私達の断片3 おしゃべりはずむ②


「……ってことがあったんですよぉ」



「それ、本当に元『サーカス』で『夜を歩く者ナイトウォーカー』のシェリー・クランチェか? 別人じゃないのか?」



 ミリセントは銀製の如雨露で草花に水をやりながら、花々が柔らかい雨に濡れて行く様に微笑む。

 彼女の傍らには、どこからか入り込んだ白い蝶を羊のような角に留まらせ、疑念の声を上げるサファイア寮三年生の男子生徒――サリエル・グレイの姿があった。



「『夜を歩く者ナイトウォーカー』……ですか?」



「当時のシェリー・クランチェの二つ名だ。『サーカス』は闇に紛れて行動する。彼女の人形染みた整った容姿は、かなり目立ったんだろうな。その二つ名は一人歩きして、まるで『サーカス』の代名詞のようにもなってしまった」



「詳しいですねぇ、サリエル先輩」



「彼女と私は、同じ闇属性だからな」



「……それ、関係ありますかぁ?」



 当然、そんな理由であるはずがなく。

 サリエルの気を引いているのはシェリーから感じる強い魔族の気配であるが、彼の口から語られることのないそれを、ミリセントが知るはずもない。



「ガーデニング部は、食用の植物はもう育てないのか?」



「育てませんよぉ。だってサリエル先輩、苺とか作ったら絶対食べちゃうじゃないですか。知ってますよぉ。私が入学する前に、花壇で作ってた苺を食べ尽くした話!」



「……」



 ミリセントの抗議にサリエルが黙り込む。事実であるため、何も言い返せないのだろう


 こうしていることからも解るように、彼の日課は温室でのサボタージュだ。

 そんな彼がある時読書の折に口寂しさを覚え、これ幸いとガーデニング部が栽培していた苺を摘まんだそうだ。

 一つ食べてその甘さに夢中になり、二つ、三つと無我夢中で口に放り込んでいたら、いつの間にか花壇一つ分食べ尽くしたという話は、ガーデニング部で語り継がれている。


 しかし当時の先輩達は丹精込めて育てた苺を食べ尽くされても「顔が良いから許す!」と、ミリセントからしてみると信じられない理由で、サリエルを無罪放免にしたらしい。……正直意味が解らない。



