第24話 時 流れた③
柔らかな草を踏み締めながら、ミリセントの家を目指す。
まるで森の中にでもいるようだ。
大樹の根元には、家毎に異なる色の玄関が設けられている。景観を重視しているのか、どの家も丸い形の扉をしていた。
いくら幹が太い大樹とはいえ、中に人が何人も住めるようなものではない。幹の中の構造がどうなっているのか、アリスには皆目見当も付かなかった。
道中サルバス=フォレの住人と行き会うと、彼等彼女等はにこやかに挨拶をしてくれた。
「お、お帰り。ミリセントちゃん、もしかして春休みかい?」
「あら。お帰りなさい、ミリセントちゃん。お友達? ゆっくりしていってね」
「お客様かい? なら採れたての苺を持ってくと良い」
ミリセントの家に着くまでに様々な物を持たされ、三人の手は元々持っていた荷物に加え、頂き物で塞がってしまった。
「ご近所仲が良いのね……」
レイチェルが若干疲れた声音で言った。
アリスもまた、都会とは異なる人付き合いとその距離感に少し驚いてしまった。
ミリセントが二人の疲れた様子を見て、すまなそうに眉を下げる。
「ごめんねぇ。娯楽がないから、お客さんが物珍しいんだよぉ。それにここって、若い人も少ないから。だから皆、自分の子供みたいに可愛がってくれるんだぁ」
その後も五つ程荷物を増やした所で、ミリセントが「ここだよぉ」と一軒(単位はこれで合っているのだろうか。それとも『一本』だろうか?)のツリーハウスを指し示した。
そのツリーハウスの玄関先で、健康的に日焼けをした老人が薪を割っていた。
年の頃は七十を過ぎているだろうか。
しかし肌艶も良く、足腰もしっかりしており
老人はアリス達の姿を認めると、快活な笑みを浮かべた。
「おお。お帰り、ミリセント。お二人が、前に言っていたお友達かな?」
「ただいま、お祖父ちゃん。そう、こちらアリスちゃんと、レイチェルちゃん。二人共同じ寮で、仲良くしてくれてるの!」
紹介に与り、アリスとレイチェルはそれぞれ頭を下げる。
アリス達の声を聞きつけてか、老人の背後で玄関がうっすらと開いた。
扉の隙間から、ミリセントを一回り小さくしたような少女と、内気そうな金髪の少年がひょっこりと顔を出す。更に少年の服の裾を握る、一等幼い子供の姿もあった。
「妹のコピスと、弟のドリューだよぉ。一番小さいのが更に下の妹で、ネム。ねぇ、お母さんはいる?」
「中で洗濯してるよ」
「そっかぁ」
ミリセントが妹のコピスと話しながら玄関を潜るので、アリスとレイチェルもその後に続いた。
ツリーハウスの中は、外観からは想像できない広さだった。
入って直ぐは家族が団欒するためのリビングになっていて、ミリセントの祖母らしき老女が、ロッキングチェアに座って刺繍をしている。
リビングから伸びる廊下の先にも、幾つか部屋があるのだろう。洗濯をしている音なのだろうか、水音が絶えず聞こえてくる。
何と二階もあるようで、壁に立て掛けられた梯子の向こうにもどうやら部屋があるようだった。秘密基地のようで、子供心が擽られる。
「凄い……」
レイチェルがぽつりと洩らした。アリスもその隣で静かに頷く。
二人がサルバス=フォレの生活様式に驚いていると、いつの間にか水音が止まり、ぱたぱたと軽快な足音がリビングへと近付いていた。
「――いらっしゃい、ゆっくりしていってね」
淡い色のエプロンで手を拭いながら、妙齢の女性が姿を見せた。
ミリセントの母親だろう。それにしても良く似ている。ミリセントが髪を伸ばしていたら、見分けが付かなかったかもしれない。
「ミリセント。お母さん、これからお昼の準備をするから、友達に少し近所を案内したら? この村は何もないけど、自然が豊かで空気が美味しいのよ」
