⑥<少女3> 『別れ』


⑪【ソフィア】


 瞬間、私の身体を覆っていた樹木が消え去った。

 解放された私の前で、ナルヴィが身体を縮めていく。


 女の子の姿に戻ったナルヴィが、床に倒れ込んだ。


「す、凄い! メフィス! なにをしたの!?」

 床に転がったメフィスに賞賛を送る。


『……相手を眠らせ、好きな夢を見せる夢魔法さ。僕の奥の手だよ』

 あの強い眷属が一撃で? どんだけ強いのよ。


「だったらもっと早く――え、……メフィス?」

 いつものように抱えようと近づき、メフィスの身体に手を回した。

 けれど、私の両手は空気を握るように透き通る。


「メ、メフィス? 掴めないよ」

 メフィスはここにいる。それなのに掴み上げることができない。

 それどころか、少しずつ透き通っていっているように見える。


『最後の、夢魔法だった。後、一度でも、使えば、僕はこの世界から消え去る。そんな魔法だった。……正真正銘の、奥の手さ』

 この世界から……消える? メフィスが、消える!?


「な、なにしてんの? 分かってて、なんでそんなこと、……したのよ」


『キミに生きていてもらいたかった。それだけさ。……キミには、死んでもらいたくなかった』


「だからって……だからって、アンタが犠牲になってどうすんの!? あなた、馬鹿なの!?」

 ふざけないでよ。使ったら消える? それ分かってて、使ったの? 私を助けるため、使ったの?


『気にしなくていいよ。僕は、死ぬわけじゃない。この身体がなくなるだけだ。記憶が失われるだけだ』

 そうだ、本体は別にいるって言っていた。けれど、けれど……。


「……私との、思い出はどうなるのよ」


『消えて、なかったことになるだろうね。残念だ。すぐそこに魔界への扉があるのに。もう少しで、……本体に辿りつけたのに』

 そうだ、メフィスは前に記憶が本体と繋がっていないと言っていた。

 ここにいるメフィスは本体のメフィスじゃない。


 私との出会いが、この数日の思い出が、消える。


 それは、嫌だ。

 それは、そんなの……。


「そんなの、死んだのと同じじゃない……なにしてんの!? 嫌だよ。メフィス、消えないでよ」


『ごめんね。その約束は、もうできそうにない』

 駄目、だめだ。絶対に、メフィスは死なせない。


 考えて。ソフィア。……あなた、この数日沢山の危機から逃れたじゃない。

 考えれば、きっと……はっ!?


「そ、そうだ! 待っててメフィス」

 私は床に転がっていた宝玉オーブを拾い、走る。

 中央にある浮いている石版に近づく。

 よく分からないけど、魔界への扉ってきっとコレのことだよね。

 えーっと、あ、コレだ!

