第13話 できたばかりの不思議な話②

 その後もアリス達は順調に七不思議を確認していった。

 西棟の何回数えても数が合わない階段は全員一緒に数えた所、踊り場を含めて二十八段で、二回数えても同じだった。恐らく踊り場を数に含めるか含めないかで、人によって階段の数が違ってくるのだろう。



 そのまま三階の校長室付近の壁一面を飾る歴代校長の肖像画と、図書室を確認したが、特に何も起こらなかった。

 強いて言えば、暗がりで見る校長達の肖像画はかなり不気味だったという位か。

 図書室に至っては教師の許可がないと読めない本もあるためか、厳重に鍵が掛かっていた。

 何も起こらず白けた様子のクロムに、アリスはずっと気になっていたことを尋ねた。



「そういえば、クロム君はどうしてシルヴェニティア魔法学院に行こうと思ったの?」



「強くなりたかった、それだけだ。テラスト魔法学校ここが悪い訳ではないが、実践に欠けるからな」



「ふぅん……」



「――……ノースコートリアは気候が厳しく、一年の半分を雪と氷に閉ざされた国だ。それ故結束力が強く、他国の人間への目が厳しい。だから俺も三年のアイリス・フォン・レガリアも、あの学校では浮いている。俺達は一応この国ヨル=ウェルマルクでは名のある家系だから、尚更扱い辛いだろうな」



「それでも強くなりたいんだね。それは、どうして?」



「強くなりたいのに理由がいるのか? 魔法士とはそういうものだろう」



 きょとんと子供のような表情で問い返され、アリスは返答に詰まった。

 クロムはそんなアリス等お構いなしに「何故強くなりたいのか……? うーん、そういえば真面目に考えたことはなかったな」と首を捻っている。

 少しして納得のいく考えが浮かんだのか、晴れやかな顔で言った。



「色んな奴と戦いたいからだな」



「ただの戦闘狂じゃないか。脳味噌まで魔力しか詰まってないのか?」



「ちょっと二人共、声が大きいよ……」



 エミルが歯に衣着せぬ皮肉を叩き付けるも、クロムはどこかそのやり取りを楽しんでいるようだ。注意するコニーも巻き込んで、彼等の会話の応酬はどんどん騒がしさを増す。


 今の話を踏まえると、これは彼にとって本当に『思い出作り』なのだろう。

 アリスも、レイチェルやミリセントとガーネット寮のゴーストの噂を確めに行った前科があるので、気持ちは良く分かる。それなら仕方ないかなと苦笑すると、じゃれあう男子三人に声を掛けた。



