追憶の欠片5 「もしも」と「そして」②


「貴方がヴァイスね?」



 彼女と出会ったのは、ヴァイスがある程度人間らしい振る舞いを覚えたその矢先のことである。

 ブロンドの髪を揺らしなまめかしく笑う彼女は、プリメラ・ジノヴァと名乗った。



「貴方を教団から出すわ。ミデンも共に行くから安心して頂戴ね」



 彼女は唇を持ち上げ笑みを形作るが、その目にはこちらを品定めする冷たさが浮かんでいた。



「俺をここから出してどうするんだ?」



「ネオン大主教のお役に立ちなさい。貴方は剣となり、盾となるのよ。あの御方の、いえ。私達の計画のためにね」



「計画?」



「今後必要になったら教えてあげる。じゃあ、詳しくはミデンから聞いて頂戴」



 遠ざかるプリメラの、扇情的な黒のドレスから大胆に覗く白い背中を見送っていると、彼女と入れ替わるようにしてミデンが現れる。



「プリメラ・ジノヴァ。彼女は『光の御子教』の中でも多額の寄付をして下さる大切な信者であり、ネオン大主教のご友人でもあります。くれぐれも、彼女には従順にして下さいね、ヴァイス」



 そしてプリメラ・ジノヴァの言葉通り、ヴァイスはミデンと共に教団を後にした。

 ヴァイスの同位体であるシオンとレネスが見送りに来てくれるはずもなく、三ヶ月過ごした場所を去るにしては存外呆気なかった。






 教団の外は美しいものに溢れていた。

 世界は彩り豊かな華やかさに満ちていて、少し歩くだけで胸が弾んだ。街中で擦れ違う人々のやり取りも楽しげで、心が満たされる。


 目を輝かせて街を見回すヴァイスの眼前で、小さな少女が派手に転んだ。そこに母親と思わしき女性が駆け寄って少女を抱き起こし、父親だろう男性が彼女の頭を一撫ですると肩車をしてやる。

 泣きべそをかいていた少女は突然高くなった視界に、はしゃぎ声を上げてけらけらと笑った。


 絵に描いたように純朴で、愛おしい『家族』だ。


 ヴァイスは無意識に手を伸ばしていた。しかしその手は彼等に触れることなく、虚しく空を掻く。

 ミデンもプリメラも、シオンもレネスも。ヴァイスにとっての家族に成り得ない。前者は同僚で、後者は己自身だ。


 何かしらの感情、たとえば好きだとか愛しているだとか一緒にいたいだとか。

 ただ家族になるために、どうしてそんな曖昧な感情がなくてはいけないのだろう?