 宝玉オーブがはまりそうな窪みを見つけた私は躊躇いなく宝玉オーブを設置する。

 その途端、宝玉オーブと石版が激しく輝き、目の前に白いもやが浮かび上がる。


 よ、よし! 魔界への扉ってきっとコレの事ね。


「メフィス! 魔界の扉開いたよ!」

 私の呼びかけにもメフィスは身動き一つしない。


「メフィス! もう少し、もう少しだけ頑張って」

 メフィスに近づくと、床が透き通って見えるほど薄くなっている。


『駄目だよ。ソフィア。もう身体が動かないんだ』


「そんな……」

 私の手も透き通るから連れて行くこともできない。


「だったら……」

 白いもやに目を移す。本体が近くにいるなら……連れてくればいい。


「もう少し待ってて、メフィス!」

 メフィスの答えも聞かず、白いもやへと走る。躊躇いもせずに中に潜り込む。

 一瞬、体中をくすぐられたような感覚。けれどそれはすぐに収まり、私の身体はもやを突き抜ける。


     *****


 そこは私がさっきまでいた部屋と似たような空間だった。

 薄暗く、高い半球型の天井から星屑のような淡い光が落ちてきている。


「……メフィス!? いないの!?」


「にー!」


「うぁっ!? なに!?」

 突然桃色の塊が顔を覆ってきた。慌てて引き離すと小さな丸い小動物が暴れている。鼻が短く、大きな耳の上に半透明の翼が浮いていて、しきりに羽ばたかせている。


「か、可愛い……じゃない、なに? どうしたの!?」


「にー! にー!」

 小動物は私の手でひとしきり暴れて離れていった。空中で私に威嚇をしている。


「私、あなたの敵じゃないよ。ただメフィスを探しに……」

 空間を見わたしてみると立っている人影は見えない。

 変わりに――


「……魔族? それに人間? なんで?」

 床に目を落とすと、すぐにそれを見つけた。


 それだけ目立つ二人・・だった。


 部屋の中央に、髪の長い女の人と、赤い翼を生やした男の人が倒れていた。

 女の人は白い麻の服を着ていて、とても綺麗な顔立ちをしている。赤と黑が混じったような長い髪が印象的な女の人だ。

 男の人は筋肉質で、上半身がほとんど見える服を着ている。毛深くて髪も体毛も赤毛。背中から立派な翼を生やしていて、広げたらかなりの大きさになりそう。

 どちらも目を閉じて、浅く呼吸をしている。眠っているみたいだ。


「うぅん、……ユート――」

 女の人が何か寝言を言った。形のよい眉が寄り、なにか悪夢をみているように見える。


「夢魔法……? メフィスの本体がやったの?」

 だとしたら、両方とも私が求めている存在じゃない。

 なんでこんなところで人間と魔族が眠っているのか気になるけれど、今はそれどころじゃない。

 この二人がメフィスの本体に夢魔法を受けたのだとしたら、まだ本体は近くにいるのかも――


 壁を見わたすと横穴が至るところに空いている。まるで迷路の中間地点のように、沢山の出入り口が広がっている。


「どこに……行けばいいのよ」

 心が潰される。こうしている間にも、人間世界のメフィスは消えていっている。

 目に見える早さで、存在が薄れていっている。


 頭を回転させる。

 今、私にできること、それを考える。


「今、私にできること……」

 そんなの、たった一つじゃない……。



⑫【ソフィア】

 白いもやをくぐると、私が魔界に行く前と同じ光景が映し出された。

 黒髪の女の子に戻ったナルヴィ、そしてロキ王子が床に倒れ、ナルヴィから少し離れた場所に、身体が薄れたメフィスが横たわっていた。


『……その様子だと、会えなかったみたいだね。僕の本体に』

 近づくと、メフィスがか細い声を出す。


「メフィス……私、わたし、ごめん、ごめんね」

 見つけられなかった。本体は近くにはいなかった。

 もう、打つ手はない。

 もう、メフィスは……。


『泣かないでよ。僕は覚悟を決めて、魔法を使ったんだ。キミが無事で本当に良かった』


「いやだ。メフィスがいなくなるの、嫌だ」

 せっかく、出会えたのに。

 せっかく、仲良くなれたのに。


『……ソフィア、僕のことを友達と言ってくれてありがとう。仲間だと言ってくれてありがとう』


「やめて! お礼なんか言わないで! 私、……わたし」

 心が締め付けられる。涙が溢れてくる。


『キミがナルヴィに言った言葉、キミの言う通りだと想う』


「……なにがよ」


『人間と魔族は仲良くなれる。魔族も人間も、ただいろんな考えを持って生きているだけ。僕のように、大事な相手とすれ違いを続けているだけ。それが、理解できた』


「うん……人間と、魔族は仲良くなれるよ。友達になれるよ」

 私とメフィスは、友達だよ。


 だから……だから……。


「消えないで。メフィス。私を置いていかないで」


『ごめん……ソフィア。ごめんね』

 謝らないでよ。謝らなきゃならないのは、私の方だよ。


『……この気持ち、本体に伝えたかったな。伝われば、きっと、僕の悪い考えも消えてなくなると思う。もっと違うことを考えられたのに』


「メフィス……ごめん、私が、私が本体を、見つけていれば……」


『……ソフィア、最後に約束して』

 最後とか言わないでよ。最後にしたくないよ。


『時間をかけてもいい、僕の本体を見つけてくれないか。僕がキミと友達になれたことを伝えてもらいたい。そうすれば……きっと――』


「メフィス……メフィス!?」

 消える。私の友達が、消えていく。


『ツガイには会えなかったけど、僕は幸せだ。友達と――出会えたから――』


「待って、お願い! 消えないで。消えないでよ!!」


『さようなら……ソフィ――』



*****



 どれだけ、時間が経ったのだろう。

 長い時間だったのかもしれない。ほんの少しだったのかもしれない。


 私はずっと、友達が消えた床を見つめていた。

 たくさんの涙が溢れてくる。これだけの涙、私のどこに、ためこんでいたのだろう。

 

「分かったよ、メフィス」

 ずっと出てこなかった言葉がやっと、私から生まれてきた。


「……私は、あなたの約束を守る。……アナタの本体を、絶対に見つけてみせる」

 そして、もう一度、やり直すんだ。


 また、もう一回、やり直す。

 私は、メフィスを見つけて、もう一度友達になってみせる。


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