私の断片1 あの幸せな夏の日々
私の断片1 あの幸せな夏の日々
「シェリーちゃんって、好きな人いるの?」
あの魔法生物学の授業以来、アリスの記憶を揺さ振るような重大な出来事が起こることもなく、穏やかな日々が続いていた。
そして一番の不安要素であった中間テストも終わり、後は夏休みまでの二週間を過ごすだけになっていたとある日の放課後。四人はいつものように飲食をしながら、お喋りをしていた。
話の脈絡も何もないミリセントの唐突な問いに、シェリーが食べていた菓子を喉に詰まらせた。彼女は運悪く、マカロンを一口で頬張っていた所だった。
アリスがシェリーの背中を叩き、レイチェルが飲み物を手渡す。それを受け取ったシェリーが、咳き込みながらもマカロンを紅茶で流し込んだ。
第三者が見ていたら「ナイス連携プレー!」と称賛されること間違いなしだっただろう。
「な、んなんだ急に……」
未だ噎せながら弱々しい声で抗議するシェリーに、ミリセントは「大丈夫?」とおっとりと眉を下げた。
ミリセントの暴挙に、アリスが首を傾げる。
「急にどうしたの、ミリィちゃん」
「あのねぇ、部活の先輩達がね「夏休み中に他校の彼氏とデートするの~」って言ってたんだぁ。それでシェリーちゃんは好きな人いるのかなぁ、って思って」
「何でそこで話を振るのがオレなのかも分からないし、そもそもアメジスト寮の男子は後輩のアノスと、含めて良いのか不明だがジスト先生しかいないのに、どう答えろって言うんだ……」
「恋愛に年齢も性別も関係ないよ!」
年相応に恋愛話が大好きなミリセントが、力説する。
それはシェリーだけに留まらず、レイチェルにまで飛び火した。
「レイちゃんは好きな人いないって言うけど、コニー君はレイちゃんが好きだよねぇ!」
「ぶふっ!」
レイチェルが、今正に口に含んだばかりの紅茶を勢い良く吹き出した。シェリーがハンカチを差し出しながら、憐れみの目を向ける。
レイチェルはハンカチを受け取りつつ、噎せながらもミリセントに反論した。
「あれはカメラマン! 部活上のただの相棒!」
「でも仲良いよねぇ?」
「うっ……! そっ、そういうアンタだってねぇ、サリエル先輩とはどうなのよ! ネタは上がってんのよ!」
分が悪いと判断したレイチェルが、素早く話題を変えた。
『サリエル先輩』とはサファイア寮二年生の男子生徒で、本名をサリエル・グレイという。
彼は魔族の、それも悪魔と人間のハーフで、羊のような角を持つ黒髪の青年だ。授業態度は余り良い方ではなくサボりがちで、ミリセントが所属するガーデニング部の主な活動場所である温室によく出没する。
温室では常に寝てるか読書をしているかの二択でかなりの変わり者だが、顔が良いため女子生徒からの人気が高い。
しかし彼は誰ともつるもうとしない孤高の存在であり、陰では『黒薔薇の君』等と呼ばれているようだ。
そんな彼だが、ミリセントとは話す姿が他生徒に度々目撃されているという。
新聞部の情報網を活かしたレイチェル渾身の一撃だったが、ミリセントは狼狽えることなく至って普段通りだ。
「私、前にサリエル先輩に水を掛けちゃってねぇ」
「水」
「うん。だって先輩、花壇の陰で寝てるんだもん。あれじゃあ気付かないよぉ。それで文句を言われたから、言い返したの」
「言い返した……」
「そう。『そんな所で寝てるのが悪いのに、人の所為にしないでください。もっと分かり易い所で寝たらどうなんですか?』って」
「お前、凄いな」
先輩に対して何てことを……と最早言葉も出ないアリスとレイチェルを余所に、シェリーが感心したように頷いた。
穏やかで優しそうな見目からは想像し難いが、ミリセントは言う時は言うタイプだ。さぞサリエル先輩も驚いたことだろう。
恥ずかしがるか慌てるミリセントを期待していただけに、拍子抜けしたレイチェルが肩を竦める。
四人が各々飲み物や菓子を口にし始め、この話題は終わったかに思えたその時。
「アリスはいるのか? 好きな人」
「えっ!」
まさかのシェリーが、先程の話題を掘り返した。
珍しく愉快気な表情を隠さない彼女に、アリスは持っていた菓子を取り零した。ミリセントがすかさず手の平で受け止め、事なきを得る。
アリスはミリセントの手から菓子を受け取りながら、シェリーに向き直った。
「……シェリーちゃん、結構楽しんでるでしょ」
「うん、こういう話も嫌いじゃない」
「アリスはいるわよ、好きな人」
「いるよねぇ~」
どう話しを誤魔化そうか考えていると、ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべたレイチェルとミリセントが、アリスの許可なく暴露してしまう。
「へぇ、同じ寮か?」
「
「穏やかで優しくて、中性的な美人って感じの人だよぉ」
二人から色々と聞き出したシェリーは「ふぅん?」と呟くと、顔を赤くしてあたふたしているアリスに追撃を仕掛けた。
「どこが好きなんだ?」
「えっ!?」
シェリーの問いにレイチェルとミリセントがそういえば、と顔を見合わせる。
「麗先輩のどこが好きなのか、聞いたことがなかったわね」
「そうだねぇ、何か切欠があったの?」