 ヴァイスは益々解らなくなってしまった。

 同時に沸き上がる、怒りにも似たそれ。ドロドロとしたものが、たちまちヴァイスの心を蝕む。

 それは己の思うままにいかず癇癪を起こす幼子のようでもあったが、子供であった時分など一度としてないヴァイスには理解出来ない心の機微であった。

 仕切りに首を傾げて胸を撫で擦るヴァイスに、ミデンが訝しげに眉を寄せた。



「どうしました、ヴァイス。体調でも悪いのですか?」



「……解らない。モヤモヤする。気持ちが悪い。何だろう、すっきりしないんだ。何もかも、壊したくなってくる」



 ヴァイスの切々とした訴えを耳にすると、ミデンは目を細めて勿体振った口調で言った。



「では……いっそ壊してしまいましょうか。貴方を思い悩ませるもの、全て。どうぞ私に教えて下さい、貴方の思いの丈を」






 そしてミデンに言われるがまま、ヴァイスは街一つを破壊した。

 瓦礫の山と化した街中をミデンと共に悠々と闊歩していると、先程までの不快感は消えていた。むしろ、有り余る程の清々しさがある。


 途中、妻と子供を庇う形で事切れる男の死体が転がっていた。ヴァイスが爪先で男の身体を退かすと、その下で倒れる妻子もまた息絶えていた。

 濁った目を見開いたまま事切れる子供に見覚えがあった。父親に肩車をされていたあの少女だ。


 美しいものを壊してしまったという、ほんの少しの罪悪感。――だがそれ以上に。



「はは、はははっ……!」



 美しいものの一番美しかっただろう瞬間、その命を自分自身の手で刈り取れた。


 それは最高に――甘美だった。


 簡単だったのだ。欲しいなら奪えば良い、それと同じ。持てる者を自分同様、持たざる者にしてしまえば良い。

 そうすれば羨ましくも、何ともない。だって皆、



「俺と同じだ……!」



 玩具を買い与えられた子供のようにその場でくるくると回って喜びを表現するヴァイスに、ミデンはうっそりと、静かに微笑んだ。






 それからのヴァイスは、自分自身にとって美しいと感じるものを片っ端から破壊した。

 最初は恐らく羨ましい、妬ましい、狡い……そんな感情を昇華させるための行動だったものが、いつの間にか手段と目的とがすり代わっていた。

 ヴァイスは、壊すことに一抹の愉悦をも覚えていた。しかし彼には一つだけ、疑問に思うことがあった。



 ヴァイスは手に掛けた女性の遺体をぼんやりと眺めながら、靴に付いた血痕を神経質にハンカチで拭うミデンへ問い掛けた。



「人はどうして死ぬんだ? どうして、永遠に生きられないんだろう?」



「ヴァイス。人の形をしたものは、いずれ死ぬものです。私も――勿論、貴方も」



「ふうん。死は克服できない?」



「禁術の中に蘇生の魔法はありますよ。あれを蘇生と呼んで良いのか、私には解りませんが」



「蘇生? 言葉の通りなら、それは死の克服じゃないのか?」



「いいえ。所詮は魔力で動くだけのマリオネットに過ぎません。人形は呼吸も睡眠も、食事も必要としない。……そうですね、たとえば私が死んだとします」



「うん?」



「蘇生したとしても私の肉体が『死』を迎えていることには変わりないので、呼吸をする必要がありません。ですので一切口も利かないし、貴方と共に居ようと『おはようございます』も『お休みなさい』も言いません。勿論、食事を囲む必要もない」



「うーん……でも、大切な人が傍にいてくれるならそれで良いんじゃないのか?」



「どうでしょうね。価値観は人それぞれですから」



 これを機に人の生死に深い興味を持つようになったヴァイスは、時折隠れ家に死体持ち帰っては切り開き、己の知識欲を満たすようになった。


 どうして人は死ぬのか。

 何を以てして人間の死は定義され、どこをどうすれば生き返らせることが可能なのか。

 それ以前に魂とはどこに宿るのか。脳なのか、心臓なのか。

 そんなことを幾度も繰り返していたら、その過程で洗脳の魔法を作ってしまった。


 ミデンは、ヴァイスの一挙一動をまるで実験動物を見るような目で具に観察していた。

 だからこそ彼はヴァイスの行動を諫めなかったのだが……頻発する被害に、いち早く人為的なものを嗅ぎ取った人物がいた――それは、リヒト・ウィンティーラという名の刑事である。

 そしてヴァイスが事件を起こす度、自ずと彼との距離は縮まっていった。




 事の重大さに気付いたミデンにせっつかれ、ヴァイスは少し前に気紛れで拾った『ジスト』という名の子供を、リヒト・ウィンティーラに宛がうことにした。


 美しいのは見た目だけで、性根が卑しい貧相な子供。幾ら見栄えのする外見であろうとも中身が伴わないのであれば、それは紛い物だ。


 ヴァイスは餞別代わりに、ジストの左半面に逆十字を刻んでやった。彼の見目が損なわれると、ヴァイスはジストへの興味を完全に失った。

 そうして研究の成果とも言える洗脳の魔法でジストの脳に少しばかり細工し、事が済んだら自死するよう言い聞かせると、リヒト・ウィンティーラの下へと送り出した。

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