ミリセントの母の提案に、アリスとレイチェルは一も二もなく頷いた。
自身が住まう地域とは全く勝手の違うサルバス=フォレに、アリスは俄然興味が湧いて来た。
手土産をミリセントの母に手渡すと一度荷物を置かせてもらい、アリス達は再び玄関を潜った。
外に出ると、玄関前でミリセントの弟妹達が祖父の周りをうろちょろしていた。それが何だか孤児院を想起させ、アリスは頬を緩める。
彼等に一言掛け、ミリセントを先頭にアリス達は歩き出した。
「煩くてごめんねぇ」
「そんなことないよ。ミリィちゃんのご家族も、
「同意ね。それにツリーハウスの中、あれ魔法を使ってるのよね? そうとは分かっていても、やっぱり凄いわ」
自身の住む村や家族のことを褒められ、ミリセントがはにかんだ。
途中途中サルバス=フォレの住人達に声を掛けられながら、アリス達は大樹の隙間を縫うようにして進む。
ずっと大樹に囲まれていると、何だか小人にでもなったような気分だ。
「サルバス=フォレの周辺は、自然が豊かな土地が多くてねぇ。近くにはエルフやハーフエルフの人達が住んでいる、神秘の森アルカナ・フォレもあるよ。人は立ち入れないんだけどねぇ」
「ハーフエルフってことは……エミル君もいるの?」
そこそこ付き合いのある、クラスメイトの顔が浮かぶ。
エミルの名前を出すと、ミリセントが頷いた。
「あそこの森は、サルバス=フォレとはまた違った雰囲気だよぉ。アルカナ・フォレは白樺の木が多く自生していて、まさに神秘的って感じかなぁ」
「エルフの人達も、サルバス=フォレみたいなツリーハウスに住んでるの?」
「えっとねぇ、エルフやハーフエルフの人達は、世間一般的に言われるようなツリーハウスを木の上に作って、そこで生活するんだよぉ。自然との共生の仕方は、人それぞれってことだねぇ」
「ミリィって、エミルとは元々顔見知りだったの?」
「ううん。エルフやハーフエルフの人達は余り森の外には出て来ないから、テラストに入学してエミル君に会ったのが初めてだよぉ」
話しながらさくさく歩いていると、乱雑に聳え立っていた大樹が、規則正しく並ぶ街路樹のような風景へと変わっていく。
「サルバス=フォレはツリーハウスに住んでる人の方が多いけど、普通のお家もあるんだぁ。……そろそろ森を抜けるから、見ててねぇ」
木々のトンネルを抜けたのは唐突だった。
緑のトンネルを抜けた先には田園風景が広がっていて、遠目からでは何の作物かは分からないが、畑には青々とした絨毯が敷かれている。
その中に点在する平屋の家々は、全て一律して可愛らしい造りをしていた。
「わあ……!」
純文学の登場人物にでもなったみたいだ。アリスは読んだことがないが。
アリスの驚嘆の声に、ミリセントが微笑んだ。
「あの家、凄い高台にあるのね」
レイチェルが指差す先に、城のような風体の家があった。
小高くなった場所に建つそれは、うっそりとした木々の中にぽつんと存在していた。ゴーストでも出て来そうな、洋館独特の雰囲気がある。
ミリセントが、気不味そうに口をもごもごとさせた。
「昔、この辺り一帯を治めていた貴族様の館だよぉ。……あそこが、ソフィア・フィリスさんの家」
クラスメイトであるソフィアの名前を耳にした途端、レイチェルが顔を顰めた。
アリスもソフィアのことは苦手だが、レイチェルの比ではないだろう。余程入学式でのやり取りや、シューゲルの授業での一件が尾を引いていると思える。
アリスは然り気無く話題を変えようと、適当に目に付いた家を指差した。
「あそこの家、庭の花がとっても綺麗だね!」
