プロローグ1 つばさと悠人①

【プレリュード】


「なんで……なんだよ」

 失われていく。


 俺の大事な存在が、その命が儚く消えていく。


 失われる。


 俺の前から、大切な存在が溶けて消えていく。


 目の前に写るのは、広がり続ける血の水溜まり。


 輝く“石碑”の前で、光の階段を背にして俺は、死にゆく最愛の人間を抱いている。



 アイツが生きている。

 それだけで良かったのに。

 そんなちっぽけな願いすら、敵わなかった。


 俺はアイツに何もできなかった。



 愛する女、ただ一人すら助けることができなかった。



 俺は……


 俺は、弱い人間だ。






【東条つばさ】


「あー、ちょっと遠回りしていこうか」


 それはいつもの放課後、いつものように二人並んで家まで帰る途中だった。

 夕暮れで赤く染まる土手には子供達の喧噪が遠くの方から聞こえてくる。


 そんな中、隣を歩く男の子が切り出してきた。

 私と同い年の十六歳。幼馴染みの白石悠人だ。


「いいけど……どうしたの? お腹空いた? なにか食べに行く?」


「お前……俺がいつも食い気だけで動いてると思ってるのか」


「実際そうじゃん。お花見の時もご飯ばっかり食べるし」


「まあ桜なんて珍しくもないからな……あぁっ! こんな話じゃなくて」

 悠人は顔を真っ赤にしている。なんか……可愛らしい。

 もともと大人びた顔つきだけどいつもより引き締まった、それでいて思い詰めたような表情で私を見つめている。


 私と同じ十六歳と思えない


 さらさらの黒髪が夕日を反射して、いつもより更に綺麗に見える。


「ご飯じゃないなら、どこか遊びに行く? テストも終わったから私は大丈夫だけど」

 さりげない顔をしながらいつもの道から外れる私。このまま行くと、土手を迂回して繁華街に向かうことになる。かなりの遠回りだ。


「それもいいけど、重工に行かないか」


「今から? 歩いて?」

 重工とは私の父親が働く職場、常見重工のことだ。


 私たちの住む都市、常見が丘ニュータウン全体の開発をした会社で、本社は関東に、支社は常見が丘ニュータウンの中心に建っている。


 重工、と言えばあのビルね、と街の誰もが連想するし、街のどこから見わたしてもすぐに目に付くくらい、大きな建物だ。


「でも、今日は確かほとんど誰もいない筈だよ。働いてる人達のほとんど、本社に行ってるみたいだし」


「知ってる。だから行きたいんだ」

 ちなみに悠人のお母さんも常見重工の社員さんだ。


 私のお父さんとは学生時代からの友達らしく、家も隣り合わせて建てちゃうくらいの仲良し。


 だから、私と悠人も物心ついた頃から一緒に遊びあう仲になってたし、小さな頃は気軽にそれぞれの家に泊まり合ってた。


 流石に高校生の今はないけどね。


「別にいいけど……なにするの?」

 お父さんに連れられて何度も行ったことあるけど、別に遊びに行くようなところじゃない。

 ここから歩いてだと四十分位はかかるし、正直面倒くさい。


「用事があるんだ。できれば、あそこで、誰もいない時に」


「なにか分かんないけど一人で行ってくればいいじゃん」

 自分の親の職場に用事ってなんだろう。親いないのに。私はそんな用事ないし、なんで私も行かないといけないんだろう。


「お前に……あー……伝えたいことがあるんだよ」

 悠人はそれ以上なにも言わず、私の前を歩く。


 伝えたいこと? 私に? ……それって――

 

 悠人の纏っている雰囲気から、私は心の中でこう思った。



 ついに来たか。



【白石悠人】

「久しぶりだー。相変わらず景色が綺麗だね!」

 夕焼けが終わりを迎えつつある時刻、つばさがその明るい声を常見が丘の空に溶け込ませる。


 緩やかな風を受け、つばさの髪がふわりと舞う。


 常見重工ビルに辿り着いた俺達は、抜け道からビルの敷地内に入り込み、屋上まで辿り着いていた。

 セキュリティ上あまりよろしくないし、もしかしたら防犯カメラには写ってるかもしれない。


 母親に知られたら怒られるだろうな。

 だがまあ、それは俺が甘んじて受け入れれば良い。


 屋上に設置されたヘリポートからは常見が丘ニュータウン全体が一望でき、刻一刻と夕焼けから夜景へと変わっていく。


 巨大なビル屋上の面積を有効利用しているようで、ヘリ四台は楽に止められそうな程広く作られている。

 丸いラインが引かれたポートはそれ自体、デザイン性が高く、外側には三角のタイルを使って複雑な文様が描かれていた。


 文様の外側を囲うように、円柱状のライト機器がいくつも設置され、暗闇に溶け込んでいた。



 ここが常見が丘ニュータウンの中で、最も景色の良いところだ。

 忍び込まなければ使えないのが難点だが、どうしてもここに訪れる必要があった。

 このビル内で働く人間の少ない今日、邪魔の入らない今、つばさと一緒にここに来る必要があった。


 それがなにかって?

