第6話 もとにもどせなかったって②

 モニカ・コートは、斜め前に座るミリセントを憎々しげに睨み付けていた。自分が答えられなかった質問に、きちんと返答できていたミリセントが気に入らなかったのだ。

 これが他の生徒ならば、自身の勉強不足と簡単に受け入れられるだろう。

 しかしその相手がミリセントともなると、別問題だ。

 自分が憧れ、尊敬しているソフィアが彼女を嫌っている。だからモニカにとって、ミリセントが気に入らない理由はそれで十分だった。



 ちらりと両隣を見ると、ソフィアもアビゲイルも熱心にスケッチをしていた。

 モニカは彼女達が下を向いている隙に、妖精が入った籠の鍵を魔法で開ける。

 そして羽根が見えやすくなるよう籠の位置を調整しているかのように見せかけて、直前に切り傷を付けた左の人差し指を、籠の隙間から差し入れた。


 妖精の眼前でぷっくりとした血の珠が崩れ、白い指を伝って流れ出す。

 少女の姿をしたその妖精は偶然にも人懐こい個体だったのか、彼女は流れる赤色を躊躇うことなく小さな舌で舐め取った。

 それを見届けたモニカは何食わぬ顔で、音を立てないよう慎重に籠の扉を細く開ける。




 人間が魔法生物に血液といった魔力を含んだ媒介を与えた場合、それは彼等を召喚し、使役することと同義だ。

 魔力が乏しく妖精を召喚して使役する程の力を持たないモニカは、その方法を逆手に取り、妖精を使ってミリセントにちょっとした悪戯をしてやろうと考えたのだ。




 それは一瞬だった。




 ソフィア達の目を盗んで、妖精は籠から勢い良く飛び出した。

 使役者となるモニカの感情に引き摺られてか、可愛らしかった妖精の顏は見る影もない。

 妖精は日ノ輪国のお伽噺に出てくる鬼のような形相で、アーモンド型の形の良い瞳からは理性の色が消え失せている。



 狂暴化した妖精は真っ直ぐにアリス達の、正確にはミリセントへと向かって行く。

 真っ先に異変に気付いたレイチェルが咄嗟に防御魔法を張り、突進してきた妖精が激しい音と共に弾かれた。

 静寂を破った突然の物音に周りの生徒達が騒ぎ出し、隣のグループのエミル・マティスが、同席する生徒を守るように前へ出た。


 一度防壁に阻まれた妖精が、再びミリセントの下へ向かおうと空中で体勢を整えた。

 妖精は魔法を放つつもりなのか、微弱ながらも魔力を練り上げている。

 レイチェルが再度防御魔法を構築し、自分が狙いであることに気が付いたミリセントも、制服のポケットから植物の種を取り出し魔力を込める。

 彼女達の背後に庇われる形となっているアリスは、いつでも補助魔法を発動できるように身構えた。




 アリスは、攻撃系の魔法全般を使用することができない。

 それが記憶を失ったことが原因なのか、元から使うことができなかったのかは分からないが、今まで攻撃系の魔法が使えずに困るといった状況には陥ったことがなかった。

 そのためアリスはこの時初めてレイチェルとミリセントの助けになれないことが、こんなにも歯痒いものなのだと痛感した。




 しかし、ない物ねだりをしても仕方がない。

 前を見据えると、妖精から風の魔法が放たれた所だった。

 衝撃波が防壁にヒビを入れる。レイチェルが魔力を込め直すも、次に攻撃されれば完全に破壊されるだろう。


 その時、アリス達の背後から詠唱と共に幾本もの光の矢が放たれた。

 アリスが矢の出所を振り返ると同時にエミルが属性魔法で創造された弓を引き、再度光の矢を放った。

 それらは妖精を捉えることはなかったが、彼女は更なる攻撃を警戒したのか距離を取った。

 そこをすかさずミリセントが、植物の種から魔法で創り出した蔓で妖精を絡め取った。

 しかし妖精の抵抗は激しく、蔓は瞬く間に引き千切られる。



 だが多少の時間稼ぎにはなったようで、詠唱を終えたエミルが再び属性魔法で攻撃を仕掛ける。雷のような光の筋が、妖精の逃げ場を奪うように襲う。

 その時ソフィア達のグループの籠が開け放たれているのを見咎め、エミルが目を吊り上げて怒鳴った。同時にハーフエルフ故に、寮内では上位とされる彼の魔力の奔流が他生徒を襲う。



「お前達の所の妖精だろう! 一体何をしたのか知らないが、責任を取れ!!」



 余りの剣幕にモニカが腰を抜かす。ソフィアもアビゲイルも自分達の所の妖精が何故逃げたのか理解が及ばず、ただ言われるがままだ。

 エミルは彼女達の様を見て、大きく舌打ちした。

 その間にも、アリス達を執拗に狙う攻撃の手は緩まない。遂に二撃目の風の魔法が、レイチェルの防壁を打ち破った。



 エミルの攻撃を躱しつつ、妖精は無防備なアリス達へ距離を詰める。

 そして妖精の狙いは、唯一自身へ攻撃をしてこないアリスへと定まった。

 庇われているから弱いと思ったのだろう。弱点を突くのは当然のことだ。アリスだってそうする。

 それに気付いたレイチェルが咄嗟に属性魔法を放つが、慣れていない詠唱破棄をしたためか簡単に避けられた。

 ミリセントが再び放った植物の蔓すらもすり抜けて、妖精はアリスの眼前に到達した。



「――アリス・ウィンティーラ!」


「っ! アリス!!」


「アリスちゃん……!」



 他の生徒達の悲鳴が、エミル、レイチェル、ミリセントの切羽詰まった声が響く。

 アリスの身体は魔法の使い方すら忘れてしまったように、硬直したまま動かない。妖精が小さな腕を振り上げ、風の魔法を放った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る