第21話 どうか、教えて②

 ジルの視線の先で、エドワード・フォン・アレスが控え目に挙手していた。剛胆そうな男だが、緊張しているらしい。表情が固い。

 一介の教師に、このギスギスした空気は耐えられまい。

 アーリオが手振りで発言を促すと、エドワードはほっと相好を崩した。



「襲撃当時、王麗ワンリーと相対したのはお……私です。彼は何か魔法生物の一部に身体を変化させて、戦っていました。鋭い爪に、鱗を持つものです」



 エドワードが机の上に取り出したのは、青にも緑にも見える鱗だ。当初蛇のものかとも思ったが、それにしては大きいような気がする。

 皆の注目が鱗に集まったのを確認し、エドワードが続けた。



「私には専門外でしたので、シューゲルせ……寮長主任に分析をお願いしました」



 エドワードの視線を受け、シューゲルが後を引き継いで説明する。



「……我輩も、そのような鱗を見るのは初めてです。しかし唯一、良く似た特徴を持つものを知っています。書物にのみその存在を描かれる、龍の鱗ではないかと。現存する爬虫類の特徴を捉えていますが、それにしては鱗が大きく、硬い。これを龍のものだと仮定し、この調書にあります爪痕ですが、龍の爪痕だと言われれば我輩は納得です。人体なんて簡単に引き裂くでしょうね――ただ一つ問題があるとすれば、先程述べましたように実在しないのです。よって龍との混血というのは存在しない」



「それ以外の生物という線は皆無なのか?」



「爪痕は似たようなものがいるかもしれませんが……王麗の鱗の存在の、説明がつきません。調書によれば、この座敷牢も鋭い爪のようなもので壊されていたとあります。もしまだこの村が残っているのなら、檻が中と外どちらから破壊されたのかが分かれば、我輩の説の裏付けになるとは思います」



「――龍ヶ伏村というのはね」



 今まで静観していたアーシェ・フリージアが、愉しげに言葉を挟む。



「土地神である龍神を奉っている。今でも時折龍神の寵愛を受けた、龍の特徴を持った子供が生まれるという話だ。龍神が司るのは水、その王麗という少年も魔法属性は水だね」



「……詳しいな、アーシェ・フリージア」



 訝しげな顔をするアーリオに、アーシェが得意気な笑みを浮かべた。



「そもそもこの龍ヶ伏村の事件をゲインに教えたのは、私ですから。三年近く前にした話を、あの子もよく覚えていたものだ」



「そういう話は先にしてくれ」



「これは失礼しました。しかし私が聞いたのは取るに足らない噂話のようなものでしたので、この場で話すようなことでは……」



「それを判断するのは私だ」



 アーリオの冷たい視線に、アーシェが左右で色の異なる瞳を細めた。

 降参とでも言いたげに両手を広げると、座ったまま小さく頭を下げる。



「……その通りで。申し訳ありません。ではお話し致しますが、私がこの話を聞いたのは、酒宴の席であったということを念頭に置いてお聞き願います」



 アーシェがそう前置きしてから、吟ずるように朗々と話し出す。



「龍ヶ伏村には、古くから龍神の加護があるという言い伝えがあるのだとか――昔々両者は共存し、お互い助け合って生きていた。龍神が天災や人災から村人達を護る代わりに、人は年に一回生け贄を捧げて龍神に感謝を伝えた。しかしそのような風習も時と共に寂れ、村人達は龍神の恩恵に胡座をかき、親しい者を生け贄に捧げねばならない不満と恐怖だけが彼等の心に顕著になった。ある時、村長の娘が生け贄に選ばれてしまった。これに怒った村長は娘に成り代わり、生け贄を食いにやって来た龍神を刀で一刺しに殺してしまった。その時はこれでようやく親姉弟を生け贄に捧げなくて済むと喜んだ村人達だが、その後村は幾つもの天災に襲われることとなり、彼等は悔い改め、龍神を祀る社を作った。村人達の行いに怒りを鎮めた龍神の魂は、また彼等と共に在るようになった」



