第21話 どうか、教えて③
「……久し振りだな、ジル・クランチェ」
そこには紙コップ片手に壁に寄り掛かる、シューゲル・グランドウォールの姿があった。
シャンは彼の幼い見目を気にしてか、喫煙所にいるというのに煙草の一本も吸った形跡がない。灰皿の中に、彼女の吸い殻が入っていないのだ。
ジルはシガレットケースを取り出そうとスーツの懐に差し込んでいた手を、無言で外に出した。
シャンが吸っていないというのに喫煙する訳にもいかず、ジルは至福の一服を諦めた。
「お久し振りです、シューゲル先生。まさか喫煙所にいらっしゃるとは……お煙草、吸われるんですか?」
「元々はな。だがこの姿だと人の目を集めてしまうから、控えるようにしているんだ」
ジルは紙コップに口を付けながら話すシューゲルの、左斜めに陣取った。
正面には遠い目をしたシャンが立っている。口寂しいのだろう。気持ちは良く分かる。
学生の頃のようにシューゲルが大人の男性の姿になってくれれば、喫煙するのに何も問題はないのだが。
「では、何故ここに……?」
ジルが控え目に問うと、シューゲルは飲み掛けのコップを傍らの窓枠に置いた。
「……貴様に話があった」
「私に話……ですか?」
先程の会議についてだろうか。
わざわざジルを待っている位だ、余程重要な話なのだろう。
そう考えを巡らすものの、その内容に皆目見当も付かない。
脳内に疑問符を散らしていると、シューゲルが突然頭を下げた。
見下ろした彼の後頭部に、ジルは度肝を抜かれる。なまじシューゲル・グランドウォールという人物を知っているために、気不味い以上に心臓に悪い。
「かっ、顔を上げてください。シューゲル先生。先生に頭を下げられるようなことは――……」
「会議の中で言っただろう。シェリーに助力を乞うたのは我輩だ。あれ以上の手がなかったとは言え我輩とて彼女の将来を、人生を、害してしまったことに違いはない。『サーカス』の者達と、目的が違うだけでな――ジル・クランチェ殿。この度は私共教員の不手際に御息女を巻き込んでしまい、誠に申し訳ありませんでした」
シューゲルは、下を向いたまま陳謝した。
懺悔にも似たそれが終わるのを待たずに、彼の隣に立つシャンが深々と頭を下げる。
――ジルはシェリーの養父として、二人の謝罪を受け止めた。
「……顔を上げてください、お二人共」
ジルの穏やかな声音に、シャンが驚いたように顔を上げた。シューゲルも一拍置き、彼女に続く。
「シェリーは先生に言われずとも、『
「しかしその中で、彼女は自分の居場所を見付けていた。正直、嬉しさもあったんです。復讐や義務といった感情だけではなく、友人達を、大切なものを守ろうとした彼女の行動に。頭を下げねばならないのは私の方です。テラスト魔法学校校長、シャン・スタリア殿、シューゲル・グランドウォール殿。娘を受け入れて、見守って下さり、本当にありがとうございます」
シューゲルと、当時寮長に就任していたもののまだ新米教師だったネロ・クラウドの二名は、三年前シェリーのテラスト魔法学校への入学の話が出た際、最後まで承諾しなかった。
彼女の境遇や年齢に見合わない能力の高さに、余計な火種を抱えるのではないかと懸念したからだ。
しかし一介の教師達の意見がお上に通ることなど到底有り得ず、シェリーはアメジスト寮への編入が決定した。
当初シェリーに対して『サーカス』に内通しているのではという疑念はあったが、テラストの生徒となったのならば彼女も守るべき生徒の一人には違いない。
故にシューゲルは魔力の制御に悩むシェリーに魔法具を作って与え、手を貸した。ただそれだけだ。
「……礼を言われるようなものではない。我輩は教師として当然のことをした、それだけのことだ」
「ならば私の言いたいことも、分かって頂けますね?」
「……」
渋い顔をしたシューゲルに、シャンが微かに口の端を持ち上げた。
シャンが元の場所に戻ると、三人は顔を突き合わせる。
少しばかり余所余所しい空気が漂ったものの、そういったものを一切気にしない
話題は矢張、会議の内容についてだ。
「……シェリーの言う通り、今回のテラスト魔法学校の襲撃がヴァイスと右腕のミデンとやらで目的が異なっていたとして、ミデンの狙いは何だと思う」
シューゲルが、窓枠に置かれた紙コップに手を伸ばす。
その拍子に、中の黒い液体が小さく揺れた。
コーヒーだろうか。初等部程度の子供の見目でコーヒーを啜っているというのも、結構な違和感がある。
「魔法水晶の破壊、警備の脆さを調べるため……教師達や生徒の実力を知るため、復活した自分達の存在をアピールするため。何だかしっくりこないわね」
シャンがほっそりとした顎に手を当てて、考えられる可能性を上げていく。ジルもその後に続けた。
「テラストには、政界で名を馳せる人物の御子息や御息女も通っている。ならば彼等の安全を脅かすため、身代金を要求するため……あるいは政治に対する抗議の一環か」
「……真昼の犯行だったのも、何か理由があるのかしら。文化祭の最中だったから、皆の警戒心が緩んでいたのは確かだわ」
「――世間の目を、テラスト襲撃に向けさせたかった。良くも悪くも、シェリー・クランチェの存在は目立つ。ヴァイス以外で唯一世間一般に名前を知られている元『サーカス』メンバー……彼女の動向は皆気になるだろう」
シューゲルの意見に、真っ先に反応したのはジルだ。
「彼女を隠れ蓑にしたということですか?」
