魔族と人間9 『ことば』

【人間】


 突然自らの胸を打ち抜いた魔族。その死骸を見つめ男は呆然とする。

 あれだけ恨み節を言い尽くして、男の死を見ずに自殺する。確実になぶり殺されるだろうと踏んでいた男にとって、予想外の出来事でしかなかった。

 まあいい、きっと錯乱してたんだ。そう考え気を取り直す。


――ずるり、ずるり――

 

 男が通ってきた道から、何かを引き摺る音が聞こえてきた。


――ずるり、ずるり――


 蛞蝓なめくじが這う様な音だった。それと同時に蛇の舌なめずりに似た音も続く。それも、連続で。

 即座に男はその正体を把握できた。水路を護るモンスターが動き出したのだ。


 だが、先ほど男が通り過ぎた際は止まっていた。何事も無く小部屋までたどり着けた。

 一体何故急に……。男は混乱する。


 男には理解しようが無かった。死骸となった魔族は、足音が小部屋に到着する直前を狙い、ロキから回収した『魔操の魔石』を台座に戻していたのだ。


 理解は出来ないが状況は把握できた。

 男は壁を閉じるために気力を振り絞り、両腕の力だけで這う。目的は壁に設置されたレバーだ。小部屋と本流水路を繋ぐ壁を閉じれば、魔物は入って来られない。

 男は醜く、それでも懸命に這い、レバーを下げる。

 開いていた小部屋の石壁が下がり、触手を巻き込んで沈み込んだ。真四角の部屋には男と魔族の死体……そしてぴちぴちと跳ねる切り取られた触手のみ。


 馬鹿め、詰めが甘い。危なかったが何とか魔物の侵入を防げた。後は反対側の石壁を開き、外に出るだけだ。男はほくそ笑む。

 今はとにかく逃れる事だ。そのことばかりを考えながら、男は痛む足を堪えつつ、もう一つのレバーを上げた。


 使用していない枯れた水路を通り、外に出られる筈だった。


 だが上げた途端に大量の水が小部屋の中に浸入してきた。

 慌ててレバーを下げると、開きかけていた壁はゆっくりと下がり、壁が落ちて水の浸入は終わった。

 男のくるぶし辺りまで水に浸かる。


 ――そんな馬鹿な。枯れた水路だぞ――

 男は混乱した。そして水に浮かぶ魔族の死骸を見て、思い至った。


 ――こいつ、雲降ろしクラウドフォールを使いやがった――

 枯れた水路入り口を塞ぐ様に、雲を降ろす。莫大な氷の結晶が溶け、出口へと繋がる水路の中は水で満たされていた。


 外へ繋がる道を開こうとすると、大量の水が流れ込み溺死する。


 反対の扉を開くと魔物が侵入する。


 そしてこのままでいれば窒息死。


『貴方は沢山苦しまないといけないんです。私とフィフィに泣いて謝らないといけないんです。それが貴方の最後です。自分で自分の最後すら決められません」

 魔族の声が聞こえてくる。呪いのように何度も何度も男の頭を駆け巡る。


――ずるり ずるり――

 壁越しに魔物の這いずる音が響き渡る。男のすぐ近くまで近づいている。


『……それでは。頑張って下さいね。館長』

 頭の中で、ルールーが笑っていた。


        ****



【彼】


 彼は、小部屋の中に立っていた。

 一人の遺体を見つめ、その生涯を見つめていた。

 輝くメイスを手に持ち、全ての一部始終を眺め終えていた。


 彼の持つメイスの先が魔族の体に近づく。光が、魔族を包み込む。

 彼と、魔族の遺体は光に包まれ小部屋から消え去った。


   *****


「……こんばんは。ルーちゃん」

 不意な呼びかけに、魔族はその両瞼を開く。

 そこは虹色の光に満たされた空間だった。

 右も左も、上も下も分からない。

 淡い虹色の光に照らされて、沢山の扉が彼を囲う様に回転を続けている。


 魔族の前に、彼が立っていた。


「あなたは……なんでここに?」


「ロキに言われてね。彼は見抜いていたよ。ルールー。君の状況、考えていたこと、やってしまったことをね」


「……なんでロキが?」


「さあ、彼は僕らとは色んな意味で違う考え方を持ってるからね。まるで 異世界から来た住人かと思っちゃう時があるよ」

 彼は困ったように首をふる。


「あなたたちには関係無い。……これは魔族の……私の問題だから」


「そうだね。これはキミの問題だ。人はそれぞれ、やるべきこと、優先しなければいけないことを抱えて生きている。僕だってそうさ」

 彼は身に付けている豪華なローブから、こぶし大の宝石を一つ取り出す。


「それは……?」


宝玉オーブ。世界と世界を繋ぐ架け橋さ」


「良く分からないけれど、それがあなたのやるべきことに繋がってるの?」


「そうだよ。合議会館の中、隠された場所に置かれていてさ……思っていたよりも探すのに時間が掛かっちゃった。おかげでここに来るのが遅くなっちゃったけれど、キミとしては好都合だったんじゃないかな?」


「それを盗ってきたんだね。私はもう魔族とは関係無いから、別にいいけど」


「人聞きが悪いなぁ。魔族の悪意に晒されていたこの子を、人の手に戻したのさ。有るべき所へとね。……まあ、宝玉オーブの話はこれくらいにしよう。それよりも」

 彼は魔族をじっと見つめる。


「驚いたね。君は、オスだったんだ。てっきりメスかと思ってたよ」

「……見ていたんだね。あなた達が私をメスだと勘違いしている事は気がついていたけれど……関係の無い事だからわざわざ訂正はしなかった」


「僕は後で観たんだよ。ま~大体分かったよ。君の置かれた状況は」


「……それで、なんで私を呼んだのかな?」


「少しだけ話をしたかっただけさ。珍しいんだよ。僕がこの力を誰かに使うの」


「この空間はなに?」


「難しいこと言っちゃうと上位事象と下位事象の因果確率を積算して、配置換えする場所なんだけど……」


「言ってる意味、分からない」


「だよね。まぁ~、詳しい説明は省くよ。誰にも邪魔されない僕だけの空間、君だけの空間。簡単に言うと『選択肢の世界』さ。出たければ、そこの赤い扉から抜け出せるよ」


「そう、じゃあもう行ってもいいかな?」


「構わないよ。君がそうしたいなら。……けど、できるならば、 今から僕が言う話を聞いてからにしてもらいたい。仲間としてのお願いだ」


「分かってるよ。私は正しくないことをした。お説教……するつもりなら――」


「違うよ。 王子様公認チャラ導師…… そして自称『愛の伝道師』としての『ことば』を、せめて君に送りたい」

 何も言わない魔族を見て、彼は静かに語り始める。


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