「そろそろ四階に戻ろう? あんまりゆっくりしてると、見回りの先生に見付かっちゃうよ」











 エメラルド寮のある東棟に戻って来ると、アリスはほっと安堵の息を洩らした。自寮がある東棟は、矢張安心感がある。

 物音一つしない廊下を進み、見えてきた寮の扉の前を通り過ぎて、男子トイレに向かう。


 難なく件の男子トイレに辿り着いたものの、暗がりで見るそこは何とも言えない不気味さが漂っていた。

 こればかりはアリスが入る訳にはいかないので黙っていると、男子三人が目配せし合い、入り口で押し合い圧し合いを始めた。

 少しの攻防の後どうやらエミルを先頭にすることが決定したようで、彼等はアリスに「行ってくる」と一言残し、男子トイレへと入って行った。



 廊下に残されたアリスは特にやることもなく、壁に寄り掛かり三人の帰りを待つ。

 今回も何も起こらないだろうと高を括っていると、アリスの耳が微かな足音を捉えた。

 顔を上げ辺りを見回すが、そこには物寂しい暗闇があるだけだ。トイレに入って行った三人の声も聞こえず、まるで世界に一人取り残されたようだ。

 不安を覚えたアリスは男子トイレの入り口に立ち、中にいる三人に声を掛けた。



「――ねぇ、静かだけど大丈夫?」



 この学校のトイレは抱えている生徒の人数上、個室の数も多く、造り自体も広い。アリスの不安げな声がわんわんと反響し、直ぐに小さくなった。

 返事を待つも、うんともすんともない。どれだけ奥の方まで確めに行ったのか。

 途方に暮れて溜め息を一つ溢した、その時だ。




 ――背後に、何者かの気配を感じた。




 との距離はかなり近い。呼吸音と、衣擦れの音が側で聞こえ、背筋が粟立つのを感じた。

 声を出そうにも、渇ききった口腔は酸素をはくはくと求めるだけだった。身体は金縛りにあったように動けず、後ろも振り向けない。

 何かが迫っているのが、空気の動きで分かった。

 それはアリスの肩に触れ、そして――。




「――っきゃああああ!!」



「うわぁああ!?」




 先程まで声が出なかったのが嘘のようにアリスの口から悲鳴が上がり、それに驚いた何者かが彼女から距離を取る。

 しかしそのゴーストらしからぬ反応に逆に冷静になったアリスは、振り向いて声の主を視界に納めた。



「――ロジェ先生……?」



「……あれぇ、お前騎士のとこの珍解答じゃないか。こんな時間に、男子トイレの前で何やってるんだぁ?」



 光属性の魔法だろう。柔らかな光を放つランタンが、ロジェ・ライトの怪訝そうな顔をぼんやりと照らしていた。

 そして男子トイレからバタバタと騒がしい足音と共に、エミル達が姿を現した。



「今の悲鳴は何だ!? 無事か、アリス・ウィンティーラ!」



「アリスさん、大丈夫!?」



「って、そいつ誰だ?」



 ロジェの姿を認めたクロムが、首を傾げる。しかし彼が訝しげなのも無理はない。

 ロジェは、アリスの担任であるエドワードとはまた違った子供っぽさがある。というよりは、見た目だけで言ったらロジェの方が余程子供だ。アリスと大して変わらない身長に、彼は未だに中等部のモスグリーンの制服を着用しており、その上から白衣を纏っている。この白衣はジストとは異なり、見せ掛けではなく実用品だ。



「その制服……留学生もいたのか! 俺はロジェ・ライト。エメラルド寮の三年生を担当してる教師だ! 宜しくな!!」



「先生声が大きいですよ……皆起きちゃいます」



「わはは! すまんな、カメラマン!!」



 ロジェは生徒や同僚の教師達の顔と名前を覚えるのが苦手だそうで、そのため独自の愛称を付けるのだが……それは彼の感性に満ち溢れている、とだけ表記しておこう。


 『カメラマン』とはコニーのことで、そして先程の『騎士』とはエドワードのことである。

 彼と同じく四大騎士の千梨・フォン・フェルトのことはまた別の名前で呼んでいるようだが、生憎その現場に行き合ったことはないため、ロジェが彼女を何と呼んでいるかは不明だ。


 ちなみにアリスは既に呼ばれているが、『珍解答』が愛称だ。以前シューゲルの失笑を買った魔法史学のテストの解答が、ロジェにはかなり印象に残ったらしい。

 アリスとしては腑に落ちないというか、もっと良い愛称があるのではないかと首を捻るばかりなのだが。



「今夜はロジェ先生が見回りですか」



「そうだぞ。最初に会ったのが俺で良かったな、お前等。今日は俺と、白百合だ。そして明日は先生だった。運が良い!」



 ロジェの言う『先生』とはシューゲルのことだ。学生時代に世話になったらしい。そして『白百合』とはガーネット寮の一年生を担当する教師、フロスト・ホワイトリリーのことである。

 フロストは左目の下にある縦に列なった泣き黒子が印象的な教師で、少年の姿をしている。規律に厳しく、真面目な教師だ。

 確かな筋(言わずもがなレイチェル)からの話によれば、精神的なものにより身体の成長が止まってしまったため、少年のような見た目らしい。しかし中身は二十代後半という話だから、人は見た目によらないの典型だ。

 更に言ってしまえば、ロジェは三十歳だというし。



「留学生と思い出作りをしたいのは分かるけどな。もう二時も近いし、そろそろ戻った方が良いぞ。同寮のよしみで罰則は科さないでやるから。白百合に会ったら厳しい罰則が待ってるぞ!」



