ノエル16 『ハーピーとイーリス』


 一週間後、再び喫茶店に集まった私たちはそれぞれの聞き込み内容をまとめて、発表しあう。


「『汚れても気にしない』」

「論外!」

「『染色する』!」

「ごまかせばいいってものじゃない!」

「『汚れてるところを切る』」

「勿体ない!」

「『汚れは舐め取るもの』!」

「嫌に決まってるでしょ!」

「『服がない』!」

「なんで聞いた!?」


 だ、ダメだ。なんなの魔族。そもそもお洗濯してる魔族が少ないってどういうことよ。そりゃあ、外骨格の魔族とかになれば代謝が違うだろうけどさ。はなっから自家製の毛皮とか着てる魔族も多いから分かるけどさ。

 それでも衣食住の価値観は人間とほぼ同じなんだから、もうちょっとオシャレしようよ。お洋服ってか身なりに気を遣おうよ。


「ぜぇんぜん、参考にならねぇ」

「そうだねぇ~」

 ウェンディもハピネルも集まった回答を見て頭を抱えている。


「と、とにかく、他の魔族の意見は参考にならないことは分かった。じゃあどうするかだけど……」

「んっとぉ……あきらめるぅ?」

 ハピネルの提案に、ウェンディの白い翼がぴくりと動く。

「冗談、ここまできたら、やるっきゃないでしょ! 私らで考えて、工夫してみよ! エアも呼んできてさ!」

 ウェンディの闘争心に火が付いたみたいだ。元々イーリス種は戦いが得意だったと聞いたことがあるから、お洗濯きょうてきを前にして血がたぎったんだろう。


「うん……確かに。四人とも違う魔法だから、色々試せるかもね。自分の魔法って慣れちゃってるから、なかなか新しいことができないけれど……他の三人が何か考えもしなかった使い方を出してくれるかもしれないし」

