追憶の欠片5 「もしも」と「そして」③

 ヴァイスは良く言えば平穏な、悪く言えば退屈な日々を過ごしていた。


 自分にとって美しいと感じるものを壊し、よく食べて、よく寝て……それが習慣となってしまった頃、ヴァイスは偶然立ち寄った街で見世物小屋を見付けた。

 子供から大人までが演目を楽しむようなサーカスではなく、見目麗しい子供を商品として取り扱ったり、新種の魔法生物などと称して既存種の奇形児を見世物とするような、悪趣味極まりない見世。

 ヴァイスは街を襲撃するついでに、その見世物小屋も片手間に破壊してやった。



 商品の女子供に共通している諦念の浮かぶ瞳、最低限の食事しか与えられなかったのか痩せこけた頬にパサついた髪、垢の浮いた身体。据えた臭い。鼻が曲がりそうだ。

 醜くも周りの子供を押し退け我先にと助けを求めて手を伸ばす女を、ヴァイスは一瞥もすることなく魔法で吹き飛ばした。随分と水っぽい音を立て、女の身体が崩れ落ちる。飛び散る血液を浴びないよう注意しつつ、ヴァイスは恐れおののく商品達を次々にほふっていく。


 そんなヴァイスの後ろを、ミデンがゆっくりと付いて来る。彼は決してヴァイスの前に出ようとしない。気を遣っているなどではなく、血飛沫で汚れないためにだろう。人を盾にするのは止めて欲しい。




 見世の関係者だろうと商品だろうと、分け隔てなく破壊し尽くしたヴァイスは、テントの隅で微かに動く人影を見た。

 そして次の瞬間感じた、自分に負けずとも劣らない強い魔力。



「――ヴァイス」



 警戒心も露なミデンの声に上の空で頷き、ヴァイスは一歩一歩慎重に進んで行く。

 気分が高揚している。ここまで己に近しい、強い魔力に出会ったのは生まれて初めてだ。



「……近付くな。それ以上近付いたら、殺す」



 少年のようにぶっきらぼうな、しかしそれにしては少し高めの声が厳しい口調で告げる。

 ヴァイスの大立回りで開いたテントの天井の裂け目から機を図ったように月の光が射し込み、人影を照らし出した。



 ――兄妹か。



 二人共とても美しい造作をしていた。最近この見世物小屋に来たばかりなのか、先程ヴァイスが蹂躙した商品達よりもどこか小綺麗だ。

 兄を守るように仁王立つ少女の傍らには深海にも似た青の髪を持つ青年がふわりと浮き上がり、ヴァイスを品定めしている。青年の額には牡牛を連想させる二本の角が生えていて、彼が人間でなないことを物語っていた。


 少女の足元には血で描いたと思わしき、線も円も何もかもがガタガタな魔法陣のようなものがあった。あの少女が描いたとすれば余りに絵心が無さすぎるし、召喚される方もされる方だ。


 しかしあんな屈辱的な魔法陣で喚ばれても魔族が応えてくれるとは、少女の魔力には余程抗い難い魅力があるのだろう。

 否――もしくはそれ以外に何か要因が……?




 少女の指先から血液が滴り、ぽたぽたという小さな音だけがこの場を支配する。

 よくよく見れば結構な出血量だ。顔色も悪い。青白い顔は月明かりのせいかと思っていたが、それだけではないらしい。



「君は強い。でも、俺には勝てない。それは君が一番よく解っているだろうに」



 ヴァイスは半歩、足を前に進めた。

 刹那、青い炎がヴァイスの行く手を牽制する。



「近付くな!」



「――待って」



 少女の後ろで口を閉ざしていた少年が、ヴァイスを真っ直ぐに見詰めて言った。

 驚く少女を押し退けると、少年は前に出る。



「殺すなら僕だけを殺せ。妹には手を出すな」



「なっ……ふざけるなよ、シエル!」



「彼等は物盗りでも、ましてや僕達商品を強奪するのが目的なんじゃない。なら、命乞いをしても無駄だよ」



「ほう? こんな場所にいた割に、頭は悪くなさそうですね」



 ミデンの感心した呟きを聞き流し、ヴァイスは銀髪の兄妹のやり取りを眺めていた。

 月明かりに照らされお互いを庇い守ろうとする二人の姿は、ただひたすらに鮮麗だった。



 ――これが『家族』か。



 ヴァイスという圧倒的な力量差を前に戦う決意をした少女と、彼女を逃がすため己の命を差し出そうとした少年。

 純美なそれに、ヴァイスは無意識の内に手を差し出していた。




「―― 一緒に来ないか?」




 ミデンが何やら抗議の声を上げていたが、そんなことは全く気にならない程にヴァイスの胸は期待で膨らんでいた。


 彼等が欲しい。

 尊い家族である彼等の存在を手に入れたい。

 彼等なら、いつかヴァイスのことも家族として迎え入れてくれるかもしれない。


 差し出された手に困惑した表情を浮かべていた少年は、一呼吸入れるとヴァイスの手を掴んだ。

 少年が自分と妹の命と、見ず知らずのいかにも危険そうな男に付いて行くことのリスクを考えた上で、ヴァイスの手を取ったのは明らかだった。


 でも、それでも良い。今はまだ。



「俺はヴァイス。後ろの彼はミデン。君達は?」



「僕はシエル。シエル・フォードだ。こっちは妹のシェリー。……よろしく、ヴァイス」












 ヴァイスとミデンの存在にいち早く気付き、彼等を嗅ぎ回っていたリヒト・ウィンティーラという刑事が死んだと聞かされたのは、シエルとシェリーを拾ってから四ヶ月程経った夏の日のことだった。

 別にそこまで結果は期待していなかったが、あの時送り付けた子供はヴァイスの命令を見事に成し遂げたらしい。



 ミデン共々教団に呼び出されたヴァイスは、プリメラ・ジノヴァから一番に労いの言葉を掛けられた。

 何故ネオン大主教ではないのだろうと不思議に思っていると、ミデンが「彼女、随分前から私達のパトロンですよ。気付きませんでした?」と囁く。



「次も期待しているわ」



 蛇のような雰囲気を幾分か緩ませ、プリメラが優しげな笑みを浮かべた。

 『期待している』――初めて向けられた言葉にヴァイスは誇らしい気持ちを覚え、頬を上気させた。



 ――『母親』とは、こんな感じなのだろうか。



 彼女に褒められたい。笑って欲しい。

 ヴァイスは込み上げて来る何かが溢れてしまわぬよう、胸を強く押さえて頷いた。




 教団を出ると、ヴァイスは早速ミデンに尋ねた。



「ねぇ、ミデン。母親ってあんな感じかなぁ?」



「それはまさか、プリメラのことですか? ……良いですか、ヴァイス。今の話、決して本人の前でしてはなりませんよ。彼女はまだ、貴方のように大きな子供がいるような年齢ではありませんので」



「何で年齢?」



「女性は怖いという話です」



「?」



 ミデンの言い分は解らなかったものの、プリメラ本人に『母親のようだ』と言ってはいけないことだけは理解できた。

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