「――それが、さっきの寵愛の話に繋がるという訳か。そういうことは、あり得るものなのか?」



 アーリオは「専門家の意見が聞きたい」と、真剣な表情でシューゲルを窺った。

 シューゲルは悩む様子でしばし目を伏せ、ゆっくりと顔を上げた。



「……そのような話は内容に多少の差異があれども、各地に残っています。しかしその殆んどが伝説。神話なのです。その上で考えられるのが『神降ろし』でしょうね」



「『神降ろし』……?」



「魔法というよりは、最早まじない。むしろ宗教的、霊的なものといってもおかしくはないでしょう。便宜上『神』と呼んでいるだけです。神と言って思い浮かぶ姿形は、人によって異なりますから」



 宗教的、霊的等と言われると一気にきな臭さが増す。アーリオが更に顔を険しくした。

 宥めるような口調で、シューゲルが続ける。



「ですので『神降ろし』というのも、便宜上の言い方と思っていただけると。簡単に説明しますと『神降ろし』というのは召喚魔法に近い。しかし決定的な違いは、人の身に直接降ろされるのです。すると、肉の器に二つの異なる魂が存在することになる。従って混血の者とは、また話が違ってくる訳です」



「……龍神は存在しないのよね?」



 混乱を極めたのか、ネロが珍しく殊勝な態度で問う。エドワードもその隣で頻りに首を傾げていた。

 シューゲルが出来の悪い生徒を見る眼差しで、彼等に問い掛ける。



「魔法に必要なのは何だ」



「想像力と……」



「創造力ね」



 それぞれ答えたエドワードとネロに、シューゲルが頷いた。彼はアーリオへと視線を戻す。



「その龍ヶ伏村の者達は村に伝わる伝説を信じるが余り、共通の神を創り出してしまったのではないでしょうか。人口の少ない村といった閉鎖された環境は、皆の持つイメージ、意識が画一され易い。龍ヶ伏村に伝わる言い伝えと併せて考えるとするならば……例えば天災の被害が続いた、作物が不作だった、偶々死人が続いた。そういったことがあった年に――偶然、魔力の強い子供が生まれた。または……これは東大陸の古い土地では時々耳にするのですが、双子の赤子を凶事の前兆と捉える地域もある。そんな、村人達にとっての凶事が続いたことによって、彼等は伝説として残る龍神の祟り、怒りを連想する。そして想像上の神として村人達の中に一定のイメージを持って存在する龍神は、『神降ろし』で降ろされた者に影響を及ぼすようになる」



「……まるでのろいだな。その少年に鱗が生えたというのも、村人達の龍神に対するイメージが成せた技だと?」



「憶測に過ぎませんが」



「……その『神降ろし』とやらは、解くことができるのか?」



「創造主たる村人達が死して尚、龍神が巣食っているというのなら……王麗もまた龍神という存在を強く信じているのでしょう。あるいはそう教えられてきたか。理由はどうであれ、彼の魂と龍神と呼ばれるものが、既に癒着してしまっている可能性は高いと思われます」



 シューゲルの見解を聞き、為政者の顔となったアーリオが一拍置いて告げた。



「――『サーカス』メンバーを指名手配し、近隣諸国にも手配書を送る。今回の襲撃事件の関係者各位から聞き取った話は、魔法警察省にあるはずだな? 至急手配書の作成を頼む」


「相手が子供だろうと、何だろうと、我が国に仇なすものは容赦しない。魔法警察省君達も引き続き、彼等の行方を追ってくれ。……生死は問わない。彼等はそれ以上の罪を犯している。未成年だからといって同情はしない。彼等とその他大勢の国民達の命、私が、君達が負うべきはどちらか等、明確だ」



