悠人7 『帝都の厄災』

【帝国軍 居住区】


 ブルシャン居住区では、一転して人間への一方的な蹂躙じゅうりんが始まった。


 突如ヴィクトル隊の前に現れたグリフォンは大きく羽ばたき上空へ浮かび上がっている。

 翼の動きが止まった瞬間に眩いばかりの閃光を放った。

 目が眩んだ兵達を次々に踏みつぶし、大きなクチバシでついばみ、引き裂いていく。


 もはやヴィクトル隊に隊列という概念は消え去っていた。全員が散り散りとなり恐怖に震え、逃げ惑う。

 勇敢な兵がアルテミスを打ち込むがその巨体には効果が薄く、グリフォンはまるで意に介さない。


 兵の幾人かが商業区に戻ろうと、来た道を走る。だが石で出来た迫持アーチを潜ると同時に首を飛ばし絶命した。


 返り血を被った鎌のような刃物が宙を浮いている。振り回して血を飛ばすと再びなにも見えなくなった。


 ある者は小さな路地を見つけ、入って逃れようとしたが途中で巨大な蜘蛛の巣に掛かり、糸を巻き付けられ絶命した。

 逃げることは出来ない。だが広場に留まっていてもグリフォンになぶられるだけ。兵士達は混乱した。


「落ち着け! ここが正念場だ! もうすぐ我らの計は成す! それまで耐えよ!」


 ヴィクトルは一身、グリフォンと対峙し続けていた。こやつ、人間との戦いを良く理解している。と頭の中では賞賛すらしていた。


 ヴィクトル隊を囲っていた翼の付いた男達は飛び去っていた。

 おそらく戦えない魔族達の救助をしているのだろう。


 兵を散らばらせると厄介であるから一カ所に集め、圧倒的な存在を見せ付け恐怖を与えた後に一気に蹂躙する。そしてその隙に他の魔族達を助けてまわる。


 このグリフォンが考えた策はこうであろう。ヴィクトルはそう予測し、事実グリフォンが街の有志達と打ち合わせた計画はその通りだった。


「グリフォンの動きを予測せよ! 避けつつアルテミスで撃て!」

 他の魔族の巻き添えを配慮したのか、広場ではグリフォンのみが狂ったように暴れ回っていた。

 ここが狙い所だ。グリフォンさえ仕留めることが出来れば、道は開ける。

 そう考えたヴィクトルは目の前の巨獣を倒す方法を必死に考える。


「攻撃は全て左翼のみを狙え! 体を一部位づつ破壊していくぞ」

 グリフォンは一定の間隔で閃光を放ち目を眩ませてくる。

 ヴィクトルはグリフォンの猛攻を避けながら、その瞬間を狙っていた。


 閃光を放つ為、グリフォンの動きが止まる。その隙を突いてヴィクトルはグリフォンの足にしがみついた。

 それに気が付いたグリフォンは浮かび上がり、引きはがそうと足を振る。


 だがヴィクトルはその鍛え上げた筋肉を最大限に使い背中まで一気に登りきった。


 グリフォンが空へと舞い上がり、旋回しながら体を左右に激しく揺らす。

 そんな中、ヴィクトルは腕の筋肉だけを使って飛び上がり、羽ばたく片翼にその身を移した。


 片翼の動きを封じられたことにより平衡が失われ、グリフォンはヴィクトルを乗せたまま地上に落下した。

 衝撃が起こるかと思われたが、地面に衝突する寸前にグリフォンは体勢を立て直し、獣の四つ足を地面にあて、しなやかに着地する。


 そして翼の根元にしがみつくヴィクトル目掛け巨大なクチバシが襲いかかる。

片手で翼を掴み、片手のみでハンマーを操り匠に防御するヴィクトルのさまは、正に猛将と呼ぶに相応しいものだった。


 それを見た兵達は少しずつ士気を取り戻していく。


「撃て! 大丈夫だ! わしには刺さらん!」

 ヴィクトルの怒声に呼応して、アルテミスの矢が一挙にグリフォンへと放たれる。

 それはヴィクトルの掴んでいる左翼の付け根に集中していた。


 言葉通りミスリルで作られたヴィクトルの全身甲冑プレートメイルのみが矢を弾き、軽快な音を立ててグリフォンの肉へと矢が刺さっていく。


 グリフォンが叫び声を上げ、兵達に向かい突進する。


 グリフォンの意識が己から離れた。そう直感したヴィクトルは再び全身の力を使い背中に飛び移り、ハンマーを両手で強く握りしめた。


 グリフォンもそれに気が付いたが、既に遅い。ヴィクトルがその巨大なハンマーを背に掲げ、


 翼の根元目掛け振り抜いた。刺さっていた矢をねじり込み、ハンマーの衝撃で骨が砕け散る。


 グリフォンが絶叫を上げ地面を転げる。既にヴィクトルはグリフォンから飛び降り、仲間の下に辿り着いていた。


 グリフォンは再びブルシャンを揺るがす咆哮を上げ、閃光を発する。

 兵士達が咄嗟に目を庇い、その後広げるとグリフォンの巨体は消え失せていた。


 代わりに片翼の折れた男が立っていた。


「やっぱ図体デカいと駄目か。慣れねぇことはするもんじゃねぇな」

 人間の姿に戻ったグリフォンが首を回す。


「だがまあ、だいぶん減ったな……。おう、そこの変な冑被ってるやつ、お前なら分かるだろ」

 ヴィクトルに向かい、鋭い鉤爪を指のように差し出してきた。