 ――サリエル・グレイは美しい男だ。

 友人のシェリーもそれこそ人形のように整った顔をしているが、目の前のサリエルも中々に負けていない。



 鎖骨に触れる程の長さの、青み掛かった黒髪は男性にしては長いが艶やかで美しい。カーミラもそうだが、魔族とは黒髪が多いのだろうか。

 側頭部から生える羊にも似た二本の角は威圧感を与えるものの、彼の雰囲気によく調和していた。

 瞳の色は石榴のように熟れた赤だ。瞳孔は細く縦長で、一目で人ではないことが察せられる。


 そんな美貌の彼と平気な顔をして口を利くミリセントを、部活の同輩達は「あんな綺麗な人とよく普通に話せるね。緊張しない?」等と不思議がる。

 だが彼女にとってサリエルとは、サボるために温室を使用する不届きな人物であり、数少ない芝生を占領し花壇裏に傍迷惑な先輩でしかない。


 ここまで散々なことを言っているが、決して悪い人ではないのは解っているのだ。

 だがどうしても、初対面時の水を掛けた印象が根強かった。



「……なら、空いている場所に薔薇を育てて欲しい」



「薔薇ですか?」



「魔族は薔薇を好む種族が多い。勿論私も」



「まあ、それなら食べられないですしねぇ。サリエル先輩は、何色が好きですか?」



「……黄色と、緑色」



 サリエルのイメージからはかけ離れた色に、ミリセントは如雨露を取り落としそうになる。


『黒薔薇の君』等という渾名が付けられているサリエルならば黒色や、イメージ的には赤色を選ぶものだと思っていたのだが……まさか黄色と緑色とは。

 可愛らしいが少々控え目な色の印象なので、彼がこの取り合わせを口にするとは、かなり意外だった。



「それでいつか花束を作って、君に贈る」



「……私が育てるのにですか?」



「ああ。私は枯らす方が得意だからな」



 サリエルの徒人では中々理解し得ない感性に、ミリセントは可笑しくなって吹き出した。



「分かりました、後で先生に苗の発注をお願いしておきます。ちなみに、花束に使用する薔薇は何本ですか?」



「十三本」



「十三本かぁ……ならいっそのこと、大きい苗を買ってもらいましょうか! ふふっ。育てるの、楽しみだなぁ」






「もしも植えるなら、この辺りかなぁ」と算段を付けるミリセントを、サリエルは温かい眼差しで見守る。

 花言葉は知っていたとしても、花束にした場合の薔薇の本数にも意味があることまでは、ミリセントは知らないだろう。



 黄色の薔薇の花言葉は――『友情』『平和』。

 緑色の薔薇の花言葉は――『穏やか』『希望を持ち得る』。



 どちらもミリセントが持つ色だ。



 そして十三本の薔薇の花束の意味は――『永遠の友情』。



 魔族は、人とは異なる時間の流れを生きていく。それは、人と魔族のハーフであるサリエルにも言えることだ。


 魔族との混血であることに加え、この目立つ容姿。

 ある意味特別扱いされてきたサリエルに対し歯に衣着せぬ物言いをするミリセントの存在は、大層珍しいものだった。最早珍獣と言っても過言ではない。

 つまらない人の身で、永久にも近い時を過ごすのかとうんざりしていたが……思っていた以上に面白い生となりそうだ。


 だからこれはそんな彼女への礼でもあり、誓いでもある。


 サリエルはミリセントの寿命が尽きるその時まで、確かに彼女の友人であり続ける。

 それがサリエルの魔族としての特性であり、矜持であり、友人としてのよしみだ。












「コニー、次行くわよ!」



 レイチェルが、せかせかとした足取りで次のインタビュー先へと向かう。

 彼女はブレザーの胸ポケットを探り手の平サイズの手帳を取り出すと、今しがた終わった予定に赤で横線を引いた。



「次はどこだっけ?」



「演習場よ。最初は……魔法剣術部ね。部長は千梨先輩だったかしら」



「千梨先輩か。ちょっと緊張するな……」



「アメジスト寮だから? そんなの、シェリーだって似たようなものでしょ」



「いや、シェリーさんはレイチェルさんから話を聞いてたし、実際同じクラスになってみたら、その……」



「『警戒してる方が馬鹿らしくなった』?」



 レイチェルのからかう声音に、コニーは無言を貫いた。


 実際、彼女の言う通りだったからだ。

 『サーカス』のメンバーだったというシェリーは確かに強く、アメジスト寮にいただけの能力もある。コニーなんかとは比べ物にもならないだろう。むしろ比べるのも烏滸がましい。