 つばさに告白をするためだよ。


【東条つばさ】

 私、東条つばさが物心ついた頃から、悠人はずっと隣にいた。

 なにをするにも一緒だった気がする。家も隣、保育園も一緒。ついでにお互いの親は友達同士で休みの度に一緒に出かける。


 うん、仲良くなって当たり前だよね。


 当然のように私たちは小学校の頃、悪戯や泥だらけになり親を困らせ、一緒に遊び、一緒に色んな景色を見て回った。


 そして当然のように二人とも思春期に入り、 お互いに距離を置いた。



 どっちが先ってことはなかったように思う。いつの間にかお互いの家に遊びに行くことはなくなり、お互いに同性の友達と遊ぶ機会が多くなっていった。



 ちょっとだけ、寂しかった。けれどもしょうがないか。という気持ちの方が強かった。


 中学の頃はちょっとした挨拶だけで殆ど話らしい話をしていなかった。


 なのに、三年生の頃、 私と同じ高校に行く。と打ち明けられた。


 悠人は私と違い、頭が良かった。それだけ上の偏差値の学校が狙える。


 なんで?

 と聞いてもなにも答えない悠人に、私は少しだけ期待した。


 嫌われていない自信はあったけれども、異性としての愛情があるかどうかは自信がなかった。


 同じ高校に入学してからの悠人は、中学時代が嘘だったかのように私に話しかけて来た。


 私は嬉しかった。


 小学校の頃の頃を思い出し、また無邪気に一緒に遊べればいいな。と心の底から思った。

 気が付いたら、一緒に帰るようになっていた。その頃から私は考え出した。


 なぜ、悠人がこれだけ私のことを気にかけてくれているのだろう。と。


 言葉はなくても行動でなにを考えているかは分かる。幼馴染みとはそういうもの。

 けどね、言葉がなかったら確証がない。確証がなかったら変に先走った感情は持てない。


 それでも私はどうしても気持ちが先走ってしまう。


 成長した悠人は、クラスの女子が何人か気にする位には格好いい男になった。

 私もそれなりに、悠人と一緒に歩いて恥ずかしくはないように、自分を磨いてきたつもりだ。


 そして、今日。


 常見が丘の中で一番景色の綺麗なこの場所で、口数が少ない悠人を見て、なにか決意しているのを感じ取った。


 知っていたけど、知らないふりをしてきた感情を、私に向けていることも。



【白石悠人】

 中学三年生、クラス全員誰もが溶け込めていない教室で、俺はプリントとにらめっこしていた。


「進路希望……か」

 俺は幼馴染みであるつばさのことを考える。


 幼馴染みといっても男と女。

 思春期になれば、お互い意識せずとも距離を置いてしまう。


 この頃にはもうつばさとは疎遠になっていたが、それでもつばさの第一志望の高校は知っていた。


 そして俺はつばさの第一志望と、偏差値のもう少し高い進学校、どちらを第一志望にするかを考えていた。


 つばさの成績なら、彼女自身の志望する高校にはまず入れるだろう。


 俺もそうだ。つばさと離れても良いのであれば、別の進学校に行けるだけの学力はあった。


「人生の岐路……だな。間違いなく」

 仰々しい言い方だが、確かにそうだった。


 距離を置いているとはいえ、俺はまだつばさのことが好きだった。

 別々の高校に進学すれば、そこで運命が断ち切られる、という実感があった。


 だがそもそも、つばさが自分のことを昔からの顔なじみ程度にしか思ってないことも分かっていた。


 同じ高校に行く、それはもしかしたら別々の高校に行くよりも、残酷な結果になるかもしれなかった。


 今でこそ、つばさは誰とも付き合ってないようだったが、流石に高校生になれば誰かを好きになり、誰かと付き合う事になるだろう。


 それが自分ならいい。


 だが、もし誰か他人だったなら、俺は心の底からそれを喜べるのだろうか。他人の恋人になったつばさを見ながら高校生活を送れるのだろうか。


 そんな事をグダグダと考えていたと記憶している。


 そう、これはただの思い出だ。

 その当時悩みに悩んだ俺だったが、結局は一つの決断を下し、今がある。



【東条つばさ】


「あーえっとな、こうやってまた一緒につばさと話せるようになって--えーと」

 常見重工ビルの屋上、手すりから景色を眺める私に、悠人が切り出してきた。


「――嬉しいでしょ? ありがたく思いなー。こんな美少女とこんな綺麗な景色見られるんだから」

 私はなんでもないかのように、いつものような返答をする。


「ったく、誰が美少女だ」

 悠人が頭をわしゃわしゃしてくる。嬉しい。顔が赤くなるのを必死で押さえる。


「……あー、でも、良かったと思ってる。中学の頃はお互い部活やら勉強やらであんまり話せなかったもんな」


「……急にどうした? 寂しかったかー?」