「……なんだ?」


「アレクシスって馬鹿の名前に覚えはねぇか?」


        ****


【帝国軍 本陣前】    


 『帝都の厄災』。総司令官アレクシスの言葉に周りにいた側近達は耳を疑った。

 ターンブル帝国に籍を置く物ならば誰でも知っている存在。だが、実物を見た者は今や残ってない。

 何故なら五百年以上前の伝承に現れる存在だからだ。


「懐かしい響きね。それで? 私のお茶目な過去を知っているあなたはどちらさまかしら?」


「お茶目?お前はあの惨劇を茶目っ気だったと称するのか」



 今から五百年前に、帝室に一人の女が迎え入れられた。その女は誰もが目を見張るほど見目麗みめうるわしく、その仕草は女であってもとりこにするほどになまめかしく、その体は誰もがうらやむ程に豊麗ほうれいであったと記されている。

 その女はまたたく間に当時の皇帝を懐柔かいじゅうし、堕落させた。傀儡くぐつを得た女は事実上の頂点に立ち、帝国を混乱の渦に巻き込んだ。



「あら、可愛い悪戯よ。人間達のやってきたことに比べたらね」


「その悪戯でどれだけの罪なき民が死んだことか!どれだけの幸せを奪ってきたことか!」



 女は皇帝の後ろ盾の下、刃向かう者を次々と処刑し、見せしめに首を並べた。残った体は人々が行き交っていた帝都有数の美しい広場に積み上げられ放置された。その結果ネズミ等の害獣が繁殖し、疫病が大流行した。

 その頃には女も自らを『帝都の厄災エルデナ』と自称し、眷属たちを呼び寄せた後、城の内でぜいの限りを尽くしていたという。時には帝都中から赤子を含む処女の女をかき集め、その血で満たされた広大な浴槽で水浴びをしていたと伝承に記載されている。

 税がみるみるうちに跳ね上がり、民は食べるものにも困窮こんきゅうし、帝都は犯罪で溢れかえった。国の存続が危ぶまれるに至るまで、恐ろしいことに女が皇室に迎え入れられて三年と経ってなかった。



「なに言ってるの。今、貴方たちが同じようなことしてるじゃない」


「因果応報だな。だが私はお前ほどの虐殺者になれる自信も素質もない」


「失礼ねぇ。私だって子供が生まれてからは大人しくしてるのよ」


 余りの事態に周辺領国が結集し、力と英知を合わせ幾多の犠牲の後に『帝都の厄災』を討ち滅ぼした。

 その時代にたばね役を務めたのがアレクシスの先祖だと伝えられている。


 だが、なんだこの違和感は。とイヴォン、オリヴィアと二人の側近はそれぞれに思う。

 まるでその当時を、『帝都の厄災』本人を知っているような口ぶりに疑問を覚えたのだ。

 それがあり得るはずがないのは分かっていた。

 アレクシスはまだ三十代と若い。いや、それでなくても、人間であるのだから五百年以上前に存在したはずがないのだ。


 しかしながら伝承には『帝都の厄災』がサキュバス、魔族だったなどと伝わってはない。それなのにアレクシスは女を一目見ただけでそれであると判断した。


『うちの大将、なにもンだろうねぇ』

 二人の会話を眺めているだけのイヴォンだったが、気を引き締め直した。場の空気が一挙に変化したからだ。


「ま、どうでもいいけどね。私を知ってるんなら話は早いわ。あなたが誰でなんの為にわざわざここまで来たのか知らないけれど……」

 エルデナの顔からあざけりが消える。


「兵を引き上げなさい。死にたくなければね」

 邪悪な圧が兵達を刺激する。総司令官の前でなければ逃げ出す者もいたかもしれない。


「断る! 虐げられてきた帝都の民の怒りを受けよ。構えろ!」

 アレクシスが号令を上げ、兵達が一気に武器を握りしめる。

 帝都の民を十万以上虐殺した化け物。

 帝都奪回の際、一万以上の兵を一人で殺害したとされる『帝都の災厄』。

 それを三千で相手するなど勇敢ではなく無謀だ。誰もがそう思っていたが、それを口に出せる状況ではなかった。


「そ、じゃあいいわ。愉しませてあげる」

 エルデナが立ち上がり両手を輝かせる。


 魔族の街ブルシャンから再び獣の咆哮が上がった。

 ああ、そうだったな。と気を緩める状況ではないのにも関わらず、オリヴィアは伝承がまとめられた絵本を思い出していた。

 アレクシスから貰った、ボロボロになるまで読んでいた絵本だ。

 その絵本では、『帝都の厄災』と眷属を討ち滅ぼしたのは領国の勇者達と『良きグリフォン』だと締めくくられていた。

『ならば差し詰め、アレはグリフォンの咆哮ほうこうか。それが我らにとって良きモノかどうかは分からないがな』

 オリヴィアは長剣を握りしめる。良き君主を護る為に。


「攻めよ!」

 アレクシスの号令により、ときの声が上がる。


 両手を輝かせたエルデナが、大きく頭上に腕を振りかざした。

 大地の至る所から火柱が吹き上がった。


        ****


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