 だがシェリーがエメラルド寮に編入してから今まで、彼女の少し抜けている部分も目にするようになった。今日の飛行術なんかもそうだ。

『イメージと違う』。そう言い表すのが正しいだろうか。



「アイツ、結構マイペースよ。勿論、色んな意味でね」



 誰しもに共通する、親しい友人について語る時特有の気安い口調でレイチェルが言った。


 当然、コニーもレイチェルの事情は知っている。

 彼女の出身地、音楽の都イオステュールを襲った『惨劇のクリスマス』。

 それが『サーカス』の手によるものだというのは、疑い様のない事実だ。


 一年生の頃に彼女が受けた罰則も、その事件が根底にあったということは、本人からではないものの伝え聞いている。


 もしもコニーがレイチェルの立場だったら、シェリーを許せるだろうか。


 否。許したというよりも、レイチェルは『理解しようと努めている』と言う方が正解だろうか。

 彼女達の友情を疑っている訳では断じてないが、コニーはそう思っている。


 コニーは、レイチェルのそういう所が好きだ。

 彼女はまさに、記者になるべくして生まれたような人だ。貴族に負けるとも劣らない高潔さは、余りにも眩しい。


 そんな彼女の相棒として隣にいると、コニーは時々これが全て夢ではないのかと不安になる。

 朝、目が覚めたら実家のこぢんまりとした自室にいて。まだテラスト魔法学校にすら入学しておらず、レイチェルにも、友人のエミルにすら出会っていない。

 そうして焦って辺りを見回したその先で、ネクタイの『H-Ⅱ』の刺繍を目にし、いつも安堵を覚える。



「――ちょっとコニー、何してるのよ。約束の時間に遅れるわ。アタシ、千梨先輩を怒らせたくないわよ」



「ごっ、ごめん。今行くよ」



「アンタのカメラの腕も信用してるんだから。それを疎かにされちゃ困るわよ。アタシ達はコンビ、相棒なんだから」



「う、うん!!」



 思考の海に沈んで歩みが遅くなり、早足のレイチェルからはかなり引き離されていた。

 急かすレイチェルに、コニーは首から下げたカメラを押さえ、慌てて彼女との距離を詰める。


 ――コニーはレイチェルが好きだ。


 自信がなく俯いてばかりの暗い自分を、相棒と呼んでくれる彼女が。

 だがこの感情を押し付ける気は更々ない。

 彼女はそんなものに囚われず、自由に動き回る姿の方が良く似合っている。

 コニーはそれも含めて、レイチェルのことが好きなのだ。










 二十二時。

 テーブルランプの明かりを絞った、薄暗い自室。

 アリスは椅子に腰掛け、ゆっくりと本の頁を捲る。

 勉強机の上には彼女が読んでいる本の他に、まだ手を付けていない本がもう二冊あった。



 ―――『ヒーロー少年Vシリーズ』



 アリスは現在読み進めている内容に、眉を顰めた。



 内容は主人公の少年が、友人でありながらも己を裏切り、悪の手先でもあった少年と相対する場面だ。


 友人であり、裏切り者でもある少年が言う。



『君はそうやって日の下にいるから、ボクの気持ちなんて解らない。君はそういう奴だ。嫌いだ。憎らしくて、嫌になる。でも、友達なんだ。大好きなんだ。ボクだって、君みたいに……なりたかった。強くて眩しい、ヒーローに』



 あの夏の日の広場での、リーとの思い出が鮮やかに甦る。


 「ヒーローに憧れたんだ」と言った口で、直ぐに「夢物語だけどね」と否定した彼は、この少年に自分を重ねていたのだろうか。


 アリスは壁掛け時計を見上げ、そろそろ寝ようと栞を挟んだ。

 栞には『ポニコーン』という文字と、天使の羽のようなものが生えた馬にも、キリンにも見える謎の生物が描かれている。


 司書見習いのウィスタリア・フューリが、意味深な顔をしながら手渡してきたものだ。

 ちなみに、アリスに負けるとも劣らないこの絵は、魔法史学担当教師にして図書室の管理責任者でもあるマシュー・スプライト画伯が描いたものらしい。

 栞の後ろには絵とは違って美しい字で、ご丁寧にサインがしてあった。


 しかしこの『ポニコーン』という単語、何故か見覚えがあるのだが、どこで見たものだったか……。




 考えても思い出せず、アリスは諦めてベッドに横になった。

 魔力の供給を止めテーブルランプの明かりを消すと、室内は一瞬にして闇に包まれる。

 もぞもぞと身動ぎをしてようやく体勢を落ち着けると、アリスはゆっくりと呼吸をした。


 明日はついに御前試合だ。


 不安しかないが、ここまで来たらやれることをやるしかない。

 アリスは頭を振って暗い考えを消し去り、なるべく楽しいことに思いを巡らせた。


 友人達とのおしゃべり。

 Mr.アダムスの新作のお菓子。

 シューゲルの諸事情により、魔法生物学が自習になったという妄想……できれば、これは実現して欲しい。




 やがて訪れた眠気には逆らえず、アリスは夜闇に意識を同化させるように静かに目を閉じた。






  私達の断片3 おしゃべりはずむ 完

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