 心臓の鼓動を悟られないように、わざと明るく振る舞う。真面目な雰囲気に水を差すことになってしまった。だが、悠人は真面目な顔を崩さずに、続けた。


「……ああ、寂しかった」


「へっ?」


「俺たちこのまま、離ればなれになるんじゃないかって怖かった」


「ちょっと、悠人」


「俺は馬鹿だから……子供の頃からずっと一緒だったから大事なもんが見えてなかった」


「まって、ちょっと タンマ」


 心の準備が。


「俺はつばさのことが、好きだ。他の誰にも渡したくない」


「――」


 どうしよう。もしかして、と期待していた。でも覚悟が足りてなかった。どうしよう。


「ガキの頃みたいに、ずっと一緒に笑っていたい。辛い事があっても、つばさがいれば、それだけで幸せになれる」

 私もそうだ。その言葉を伝えたい。けれども身体が動いてくれない。


「こんな俺だけど、付き合ってくりゃやい」

 噛んだ。この局面で噛みやがったこの男。


「……ちょっと、私初めて告白されたんだけど」


「……スマン」


「しかも、場所が親の職場って……ムードぜろじゃん!」


「っ! しょうがないだろ。他に思いつかなかったんだから」

 嘘だよ。私たちの住む街で一番、景色が綺麗なこの場所で、少しでも良い思い出になるようにしてくれたんだね。


 そこは言わないけど、ありがとね。



 駄目だ。悠人が勇気を出してくれた。私もきちんとそれに答えないと。


「……私でいいの?」


「つばさが、いいんだ。つばさじゃなきゃ駄目だ」


 その言葉に、内に貯めてた、見せないようにしていた思いが溢れる。


 一気に目の前が涙で滲む。良かった。好きだって気持ちを持って大丈夫なんだ。


「ありがと……私も、悠人のこと好き。一緒にずっといたい」


「……おう」


「私、悠人を、 好きでいていいの?」

 最後の方は声が擦れていた。


「……おう。ったく、つばさは泣き虫だな」


「うるさ…… ひゃっ!?」

 抱きしめられた。悠人の胸が視界に広がる。体をばたつかせるが、強い力で押さえつけられる。


「ちょっと……恥ずかしいんですけど」


「うるせぇ、見るなよ」

 頭に、水が落ちてくる。悠人、泣いてる?


「……泣き虫はどっちだか」

 悠人はなにも言わない。ただ涙が落ちてくる。それが心地よい。


「悠人、もう一回言って」


「……なにをだよ」


「噛んだ台詞」

 抱きつかれたお返し、とばかりに意地悪する。


「……ガキの頃から、ずっと好きだった。そして、これからも好きでいたい。これから、大学とかで離ればなれになるかもしれない。それでも ずっと好きでいる」


「……ありがと。ホントに……嬉しい」

 悠人が好きと言ってくれた。


 感じてはいたけれど、言葉に出してくれた。


 いつの間にか、屋上全体がライトアップされていて、私たちのいる場所が明るく照らされている。それと同じで、私の心も分かりやすく明るくなっていく。


 どうすればいいんだろう、と思っていた心の霧が晴れて、明るい光が広がっていく。



 なにも言えない私に、悠人が続ける。

「だから、…… 俺と付き合ってくれ!」


 明るく照らす光が一段と強く輝いた。

 心の話じゃない。私達のいる場所が、私の視界が真っ白になり、光が私たちを包んでいる。



 -- 私こそお願いします--その言葉は音にかき消された。


 強い光が輝きを増し、視界が真っ白に満たされる。


 -- なに?これ--


 抱かれていた悠人の腕が、放される。私の手をぎゅっと強く握り締めてくれる。



 私は、その手の温もりを感じながら、それを見ていた。



 ビルの屋上、その真ん中に大きな穴が空いていた。


 工事現場の真っ最中みたいな機械音が私の鼓膜を刺激している。

 


 その穴から、それは現れた。


 穴からゆっくりと、上昇を続けている。


「これは……」

 頭の上から振ってくる、悠人の声に心が落ち着く。

 こんな訳の分からない状況だけど、悠人がいてくれるだけで安心できる。


 強い光を放ちながらそれは昇ってきた。

 そしてそれは、空の途中で、なにかにぶつかったかのように停止した。



 悠人も私も、呆然とそれを見つめている。


 それは、大きな石版だった。


 大きな光る石版が宙に浮いていた。


 妙な絵が描かれた石版だった。

 私の身体から離れ、悠人は続ける。


「これは……“石碑”だ。こいつは――」

 石版の左側には、角と翼の生えた、目の大きな女性が座っている。

 石版の右側には、ライオンの身体を持った鳥が翼を広げている。



「――街の地下に眠る、“石碑”だ」

 がこん、と音を立て、突然石碑の前から光る階段が生まれた。

 まるで、悠人の声に呼応したかのように。


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