 ロジェに促され、クロムが渋々従った。

 ロジェを先頭にエメラルド寮に戻る途中、「そういえば」とアリスは直ぐ後ろを歩くエミルを振り返った。



「時間掛かってたけど、どうだった? 何か出た?」



「後ろから三番目なのか、前から三番目なのか、更にはどの列の個室なのかも分からなくて、手間取ってただけだ。結局何も出なかった」



「何の話だ?」



 興味津々といった様子で目を輝かせるロジェにアリスは苦笑しながらも、今回の深夜徘徊の切欠となった七不思議について説明した。

 説明し終えてから理科室の不気味な声とはロジェ本人であることに気付き、アリスは冷や汗をかいた。目が合ったエミルが、「馬鹿め」とでも言いたげに鼻を鳴らす。

 ロジェは噂の真相に気付いているのか、はたまた気付いた上で気にしていないのか、「ゴーストか、もしもいるなら解剖したいな!」と彼の代名詞でもある例の台詞を言った。



「でもゴーストは肉体がないから、解剖できないんじゃないんですか?」



 アリスは至極全うなことを言ったつもりだったが、ロジェは目を溢れそうな程大きく開いて不思議そうにしていた。



「ゴーストに実体がないとは限らないだろ。少なくとも俺もお前達も見たことがないんだから、証明はできないはずだ!」



「ええ……?」



 よく分からない持論を展開するロジェに困惑しながらも、アリスは『ゴースト』という単語で、先程彼に腰を抜かしそうな程驚かされたのを思い出した。そうすると一言言ってやらねば気が済まなくなり、アリスは息巻いて口を開く。



「そういえばロジェ先生、私のこと驚かせようとしましたよね!」



「? ……いや。俺が声を掛けようとしたら、珍解答がいきなり大声を出すから驚いたぞ」



「え、私の肩を触りましたよね?」



「そんなことしない。今はセクハラだ何だと煩いからな! 軽率な行動は慎むべきだ!」



 食い違う話に、アリスとロジェは揃って首を傾げた。

 そのやり取りを黙って聞いていたクロムが、詰まらなそうに「あーあ」と宙を仰いだ。




「アンタと一緒に残れば良かったな。俺もゴースト、見てみたかった」




 じわじわと「まさかゴーストだったのでは……」と思っていた所を明確に言語化され、アリスは過剰なまでにそれを否定した。

 「気のせい」を連呼するアリスに、エミルが欠伸を噛み殺し、コニーが慰めの言葉と共に「後で詳しく教えてね!」と頬を上気させた。

 こうしてアリス達の細やかな冒険は、幕を閉じたのだった。











「三人共、ありがとな」


 エメラルド寮に戻ると、クロムがそう切り出した。女子寮の方へ向かいかけていたアリスは、足を止めて振り返る。

 彼が他人に礼を言うタイプとは、失礼ながら思ってもいなかったアリスは面食らった。ちらりとエミルやコニーを見ると、彼等も目を丸くして固まっている。



「シェリー・クランチェと戦ってみたくてこの交換留学に志願したが、こんな風に同世代の奴等と過ごしたのは初めてだ。この寮への滞在はこれで終わりだが、二日間楽しかった。礼を言う」



 あと数時間もすればクロムはエメラルド寮生ではなく、トパーズ寮の生徒としてテラスト魔法学校での残りの期間を過ごす。彼がこの学校にいるのは、実質三日だ。あっという間だろう。

 最初の出会い方は余り良いものではなかったが、クロムと過ごした二日間はそう悪いものではなかった。



「私達も、楽しかったよ。ありがとう」



「最終日の親善試合、頑張ってね」



「ああ。俺が必ず勝つ」



「……なら当日まで体調は万全にしておかないとな。ほら、早く寝るぞ」



 素っ気なく言いつつも、どこか表情の柔らかいエミルの言葉に頷くと、アリス達は各々自室に戻った。

 既に冷たくなったベッドに潜ると、仰向けになって天井を仰ぎ、クロムについて想う。


 確かに、彼の性格が難有りなのは否めない。

 皮肉屋で自己中心的であるし、何かにつけて馬鹿正直に真っ直ぐだ。


 だが――……悪い人間ではない。


 良く言えば不器用なのだろう。今夜のことを通して、多少とは言えクロムの人となりを知った。


 これから行われる親善試合で、友人であるシェリーに勝って欲しいのは勿論だが、己の強さに対してひたすらに真摯なクロムにも、報われて欲しいと願うのは欲張りだろうか。


 アリスは微睡みの腕に抱き寄せられ深い眠りに就く途中、思わず笑みが溢れてしまうような、幸せな夢を見たような気がした。











 翌朝濃い隈を拵え、充血した目で現れたアリスに、レイチェルやミリセントが心配そうに世話を焼いてくれたのだが、アリスが二人にクロム達との肝試しを話すことはなかった。

 殊勝な態度のクロムは、一緒にしたアリス達が知っていれば良いだけなのだ。恐らく、クロムもそう言うはずだから。




 第13話 できたばかりの不思議な話 完


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