「あくまでも憶測だ。あとは単純に、自分達に対抗できうるシェリーを政治的に排除したかったか。理由はあれど、彼女が公然の場で強大な魔力を解放したのは事実だ。過去『サーカス』にいたシェリーの存在を、目障りに思う者は少なからずいる。ならば、そこを突いて彼女を捕らえようとするだろう」
三人の脳裏に共通して浮かんだのは、プリメラ・ジノヴァだった。
彼女は元々、シェリーのテラスト魔法学校への入学、及び監視を含めた編入について強く反対していた。
此度とてシャン、シューゲル達寮長が辞任を仄めかさなければ、アーリオの庇い立て(本人にとっては十中八九事実を述べただけだろうが)がなければ、あれよあれよという間に、シェリーのノルストラ監獄行きが決定していたのかもしれない。
一歩間違えればそうなっていた可能性に、ジルは眩暈がした。
真剣な目でコーヒーが波打つ様を見詰めていたシューゲルが、視線を紙コップから離さないまま言った。
「『サーカス』……何故彼等子供だけの組織が破綻せずに、ここまで強大なものになれたのだろうな。考えれば考える程、不可思議だ」
独白めいたそれは降って湧いた考えを否定しつつも、シューゲルの中にある疑念を拭うことはできなかったようだ。
「『サーカス』の後ろには、第三者が……何か大きな、組織めいたものの影があるんじゃないのか」
ジルがシャンへ目配せすると、彼女は頷いた。二人の意見が一致した証だ。
ジルは深く息を吐くと、学生時代悪戯好きな友人がよく懐いていた目の前の教師へ、声を潜めて言った。
「シューゲル先生、これは他言無用でお願いします。私は……私とシャンは彼等『サーカス』に、大臣クラスの人物からの支援があるのではないかと考えています」
シューゲルは少しばかり目を開いたが、冷静な表情は崩さなかった。
「根拠は? そうはっきりと断言するんだ、何かそれを裏付けるものがあるんだろう?」
「これも他言無用でお願いしたいのですが……」
ジルはノルストラ監獄で拘束されていたヴァイスが脱獄した際、手引きしたメンバーが監獄内部を把握していた可能性を示唆した。
そのためには見取り図が必要となるが、それを手に入れられることが出来るのは、限られた役職の者であるということも。
「ノルストラ監獄は魔法警察省の管轄ではありますが、見取り図自体は他の省の者でも閲覧できます。ただし大臣以上の者であることが前提条件です」
「そこまで絞れるなら、元首なりに進言すれば良いものを」
「まだ確証がないのです。ここで騒ぎにして、蜥蜴の尻尾切りになっては困ります。元首アーリオに話すのは、私の中で疑念が確信に変わってからです」
「シェリーは、貴様に何か話さなかったのか」
「……彼女がまだ『サーカス』に所属していた際の話ですが、ミデンは時折、ヴァイスの側を離れることがあったそうです。半日程して纏まった金と共に帰って来るミデンを、不審に思った彼女の兄シエルが問い詰めたそうですが『汚い金ではありません』の一点張りだったと話していました。シェリー本人はミデンの不在には気付いていたものの、金銭は盗んだものだと思っていたようです。『サーカス』のメンバー達は皆、欲しいものがあったら盗んでいたからと」
シューゲルが心底呆れ返った様子で、大きく溜め息を吐いた。
彼のローブの装飾品がちゃり、と微かに音を立てる。
「その倫理観、道徳観のなさは最早表彰ものだ。この中にいては、シェリーの兄の方こそ変人扱いだっただろうな」
「シェリー達兄妹はミデンの持って来た金銭には手を付けず、働ける年齢であり、且つシェリーと違って顔の割れていない兄が、日雇いの仕事をした稼ぎで過ごしていたそうです。私も驚きました。ここまで踏み込んだ話を聞いたのは、初めてで」
「そこまでいくと聖人君子ね。真っ当過ぎて、怖い位人間が出来すぎているわ」
黙って話を聞いていたシャンが肩を竦める。
鎖骨が露になったドレスは、骨の動きがよく分かった。
浮き出た骨が作り出す深い陰影が、彼女の肌を陶器のようにも見せていた。
「――今回の事件に、アリス・ウィンティーラも関わっている。彼女は先の会議で名前が上がった
ぼそりと呟いたシューゲルに、ジルとシャンは口を閉ざした。
彼等三人の頭を過るのはアリスともう一人、彼女と同じ夕陽色を持つ男。
「……アリスとシェリーを巡り合わせたのは私だわ。過去の自分とシェリーを重ねた。そしてアリスにはあの人を」
「責任を感じているのか?」
労る口調のジルに、シャンがきっぱりと首を横に振った。頑な子供染みたそれに、学生時代のシャンの姿が重なる。
あの頃の彼女も、随分と頑固だった。
真面目だからという些か納得のいかない理由で学級委員長を押し付けられたジルだけが、唯一シャンとやり取りがあった。
それは主に教師からの伝言であったり、提出物の催促だったのだが、その度にシャンからは「何で言った本人じゃなくて、アンタを来させるのよ。本人を呼びなさいよ!」と理不尽な怒りを向けられていた。今となっては、懐かしい思い出だ。
「――いいえ。私は彼女達を引き会わせた、ただそれだけ。以降に彼女達が築き上げた友情は、彼女達だけのものよ」
「ああ、そうだな」
「……随分と、一丁前な口を利くようになったものだ。貴様等には、特別手古摺らされた記憶の方が多いが」
「嫌でも、時は過ぎますね」
「――それだけ、我輩達も変わらねばならんということだろう」
シューゲルが飲み終えた紙コップを潰した。
それを合図に、三人は喫煙所を出る。
別れる時は素っ気なく、彼等はお互い無言で背を向けた。
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