興味津々といった三対の瞳がアリスを見詰める。視線の圧に耐えきれず、アリスがぼそぼそと呟いた。
「入学式の時に……迷ってた所を大講堂まで連れてってもらったの」
それを聞いたレイチェルが、呆れたように言った。
「入学式で早々に迷子になったの? アンタの方向音痴って、本当に侮れないわね」
「でも迷ってなかったら麗先輩には出会えてなかった訳だし、怪我の功名だねぇ」
「物は言い様だな」
「もうすっごい優しかったの! 案内してくれてる時も色々と声を掛けてくれて、大講堂に着いた時は『もしも同じ寮だったら宜しくね』って言ってくれて! その時の笑顔が本当に格好良くて素敵で! 本当に! 格好良かったの! 本当に!!」
最早ここまできたら開き直ったアリスが、声高に主張する。
その勢いに圧されたレイチェルが若干身を引いたが、アリスは気にも留めなかった。
「確かに優しい先輩だよねぇ。罰則の時もすっごい気に掛けてくれたし……」
ミリセントが、腕を組み芝居掛かった動作で同意した。
「……告白しないのか?」
「ええっ、告白!? 私が!? 無理だよぉ……」
「シェリー、アンタも本当ぐいぐい聞くわね……」
告白という単語を聞いた途端にアリスの勢いは削がれ、萎れたように肩を丸めた。
アリスは手に持っていた個包装の菓子を、意味もなく弄る。
「……だって恥ずかしいし、断られたら怖いから。それに後輩として十分に目を掛けてもらってる、今のこの関係が壊れちゃったらって思うと、告白なんてできないよ……」
「まあ、分からなくはないわね。麗先輩には校内アルバイトとかでもお世話になってるんでしょ? そう考えると、確かに告白は躊躇するかも」
「『校内アルバイト』……?」
耳馴染みのない単語だったのか、シェリーが首を傾げた。
ああ、とレイチェルが補足する。
「学校で斡旋してくれるアルバイトのことよ。先生の手伝いだったり、購買部での品出しとか接客とか。他にも色々あるけど、その時その時によって違うわ。たまに学外のアルバイトとかも斡旋してくれる時があるの」
「アリスちゃんは、結構校内アルバイト参加するもんねぇ。麗先輩も参加頻度は高いかなぁ?」
「私は仕送りがない分、アルバイトをしないとやってけないから」
孤児院にそこまで迷惑は掛けられない。アリスより幼い子供達も、学校に通っているのだ。
それにアリスは、院の子供の中でも最年長だ。彼等にお金が掛かる分、自分でできることは自分でするべきだと、アリスは思っている。
「本当は部活とかもやりたいんだけど、できればアルバイトを優先したいから時間が取れなくて」
「愛好会に入ったら? 愛好会なら毎日活動する訳じゃないし、丁度良いんじゃないの?」
「愛好会かぁ……」
レイチェルやミリセント達の部活動の話を聞く度に、羨ましく思う自分がいるのは隠しようのない事実だ。
しかしこれといってやりたいことがない。何か興味が持てるものがあれば、話は別なのだが。
「そういえば、シェリーちゃんは何か部活とかやってるの?」
「アリス、」
はっとした様子でアリスを遮ろうとするレイチェルに、シェリーが小さく首を振った。
尋ねてはいけないことだっただろうかと、アリスは不安気に二人を見る。
シェリーは、そんなアリスを安心させるよう言った。
「オレは特に何も。でもアメジスト寮生でも部活に入ってる人はいる。例えば千梨先輩は魔法剣術部に所属してるし、クリス先輩は特定の部には所属していないみたいだが、時々助っ人として練習に参加したり、大会に出たりすることもあるみたいだ。できればオレも、何かやってみたいとは思うんだがな」
「そっか」
「……ミリセントは、何でガーデニング部に入ったんだ?」
「えっと、私ねぇ、子供の頃から植物が好きで。だからいつか、自分で大きな植物園を作るのが夢なの!」
シェリーとミリセントの会話を傍らで聞いていると、レイチェルが小声で耳打ちした。
「アリス。前にも言ったけど、シェリーは学校内に於いての行動にかなりの制限があるわ。それは校内アルバイトも、部活も例外じゃないの。アイツはやりたくても、できないのよ」
「そ、うなんだ」
ミリセントの話に相槌を打つシェリーを盗み見る。
アリス達が『普通』に生きるのは、こんなにも難しい。
――その時アリスの脳裏に、雷のような閃きが走った。
この方法ならば、アリスもシェリーも部活ができるかもしれない。
自画自賛したくなる程の良いアイデアに、アリスは目を輝かせた。
シェリー達の話は既にレイチェルの部活の話に移っていて、寮紹介の記事が終わったら次は部活動紹介とかも良いのではないかという内容だった。
自身の素晴らしい思い付きを頭の中で詰めるのに必死で、急に黙ったアリスに訝しげな視線を送る三人には全く気が付かなかった。
以降お茶会が終わるまで、アリスは一切口を開かなかった。
その代わりに考えは纏まったので、明日からでも行動に移そうと心に決める。こういうことは何事も早い方が良いのだ。
――こうして少女達の放課後は過ぎていった。
私の断片1 あの幸せな夏の日々 完
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