第32話 おねんねの時間よ!

第32話 おねんねの時間よ!①

 週明け、前期最後の週。

 ここを乗り越えれば、待ちに待った夏休みである。去年のこの時期も愛好会の件でバタバタしていたような気がするなと、アリスは感慨に耽った。

「水曜日までに計画を立てろ」というジストのお達しもあり、アリスとシェリーは頭を悩ませながらも、何とか締め切り当日の昼休みに活動計画を提出した。


 去年は活動内容をアリスが決めて、シェリーには計画を伝えるだけだった。

 しかし今はこうして二人で計画を立て、学外に行くための準備を進めている。

 本当に言葉にならない……と言うよりも、アリスでは上手い言葉が見付からなかった。






 そして迎えた、テラスト魔法学校前期終業式。

 大講堂は緊張感にも似た、ピリついた空気が漂っていた。

 それも当然だ。シャンの話の大半が『サーカス』で占められていた。




「――『サーカス』の脅威は、最早対岸の火事ではない。エメラルド寮寮長エドワード先生の担当教科『実戦における魔法対抗学』で、貴方達は実践的な魔法の使い方を学んだことでしょう。ですが、それは授業の一環であることを決して忘れないで下さい。授業中ならば、魔法の暴発や多少のミスからは先生方が守って下さいます。怪我をすれば、保健医の李紅花リホンファ先生が治してくれることでしょう」


「学外で『サーカス』と相対してしまった場合、そこに先生方はいません。勇気と無謀は違う。貴方達が学んだことは、あくまでも魔法に於ける戦闘の基本的なものです。それを忘れないで。冷静に相手の力量を見極め、敵わないと分かったならば、逃げることも勇気です――以上、前期終業式を終わります」




 副校長から起立の号令が掛かり、アリスは立ち上がる。さすがにこの内容で居眠りが出来る程、図太くはなかった。

 退場を待っているアリスの背に、後ろのミリセントが囁く。



「アリスちゃん、今日は寝てないんだねぇ」



「さすがにあの話だとね……」



 振り向いたミリセントは、困った顔で眉を下げていた。



「ミリィちゃん、この後はどうするの?」



「電車が十三時台に一本しかないから、寮に戻ったら直ぐ出るよぉ。レイちゃんもだよねぇ?」



「ええ、夕方に父さんと約束があるから。アタシも直ぐ帰るわ」



「そっか、気を付けてね」



 前の生徒が進み、ようやく列が動き出す。

 しかしここから講堂の出入り口までが長いのだ。



「アリスとシェリーは、今日が愛好会の活動日よね? なら、帰省は明日?」



「うん。学外に行くの、夜からなんだ。私は帰ろうと思えば帰れるけど、そんなに急がなくても良いかなって」



「オレは明日フレデリカさんが迎えに来るから、一緒に帰ってもらう予定だ」



「そ。アンタ達も気を付けて帰りなさいね」



 レイチェルの言葉に一つ頷くと、先程よりもスムーズに動き出した列にアリスは歩を進めた。










「さっきシャン校長からもあったが、自分より格上の相手と対峙した際には、逃げるのも選択肢の一つだ。戦うだけが全てじゃない。それを忘れるな。俺の授業で一番初めに言ったと思うが、あんなのは護身術だ。自分の生存率を少しでも上げるための手段に過ぎない。世の中には、平気で人の命を奪える奴がいる。そんな奴等に、学校で学んだようなお行儀の良い作法は通用しない。肝に命じておけ」


「……あ~、あと職場体験の用紙だが、そこに書かれた選択肢から気になる職種を第三希望まで書いて、夏休み明けに提出するように。出さないと、こっちで強制的に決めるからな。忘れるなよ。それじゃあ、各々良い夏休みを! 以上、解散!!」



 エドワードの号令は、珍しくチャイムが鳴り響いた後に言い放たれた。

 それ程、この担任も『サーカス』を警戒していることの表れだろう。


 ホームルームが終わると、ミリセントとレイチェルが慌ただしく寮へと戻って行く。

 別れのやり取りも御座なりに走り去る二人を見送ったアリスとシェリーは、愛好会の活動時間まで寮で過ごすことにしていた。


 廊下から、エメラルド寮の一年生達の賑やかな声が響く。初めての夏休みに、気分が高揚しているのだろう。

 一年前のアリスもそうだったのだろうかと、どこか懐かしい気持ちになった。

 アリスとシェリーは寮に向かう生徒達の波に逆らい、昼食を買うために購買部へ向かった。





 二人は購買部でパンを購入した。

 アリスはサンドウィッチとドーナツ、シェリーはチョココロネとドーナツだ。

 シェリーは甘いパン二つの組み合わせで本当に良いのだろうかと疑問に思いつつ、アリスの部屋で昼食を取ることにした。

 ミリセントの部屋のように気の利いたラグやクッションはないので、アリスはベッドに腰掛け、シェリーには勉強机の椅子に座ってもらった。



「シェリーちゃん、甘いパン二つで良かったの?」



「お前がドーナツを買っているのを見てたら、美味しそうに見えて……」



「あぁ~あるよね、そういうの。ピザ食べてる目の前でパスタとか食べられちゃうと、美味しそうに見えるよね。解るな~」



 うんうんと頷くアリスに、シェリーが続ける。



「でもチョココロネは外せないから、だからこうなった」



「……シェリーちゃんって、そんなにチョココロネが好きだったっけ?」



 以前からよく食べてはいたがと首を傾げるアリスに、シェリーは悩ましい顔で視線をさ迷わせた。



「……お前が最初に食べさせてくれたお菓子、トリュフだっただろ」



「うん、そう、だったかな?……あ、もしかして中に苺のソースが入ってるやつ?」



 記憶を手繰り寄せて捻り出したそれに、シェリーがむっつりと頷いた。

 どうやら正解のようだ。アリスは少し安心する。



「その時のチョコレートが美味しくて……だからチョココロネが好きというよりは……」



「チョコレートが好きなんだね! だからかぁ~」



 もたらされた解答に納得して頷くと、アリスはサンドウィッチにかぶり付く。今日の気分はハムチーズサンドだった。


 シェリーがチョココロネを口に含んだ。

 一口目から、口の周りがチョコレート塗れだ。口が小さいのか、食べるのが下手なのか。

 チョコレートが詰まっていない部分を千切り、チョコレートを付けながら食べれば良いのではないかとも思うのだが……シェリーは口の周りが汚れることを特に気にしてはいないようなので、アリスはその考えをそっと胸の内にしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る