第4話 おかしなお茶会

第4話 おかしなお茶会


 待ちに待った月曜日の昼休み、アリスはレイチェルに託されたミッションを完遂するため、意気込んで立ち上がる。

 「いざ向かん戦場へ!」という気分で、レイチェルに描いてもらった校内の見取り図片手に教室を出ようとすると、馴染みのない声に呼び止められた。



「アリス・ウィンティーラ、ちょっと良いかしら。あとレイチェル・バーグとミリセント・ヴォルムも呼んでくれる?」



 チェリーピンクの生地に真っ白なフリルがふんだんにあしらわれた、少女趣味のドレスに身を包んだガーネット寮寮長ネロ・クラウドがそこにいた。

 腕を組んで尊大な態度は相変わらずだ。


 度肝を抜かれたアリスは「はい只今!」と回れ右して教室に戻ると、今正に購買のパンにかぶりついたミリセントと目が合った。

 動きを止めたミリセントを不審に思ったのか、レイチェルが教室の入り口を振り向く。

 彼女はアリスの姿を認めると、「戻って来るの早くない?」という顔を隠さずに首を傾げた。



「ネロ先生が二人のこと呼んで来いって!」



 レイチェルとミリセントが顔を見合わせる。

 ようやく事の重大さに気付いたミリセントは、口一杯に詰め込んだパンを飲み込んだ。











 教室を出ると、先程と寸分違わないポーズでネロ・クラウドが待ち構えていた。

 アリス達が姿を見せると、ネロは肩に掛かった髪を鬱陶しそうに払い退けた。その動作が、彼女の尊大さに更に磨きを掛ける。



「昼時に悪いわね。直ぐ済むわ」



 ここまで全く悪いと思っていないだろう謝り方というのも凄い。一種の才能なのではと下らないことを考えていたアリスの目の前に、品の良い色合いの、小さな紙袋が差し出される。

 それは三つあり、三人のために用意されたものだと分かった。



「これは……?」



 恐る恐るといったレイチェルの問いに、ネロが簡潔に答えた。




「ロゼオが……うちの愚兄が世話になったわね。これはその礼よ」




 突然の礼、しかもそれがネロ・クラウドからのものであることに、アリス達は腰を抜かす程驚く。

 次いで『ロゼオ』という名前に、ロゼの顔が芋蔓式に浮かんだ。


 確かに目尻はきついがまだ若干幼さを残すネロの可愛らしい顔に加え、彼女の持つ柔らかく波打つ長いサクラ色の毛髪。

 それらが昨日ひょんなことから縁が出来たロゼに、良く似ていることに気が付いた。

 そしてアリスが彼と初めて会った時に覚えた既視感は、このサクラ色の髪であったことに思い到る。



 アメジスト寮の特別演習の際、審判をしていたネロの姿は記憶に新しい。それならば見覚えがあったのも当然だ。



「ネロ先生のお兄さんということは、クラウド家の当主様……」



「うわっ、私達凄い馴れ馴れしかったですよね! すみません!!」



「……やっぱり気付いてなかったのね」



 青い顔をするミリセントとアリスを尻目に、レイチェルはやれやれと肩を竦める。

 確かにロゼ改めロゼオが自己紹介をした辺りからレイチェルの口数が少なくなり、会話の内容にもやけに気を遣い慎重な様子が見られたが、そういうことだったのかと合点がいく。

