第37話 ウサギのお使い②
『エメラルド寮二年、アリス・ウィンティーラ。至急校長室に来なさい。繰り返す。エメラルド寮二年、アリス・ウィンティーラ。至急校長室に来なさい』
昼休みも残り五分、そろそろ次の授業の準備をしようかと立ち上がった時だ。
校内に響き渡るジストの声が、アリスの名前を淡々と繰り返した。放送を聞き終えたレイチェルは、不可解そうに眉を寄せる。
「シェリーだけじゃなく、何でアリスまで……?」
「授業もそろそろ始まるのにねぇ……?」
不思議そうにするレイチェル、ミリセントと共に首を捻りつつも、アリスは「取り敢えず行って来るね」と校長室に向かった。
途中間違って階段を降りてしまい階を間違えるというハプニングはあったものの、何とか目的地には辿り着くことができた。
校長室を前にすると、どうにも緊張感を覚える。アリスは一度深呼吸をすると、ボルドー色の扉をノックした。
シャンの声に入室を促され、アリスはドアノブに手を掛ける。握り締めたそれから、冬の廊下の冷たさを感じた。
「失礼します」
扉を開けた先には、校長のシャンを始めとして錚錚たる顔触れが揃っていた。
室内に入って直ぐ、入り口の左側にはシェリーが立っている。
右手の壁際にはクロム・フォン・ゴードが、堂々とした立ち姿でシルヴェニティア魔法学院学院長アレイスター・ヴィクトールの背後に控えている。
直立不動で微動だにしない彼に、アリスは貴族の屋敷などで見掛ける鎧兜を思い出した。
身の置き場に困って立ち尽くしていると、シャンに「アリス・ウィンティーラ」と呼び掛けられる。
「はっ、はい!」
「貴女にお願いしたいことがあります。これは私や、シェリー・クランチェの望みでもあります」
アリスは自身の真横に立つ友人を窺い見る。
しかしシェリーの瞳はシャン達が座るソファの方へと真っ直ぐに向いていて、目が合うことはない。
シェリーとのアイコンタクトを諦め、アリスはゆっくりとシャンに視軸を向けた。
「先に言っておきますが……この話は断って頂いても構いません。アリス、貴女の選択に我々は従います――それで良いですね、シェリー?」
「――はい」
シェリーの肯定を受け、シャンは真紅の瞳でアリスを射抜く。
「一週間後。ヨル=ウェルマルク新興国とノースコートリア王国、両国の警察機関が『光の御子教』の教団を立ち入り捜査致します。彼等は『サーカス』を駒に自作自演で信者を増やす、悪質極まりない宗教団体です――この捜査に、貴女の力を貸して下さい」
「……勿論、『サーカス』との衝突は否めません。しかし私やジスト、そしてこの場にいる大人達が必ず貴女を守ると誓います。どうか、共に来て頂けませんか。アリス・ウィンティーラ」
アリスの頭には「何故?」という疑問ばかりが渦巻いていた。
何故アリスなのか。
何故大して強い力を持つ訳でもない自分が、こんな風に懇願されているのか。その理由がよく解らない。
ぐるぐると考えを巡らせていると、シェリーに名前を呼ばれた。
アリスは迷路の如き思考の渦から脱し、シェリーへと顔を向ける。
「オレも、お前を守る――約束する」
シェリーも、アリスが共に行くことを望んでいるのだったか。アリスは尋ねた。
「……私がいた方が、シェリーちゃんのためになる?」
その問いにシェリーは紅玉を見開いた後、躊躇いがちに口を開く。
「……ああ。お前にしか、頼めないことだと思っている」
「――そっか」
普段のシェリーならば、戦う力のないアリスをむざむざ危険に晒すような真似はしまい。
だが彼女にはそれを差し置いてでも、この捜査にアリスを参加させたい理由があるのだ。
これは恐らく、シェリーが悩みに悩んでようやく出した答えなのだろう。
シェリーが、大切な友人が、アリスの存在を必要としてくれているのなら――アリスが出す答えは一つだ。
「私も捜査に参加します――いえ、参加させて下さい」
はっきりとした口調で放たれたそれに、ジストが物憂げに視線を床へと落としたのだが、彼の変化は細やかでアリスの目に留まることはなかった。
「……協力感謝する、アリス・ウィンティーラさん。後ろの彼も、君と同じ捜査協力者だ。共に終わらせよう、長い夜を」
アーリオの言う「後ろの彼」とはクロムのことだ。
彼は一年前よりも大人びた顔をして背も伸びており、身体付きは大人の男性に近付いていた。
