないのは不便ですね」と呟いた。



「では、私が付けて差し上げましょうか。……そうですね。私達が今後の貴方に期待しているのは、我等が信仰する『光』とは決して相容れることがないだろう悪行。恐怖で人を操り、向けられる憎悪に愉悦を覚え、立ちはだかるもの全てを破壊する。貴方の後ろに積み上がるのは他者の死のみ――ですので、ふむ……この国の古い言葉で『不道徳な』を意味する『vicious』から『ヴァイス』と致しましょう。宜しいですね、ヴァイス。貴方はこれよりヴァイスです」



「ヴァイス……」



「そう。名は体を表す。ぜひ『光の御子教私達』のために、そうあって下さい ――ヴァイス」






 ミデンは頭の良い男だった。

 彼は物事を知識としてしか知らない頭でっかちなヴァイスに具体例を挙げてくれたり、時には実物を用いて詳細な説明をしてくれた。

 ミデンは良き教師だった。だからヴァイスは一度、彼に尋ねたことがある。



 それはとある本を読んでいた時のことだ。

 子供向けのイラストが書かれたその本には両親と子供の絵が描かれ、三人輝かしい笑顔で物語が締め括られている。

 彼等の笑顔に胸が温まった。しかし、それが何という現象なのかはわからない。


 気になったヴァイスは「家族三人、仲良く暮らしましたとさ。めでたし、めでたし」の文字を指でなぞりながら、正面で紅茶を啜るミデンに問う。



「ねえ、ミデン。この『家族』って何?」



「家族とは何か、ですか。そうですね……簡単に言えば、血の繋がった人間同士が作り出す、一つの小さなコミュニティです。ですがこれには例外があります」



「例外?」



「血の繋がりが一切ない、赤の他人である男女が結婚しても、それもまた家族です」



「『結婚』? 結婚って何だ? どうして結婚するんだ?」



「結婚とは、生涯を共にする……そうですね、契約のようなものでしょうか。お互いを好きになり、愛し合い、家族になりたいと思うから結婚するのです。何だか身体が痒くなる話ですが」



「『好き』って何?」



「ヴァイス、貴方子供ですか……いえ、失礼しました。生まれて数日、これは子供でしかありませんね。好きというのは、一概に『これ』とは言えません。『好き』には種類がありますから」



「ふうん?」



 この時ばかりは、ミデンの説明でもいまいち意味が解らなかった。

 そして彼と勉強会をするようになってしばらくして、ヴァイスの前に一人の少年が現れた。



「初めまして、同位体。私はシオンと申します」



 シオンと名乗った少年は、ヴァイスよりも少し年下のようだった。

 しかし、その容姿はヴァイスと何もかもが似ている――否、同一だ。だからこその「同位体」なのだろう。

 異なるのはヴァイスの髪が腰まで長く伸ばされているのに対し、シオンの銀髪は肩口でざんばらに切られている位だろうか。



「俺はヴァイス」



「ええ、聞き及んでおりますよ。闇属性を持つ失敗作でありながら、その能力値は私達同位体の中で誰よりも高い」



「――でもどんなに強かろうが、ボク達の方が上位体だからな。勘違いするなよ!」



 シオンの背後から、同じく銀髪の子供が顔を覗かせた。

 彼の顔立ちも、矢張ヴァイスと同じだ。シオンは子供の言動に呆れた様子で溜め息を溢し、「こちらはレネスと申します」と指し示した。

 そこで、ヴァイスは以前ミデンから教わった授業の内容を思い出す。



「――じゃあ、君達が俺の『家族』?」



 ヴァイスの問いに、シオンとレネスが不可解そうに顔を見合わせた。そして二人は一斉に吹き出すと、腹を抱えて笑い出す。



「家族ですか。私達はそんなに穏やかな存在ではありませんよ、同位体。私達はあの御方ネオン大主教の駒でしかありません」



「ボク等の素となったは同じだ。でもそれは『一人の人間を複製した』ということに過ぎない。家族とは別物だよ。だって全員自分なんだから!」



 二人は一頻り可笑しそうに笑い、現れた時同様「では私達は教団の仕事がありますので」と唐突に去って行った。


 不思議だ。男女が愛し合った末に産まれる子供は、両親の遺伝子を半分ずつ持っている。

 そこだけを見れば己の複製体と言っても強ち間違いではないと思うのだが……遺伝子が一から十まで全て同じであるヴァイス達とは、また話が違うらしい。



「『家族』って難しいな」



 絵本の中に描かれていた家族は、とても幸せそうだった。

 家族といられることがあんなにも温かな気持ちになるのだとしたら、自分にも家族が欲しい。


 現在それに最も近い立ち位置にいるのはミデンだが、ヴァイスにとって彼は家族と称するにはまた違う存在だった。


 彼はネオン大主教とやら――あの夕陽色(最近、写真で見た空の色に良く似ていた)の髪をした男の部下である。

 一応はヴァイスも彼の部下ということになるので、よって家族と言うより、同僚や友人(これも最近本で学んだ)に近い感覚だった。


 家族が得られたら、どのような感じなのだろう。隙間風が吹き込むような、この胸の空白も満たしてくれるのだろうか。

 もしも満たされたとしたら、矢張温かく感じるものなのだろうか。あの絵本の家族に抱いた気持ちと同じ様に――いや、そうなのだろう。そうだと良い。


 ヴァイスは願う。無垢な子供が夢を語るように。

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