 ティーバッグの紅茶だという小さな紙袋をネロから受け取りながら、レイチェルが気不味そうに口を開いた。



「ネロ先生。余計なお世話かもしれませんけど、何かあった時のためにお兄さんの偽名は決めておいた方が良いと思います。『ロゼ』なんてほぼ本名じゃないですか」



「耳が痛いわ。しかもアイツ、ロゼなんて名乗ったの? まんまじゃない。アンタ達が良心的な人間で良かったわ」



 「あの馬鹿兄貴……」と口は悪いが親しみの籠った皮肉に、随分と兄妹仲が良いのだなと三人は顔を見合わせた。



「――取り敢えず、アタクシの用はそれだけよ。確かに渡したわ」



 他寮の寮長を物珍しそうに見る周りの視線が煩いのか、ネロは早々に会話を切り上げると、足早に自寮のある方向へと去っていった。

 颯爽と去って行く後ろ姿に酷く疲れを感じたアリスは、レイチェルからの任務を一旦保留にすることにした。

 同様に疲れた顔をしたレイチェルもそれに対し何も言うことなく、三人は無言で教室へと引き返した。











 昼食後の授業というのは、何故こんなにも眠くなるのだろうか。

 気を抜くと船を漕ぎそうになるのを何とか耐え切ったアリスは、本日最後の授業である魔法史学が終わると放課の鐘と同時に教室を飛び出した。


 魔法史学の担当教師であるマシュー・スプライトが黒縁眼鏡の奥で目を丸くしていたが、アリスは構うことなく小走りで廊下を駆け抜ける。

 右手にMr.アダムスのお菓子が入った紙袋、左手にはレイチェルの地図を手にしたアリスに、最早怖いものなしだ。



 本当にレイチェルは凄い。

 彼女はアメジスト寮のカリキュラムをこの短期間で把握し、且つ他寮の生徒であるシェリーの行動パターンを新聞部の情報網を駆使して調べ上げた。

 そこから導き出されたのがアメジスト寮は月、水、金は昼で授業が終わり、以降は放課になるということ。そしてその三日間のみ、シェリーは中庭の西側にある、大きな木が目印のベンチにいることが多いということだ。


 アリスが中庭に落ちたあの日は、金曜日だった。偶々その近くにいたから、シェリーはアリスが落ちてきたことに気が付き、声を掛けてくれたのだろう。

 本当に、様々な偶然が重なった上での出会いだったのだ。この時ばかりは、方向音痴で良かったと誰にともなく感謝した。











 地図に描かれた目的地は東棟のエメラルド寮とは反対に位置する、トパーズ寮がある西棟一階の空き教室のようだ。

 珍しく何事もなく目的地まで無事に辿り着いたアリスは、レイチェルからの任務遂行を前に、初めて学校内で迷子にならなかった感動を噛み締める。

 しばしそれを味わうと、アリスは意を決して教室に足を踏み入れた。

 この教室をアリス達一年生が使用するのは授業の関係上まだまだ先であるため、何だか悪いことをしているような気分になる。


 造り自体は他の教室と、何ら変わり映えしなかった。

 ただ、教室の後ろに設置されている棚には錬金術学で使用すると思われる、様々な道具が所狭しに並んでいる。

 それらを興味深く眺めながら窓際へと近付いたアリスは、その窓が中庭に面しているのを認め、満足気に頷いた。

 鍵を下ろし窓を開け、今度は顔を出してきょろきょろと辺りを見回す。



 ――いた。



 アリスのいる窓から少し離れた所に他よりも大きな杉の木が一本植えてあり、その直ぐ側に白いベンチがあった。

 ベンチには先客がいた。その人物は横になってアリスに背中を向けて寝ているため、顔は全く見えない。だが銀色の頭髪が、誰であるかを雄弁に物語っていた。

 一歩踏み出す勇気が欲しくて、ブレザーの胸ポケットに入れてある、リーから貰った匂い袋にそっと触れた。

 そしてアリスは大きく息を吸うと、少しの緊張を吹き飛ばすように声を張り上げた。




「シェリーちゃん!!」




 突然の大声に、シェリーは文字通り飛び起きた。

 その様子をつぶさに見ることとなったアリスは、まだ孤児院で生活していた頃、よく院内に出入りしていた真っ黒な野良猫を思い出した。

 他の子供達と世話をしていたが誰にも懐かず、餌をあげようと近付くと今のシェリーのように飛び跳ねるようにして逃げていた。


 そういえばあの猫はどうしているだろう。まだ孤児院に来ているのだろうか。今度帰省した時、シスター達に聞いてみようか。



「お前……」



 起き上がったシェリーは教室の窓から顔を覗かせるアリスを認知し、乱れた髪もそのままに紅玉の瞳を見開いた。

 真ん丸に見開かれたそれが最早猫のようにしか見えず、アリスは小さく声を立てて笑った。

 シェリーはベンチから立ち上がると、窓の近くまでやって来て、身の置き場を求めるように目を泳がせた。

 そしてアリスのいる窓の側の壁に、背を押し付けて寄り掛かる。



「驚かせてごめんね」



「別に……よくここが分かったな」



「レイちゃんが教えてくれたの。レイちゃんってすっごい情報通なんだよ! さすが新聞部って感じ! ……あっ、先にこれ渡しておくね」



 丁度レイチェルの話題になったので、その流れで彼女から託されていた菓子を渡す。

 レイチェルは自分の名前を出すなと言っていたが、アリスに従う気は更々なかった。

 レイチェルにもシェリーにも色々事情はあるのだろうが、もしもできることなら、二人には仲良くして欲しい。アリスにとって、二人は共に大切な友達なのだから。




「レイちゃんから。罰則の時助けてくれてありがとうって!」




 手渡されたそれを反射的に受け取ってしまったシェリーは、困惑したように眉を下げた。



「……バーグに『自分の名前を出すな』と言われなかったか?」



「言ってたけど……でもそれはレイちゃんの気持ちだから。だからレイちゃんが何と言おうと、『私から』って渡すのは違うと思うの。それにシェリーちゃんには、本当のことを伝えた方が良いかなって思って」