 アーリオの指示を受け、フレデリカが強張った表情で頷いた。

『サーカス』メンバー達とほぼ同程度の年齢の子供達と接する機会の多いテラスト魔法学校関係者達は、揃って沈鬱な面差しとなる。

 特に、王麗と王鈴麗ワンリンリーが在籍していた寮の寮長達は、複雑な表情を浮かべた。



「では、シェリー・クランチェの処遇は追って連絡する。それまで、彼女には自宅での謹慎を命じる。この事件の捜査権はフレデリカ・ロッソに一任。ジル・クランチェは通常通り業務を行い、フレデリカ・ロッソが携わる捜査への介入は原則禁じる。以上」



 アーリオが原稿を読み上げるように淀みなく言い切ると、椅子から立ち上がる。会議の出席者達も合わせて立ち上がった。

 アーリオが真っ先に会議室を出ると共に、プリメラが肩を怒らせながら早足で室内を後にする。彼女の黒いドレスの裾が、不機嫌そうに揺れていた。

 わらわらと皆が出て行くのをジルが座って待っていると、馴染みない声に名を呼ばれた。



「―――ジル・クランチェ魔法警察省大臣」



 テラスト魔法学校の寮長の一人として出席していた、アメジスト寮寮長のジスト・ランジュ。彼は義娘、シェリーの担任でもある。


 ジルの記憶に残っているのは少年の姿のジストだが、彼は歳を重ね、精悍な顔付きの青年となっていた。

 相変わらず怖い位に造作の整っている、色白の細身の男だ。美しい紫の髪が、彼の受け持つ寮を連想させる。さらさらと彼の動きに応じて揺れるそれは細く、さながら絹糸のようだ。

 反して左頬を覆う程の黒々とした逆十字の刺青が、肌に映えて痛々しくも見える。

 職業柄一通り人間観察を済ませたジルはそれを気付かせないよう素早く笑みを作ると、椅子から立ち上がった。



「お久し振りですね。ジスト・ランジュ、いえ、ジスト先生とお呼びすべきか。改めまして、シェリーの養父ちちのジル・クランチェです。いつも娘が御世話になっております」



「……お久し振りです。こちらこそご挨拶が遅れてしまい、申し訳ありません。……あの、シェリーさんの様子は如何ですか?」



 若い割に礼節を弁えているジストに感心した。

 彼に対し複雑な感情が入り雑じってはいたが、それを上回る好感度に、ジルは肩の力を抜くと少しばかり砕けた口調で言った。



「大人しいものです。元より活発なタイプでもないので、特に問題なく過ごしているようですが」



「そうですか……彼女は少々思い詰める所があると言うか、こういう表現は何ですが自罰的な所がありますから、気に掛かっていたんです」



 ジストがほうと一つ息を吐いた。

 上部だけではない温度の籠ったそれに、彼が本当にシェリーの身を案じているのが伝わった。



「それでその、本題はここからなんですが。ジル大臣、無理を承知でお尋ねしたいのですが……シェリーさんに一度会わせては頂けませんか?」



「元首からは謹慎の命がありましたが、人と会うこと自体を禁止している訳ではありませんでしたので、それは構いませんが……」



 深刻な様子に身構えていたが、目くじらを立てるような内容でもなかったため拍子抜けする。

 狼狽えながらも許可すると、ジストが目に見えて安堵の表情を浮かべた。



「ではお伺いする前に、一度ご連絡致します」



「お気遣いなく。私は兎も角、使用人は必ずいますから。いつ来て頂いても構いませんよ。貴方がお見えになることは、私からシェリーに伝えておきますね」



 ジストは再度頭を下げると、既に彼とジル以外は退室している会議室を静かに出て行った。


 ジストの後を追うように会議室を出たジルは、いつものように喫煙所に向かう。

 喫煙所の磨りガラス越しに、真紅のドレスが見えた。

 それだけで室内に誰がいるのか察し、ジルはゆっくりと扉を開ける。




「やあ、シャン――……」




 真っ先に目に入った人物に、ジルは一瞬動きを止めた。

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