クロムを一瞥したアリスは、アーリオの言葉に大きく頷く。
「……では、ここからは現段階での捜査計画をお話し致します」
ジルが、長テーブルの上にどこかの建物の見取り図を広げた。
シェリーとアリスはテーブルに近寄り、見取り図を取り囲む。
図にはほぼ真四角と言っていい大きな四角が描かれていた。その中には幾つかの仕切りがあり、部屋の形を成している。
何やら記号のようなものもあるが、それが何を意味するのかまではアリスには解らなかった。
「『光の御子教』の、教団の見取り図となります。これは建設を担当しました業者から借りたもの、その写しです」
ジルは一言そう述べると、建物一階のとある一点を指し示した。
「おおよそこの辺りに、地下に繋がる階段があります」
「……やけに詳しいな」
「工事の内容と見積りの金額に違和感を覚えまして。それで担当者に鎌を掛けましたら、大金を掴まされて設計図を偽造したと白状したんです。その場で取り押さえましたが」
アーリオの思わずといった呟きに、ジルがさらりと答える。何でもないことのように言ってはいるが、内容は結構過激だ。
「『サーカス』との正面対決も有り得ます。ですので……」
ジルは見取り図に描かれた建物の周りを、ぐるりと指で囲った。
「外側はヨル=ウェルマルク、ノースコートリアの警察官達に一任。我々は何組かに分かれ、地下を含めた都合三階の建物の捜索に当たった方が宜しいかと」
ジルはアーリオを除いた顔触れを見回すと、ジャケットの胸ポケットから取り出した万年筆で余白に何やら書き出した。
「地下はクロム君、フレデリカ、以下両国の警察官の混合チーム。一階はアレイスター殿。二階がシェリー、アリスさん、ジストさん。三階は私とシャン。それぞれに警官達を付ける。上階には教祖がいると思われる広間があるだろうから、相手の妨害は更に激しくなっていくだろう。なので、組分けはあくまでも目安だ」
「実行は一週間後の、十二月十五日。この日は『光の御子教』の集会が行われない日らしく、教団内は手薄になる」
ジルは万年筆同様、胸ポケットから取り出した黒い手帳に目を落としながら告げる。
「場所は学園都市テラスト北部の郊外。近くに住まう住人は僅か。彼等には当日極秘裏に通告し、避難をしてもらいます。そして、突入は日中が好ましいかと――『サーカス』は闇に乗じるのが得意ですから」
ジルの発言に、同席していた者達が一様に頷いた。
一瞬訪れた沈黙に、アリスは恐る恐る挙手するとジルに尋ねる。
「あの、『光の御子』と『教祖』? は何が違うんですか……?」
「ああ。まず教祖とは、ざっくり言えばその宗教を立ち上げた人物のことだよ。『光の御子教』にとっての教祖とは、『光の御子』の声を聞く
「巫師……?」
この時点で既にアリスの理解の範疇を超えていたのだが、ジルはそれに気付いた様子もなく、続いて『光の御子』についての説明を始めた。
「そして『光の御子』とは彼等『光の御子教』の信仰対象のことであって、教祖より上位の存在であると捉えてくれて良い。『光の御子教』の信者にとって、教祖は御子の声を聞くことができる信者の内の一人、謂わば信者の代表という訳だね」
「へぇ……?」
アリスが思考を放棄したのが伝わったのか、ジルのみならずその場にいた大人達全員が苦笑した。
室内の緊迫した空気が、少しだけ緩まる。
見兼ねたシェリーが「『光の御子』は信者達にとっては神と同等で、『教祖』は人間だ。でも他の信者とは違い、教祖は御子と直接やり取りができる」と纏めた。
アリスはそこでようやく「……あぁ、成る程。教会の聖女様と神父様みたいな感じだね!」と納得する。
ちなみに「聖女様」とは、サラが籍を置いている教会で信仰を捧げている
「……ふふ。ジルよりは断然教師に向いているわね、シェリー」
シャンがそう言って微笑むと、ジルは決まり悪そうに咳払いをする。
「それでは改めて、計画実行は一週間後の十二月十五日。突入時刻は午前九時。一般の人々が通勤や通学で出払い、周辺に人気が少なくなる時間帯でもあります。――何かご不明な点、ご意見はございますか?」
特に声が上がることもなかったためジルは頷くと、一堂に会す全員の顔を見回した。
「……では以上です。我々の手で、必ず奴等を捕らえましょう」
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