 アリスの言い分を聞いたシェリーはどこか迷う素振りを見せつつも微かに頷き、大事そうに菓子の入った袋を抱き締める。

 そして注意していないと簡単に見落としてしまう程に、小さく微笑んだ。



「――そうか。お前の方から、ありがとうと伝えてくれるか?」



「うんっ! ……そうそう、私も色々お菓子持って来たんだ。一緒に食べよう!」



 初めて見るシェリーの笑顔に、アリスは驚いて声が上擦ってしまった。

 変に思われてなければ良いのだがとシェリーの表情を盗み見るが、彼女は元の無表情に戻っていた。

 アリスは取り繕うように、紙袋からMr.アダムスの菓子を次々に取り出す。それを物珍しそうに眺めるシェリーの目が、年相応に輝いた。



「……凄い。色々な種類があるんだな」



「シェリーちゃんは、あんまりお菓子食べないの?」



「クリス先輩が時々くれるが、自分からは食べない」



「そうなんだ。じゃあ私のおすすめはこれ! 見た目は普通のトリュフなんだけど、中にイチゴのソースが入っててね~甘酸っぱくて美味しいよ!」



 カラフルな包装紙に包まれたそれを、幾つかシェリーの手の平に落とす。

 シェリーがいそいそと包装紙を開き、トリュフを指先で摘まんだ。

 本当に指の先まで綺麗だなと、彼女の白い肌とチョコレートの対比をアリスはまじまじと観察してしまった。


 シェリーはトリュフを初めて見たのか、まるでそれが高価な宝石であるかのように光に翳してみたり、様々な角度から眺めてみたりと忙しない。

 その様が孤児院の幼い子供達のようで、アリスは可笑しくなってしまった。



「もう、シェリーちゃんったら。あんまり手に持ってると溶けちゃうよ?」



 つい幼い子供に対して嗜めるような口調になってしまったのは、許して欲しい。

 しかしシェリーは気にすることなく、はっとしたように一言「そうだな、すまない」と早口で述べてからトリュフを口に含んだ。

 途端に表情が綻び、見ている方も笑顔になる。

 アリスも包装紙を開き、同じ味のトリュフを味わった。



「美味しいね」



「……うん」



「他の味もあるから食べてみて!」



 レイチェルから聞いて知ってはいた。アメジスト寮の生徒、というよりも主にシェリーには、厳しい外出制限・校内に於ける行動制限があることを。


 それも全て『サーカス』に身を置いていたことに起因しているらしいが、アリスにはよく分からなかった。

 シェリーと出会って大した時間は経っていないし、話したのも数える程だ。

 だがシェリーが世で言われる程悪人なのかと問われれば、アリスは首を横に振るだろう。



 『悪』と言われる『サーカス』にいたからといって、その人は『悪』なのだろうか。

 ならば他の人間は善なのだろうか。罪を犯した人間でも、『サーカス』にいなかったから善か?

 ――そうではないだろう。




 罰則の時、ジストが『見極めろ』と言った理由が分かった気がする。彼はアリスがアリス自身で考え、行動することを望んでいたのだろう。

 そのためには、シェリーを理解するための時間が圧倒的に足りていない。言葉を交わさなければ、人は他人を理解できないのだ。

 それは記憶を失ったアリスが、この六年間の間に嫌という程学んだことだった。



「今度来る時は、また違うお菓子も持って来るね。チョコ以外にも美味しいのがたっくさんあるから!」



 自然ともたらされた次の約束に、シェリーは目を瞬かせた。

 そして目元を少しだけ和らげる。



「……なら飲み物はオレが用意する。貰ってばかりは悪いからな」



 その言葉に、いつか必ずレイチェルとミリセントも誘おうと決意する。

 彼女達ならシェリーと良い関係を築いていけると、アリスは信じていた。






 だがもうしばらくは、二人っきりのお茶会を楽しみたいと、そう願う。











 以降彼女達の放課後のお茶会は度々開かれるのだが、幾度目かのそれを目撃したとある新聞部員により、二人はヨル=ウェルマルク新興国ではかなりメジャーな古典文学の主人公とヒロインに例えられ、校内新聞の見出しを飾ることになる。


 ちなみにその古典文学の内容は騎士と姫の身分違いの恋を題材にしたものであるのだが、そんなことは活字に縁のないアリスとシェリーには、知る由もなかった。






 第4話 おかしなお茶会 完

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