アリスが指し示した家は壁が蔦で覆われた、煉瓦造りの家だった。
今が花盛りなのか、庭の花は満開だ。
良く手入れされているのだろう。庭や花壇の所々に小人や動物のオブジェが置かれ、家主の拘りが窺える。
「……うん。あの家の人はねぇ、植物を育てるのが好きなんだよぉ」
ミリセントの声音が変わった。これも踏み入ってはいけない話だったか。
アリスは後悔したが、もう遅い。
「……そろそろ戻ろっかぁ。道を戻って反対側はアルカナ・フォレの近くまで行けるから、案内するねぇ。あそこは外から見てもとっても綺麗だよぉ!」
空元気なのが丸分かりのミリセントに、アリスとレイチェルは黙り込んだ。
確かに、遠くから見てもアルカナ・フォレは美しかった。白樺の木々に覆われた森は、神々しさすら感じられた程だ。
だからだろうか。
魅入られたように森を眺めていたアリスは、いつの間にかレイチェルとミリセントとはぐれていた。
「じゃあそろそろお昼だし、家に戻ろうかぁ」
「そうね。アリス、行くわよ」
というミリセントとレイチェルの声は聞いたような気がしたが、如何せん定かではない。
話半分で聞いていたので、右から左に聞き流した可能性は十分にあった。
人の立ち入りを禁じているという、アルカナ・フォレに行く訳にもいかない。
アリスは来た道(だと思われる)を回れ右し、駆け足で戻った。
来た道を戻った、はずなのだが。
アリスは、今度はどこかの家の庭に迷い込んでいた。花が盛りで綺麗だ。名前も分からない花々を眺めつつ、早足に出入り口を探す。
家主に見付かっては不味い。泥棒扱いされても言い逃れが出来ない。
アリスの目に、風に揺れるレースのカーテンが映った。
―――部屋の窓が空いている。
これは余り宜しくない展開だ。
悩んだ末、中腰でその部屋を通り過ぎることにする。
まさに泥棒の如く抜き足差し足で、慎重に窓の下を通り抜けようとした時だ。鼻先に、大きな蜘蛛が現れた。
それに驚いて腰を上げた拍子に、窓枠へ頭をぶつけてしまう。その勢いのまま尻餅を突いたアリスは、どうして隠れる必要があったのかをすっかり忘れて立ち上がった。
「いたた……」
尻に付いた土を片手で払いつつ、空いた手でぶつけた頭を擦った。
アリスの頬をレースのカーテンが優しく撫ぜ、そこでようやく頭をぶつける羽目になった、その要因を思い出した。
視界に人影が過り、アリスは言い訳をしながら慌てて頭を下げる。
「あの、勝手にお庭に入ってすみません! でも怪しい者ではないんです……!!」
しばらく頭を下げていたが、家主からはうんともすんとも返って来ない。
不審に思ったアリスが顔を上げると、カーテンの隙間からその部屋の全貌が明らかになった。
確かに、アリスが見た人影は見間違いなんかではなかった。
窓の側のベッドには、アリスと同い年位の少女が横たわっていた。
快活そうな少女である。家に籠っているよりも、外で元気に走り回っている方が似合いそうだ。
少女は、そこそこ大きかったアリスの声に何一つ反応することなく眠り続けている。不謹慎だが、まるで死体か蝋人形のようだ。
しかし彼女の胸はゆっくりと上下し、呼吸をしている。少女が生きた人間である証拠だった。
「あの、大丈夫ですか……?」
小さく声を掛けるが、少女は目を閉じたままだ。
彼女の様子に少し怖くなってしまい、アリスはその場をそっと離れようとした。
だがそれは、少女の部屋に入って来た第三者の厳しい声によって、叶えられることはなかった。
「―――そこにいるのは誰。これ以上エニィに何をする気!?」
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