「おぉ~、言われてみたら、ノエルの言う通りかも」

 ハピネルが腕の翼をパタパタさせ、ウェンディが大きくうなずく。そして、拳を振り上げて言った。


「よーっし、……じゃあ皆で、特訓だぁ!」


*****


「なるほどー、そういう事情かー。ノエルが思い詰めた顔して来たから、何かとおもったらそんなことー?」

 青空の下で、緑色の翼がくるりと回る。

 住宅区にある公園の片隅で、ウェンディの説明を受けて苦笑いを浮かべるエアの翼だ。

 そんなことってなによ。エアは風魔法だからまだ楽だろうけど、私にとっては死活問題なんだよ。

 厳しい修行を誓い合った私たちは早速とばかりにエアを呼び、公園の目立たないところに集まって二本の棒を突き刺していた。

 棒と棒を繋ぐように洗濯紐が結ばれている。その隣には水を張った樽と石けん水が詰まった大量の瓶が並べられていた。


「じゃあん! クラーケン食堂のおっちゃんから借りてきたよ!」

 ウェンディが高々とエプロンを差し出す。

 ……うぐっ!? そ、それは……


「うわぁ……きたないねぇ」

 普段は笑顔を絶やさないハピネルの顔が引きつる。


「それって油なのー? なんか黒いよ」

 心なしか空を飛ぶエアがウェンディから少しずつ離れていっている。


「ふっふっふ、聞いて驚くなかれ。これはクラーケン種おっちゃんの汗的な粘液と墨と揚げ物の油がこびりついた、三百八十年もののエプロンだ!!」

「さ、三百八十年!?」

「創業以来使ってるそうよ。もうね、持っただけで手がぎっとぎと。私たちの実力を試すには丁度良い相手じゃない?」

 う、うん、そんなことより、ウェンディも良く平気な顔して持てるよ……。私は無理。汚すぎて絶対無理。


「これをこうしてこうしてぇ!」

 ウェンディが手際よく洗濯紐にエプロンを括り付けていく。ざばざばと石けん水がかけられる……心なしか洗濯紐がどす黒く染まっていってる気がする。


「ようしっ! みんなやるよ!」

 バサバサと風に揺られる黒いエプロン。もうね、見ただけで邪悪なオーラに満ちあふれている。

 こびり付いた油汚れが私を威圧してくる。


「……こ、こんなの、勝てるはずがない」

「ノエル、諦めちゃそこで終わりだよ」

「ウェンディちゃんの言うとおりだよ。きっと何か、倒す方法があるからぁ」

「……ねー、みんな、私に突っ込んでもらいたいのー?」

 一羽乗り切れてない途中参加のエアが醒めた目で私たちを見つめる。


「私からいくよ……浮かべ、水魔法ただのみず!」

 ウェンディの周りに水玉が広がる。渦を巻くようにウェンディの周りを回転しはじめ、その数をみるみる増やしていく。

 ウェンディの白い翼が大きく広がった。


 そして――


「消えてなくなれぇぇえ!!」

 怒濤の水撃がエプロンに襲いかかる。水玉一つ一つが弾丸のような早さでエプロンに叩きつけられる。

 ってか流石に消しちゃダメでしょ。三百年大事に使われていたやつなんだし。なくなったほうが世のため魔族のためかもしれないけどさ。


「……やったか!?」

 ウェンディ渾身の水魔法を受け、霧に包まれるエプロン。いくら頑固な汚れでも、あれだけの水魔法を受けたらひとたまりも――


「そ、そんな……」

 それを見た私は、目を疑ってしまった。


「くっ……なんてこと!?」

 ウェンディも膝を立て、絶望の眼差しを向けている。


 汚物エプロンは何事もなかったかのように洗濯紐に揺られていた。ほんの僅かな白みもみせていない。

 あの攻撃で、汚れが落ちないノーダメージってなによ。まるで使い古したシャツの襟汚れのように、繊維の奥の奥まで汚れがしみこんでいるってこと?


「諦めるのはまだ早いよぉ」

「やめなハピネル! アンタの敵う相手じゃない!」

 ウェンディの制止を振り切り、ハピネルの両翼が白く輝く。


「生まれてぇっ! 食肉植物!!」

 エプロンの背後に巨大なウツボカズラっぽい植物が生まれる。毒の塊エプロンに狙いを定めたのか、大きく口が開く。

 そして――


「まるっと、溶けちゃえぇぇ!!」

 ウツボカズラの口からドロドロと謎の液体が流れ落ちる。どろりとした液体に黒の物体が包まれていく。


「あ、アンタまさか……エプロンごと汚れを溶かしきるつもり!?」

 衝撃を受けるウェンディ。エプロンがなくなってしまえば汚れだってなくなる。まさに逆転の発想。その気づきはなかった。けれど、多分違う。


「ううん、……違う。あれは、違うわ……なんてこと、なんて、末恐ろしい子なの」

「ノエル、なにか分かったの?」

 ウェンディに向け、ゆっくりうなずく。


 あたりに立ちこめるオリーブっぽい爽やかな香り。

 昔はよく見ていた、トロトロの液体……。

 あれは――あれはそう、


「クレンジングオイル――」

「クレ――なに?」

 油を落とすには油を。頑固なシミ汚れにはクレンジングオイルが効果的。転生者じゃなきゃ知り得ないようなその気づきを、あの子は既にしていたってこと?


 なんて恐ろしい子……。


 確かにあれだけの植物性油をかければどんな汚れだって分解されてキレイに……ってか、え、なに? クレンジングオイル出せんの?

 だからハピネルあんなお肌ツヤツヤなの?

 それちょっと欲しいんだけど。エプロン相手にぶっかけてる場合じゃないよ。


「勿体ない! 勿体ないけど、ウェンディ、水で流して!」

「任せて!」

 怒濤の水撃が再びエプロンに襲いかかる。水玉一つ一つが弾丸のような早さでエプロンに叩きつけられる。


 けれど――


「そ、そんな……」

 中途半端に油が溶けて、余計ベッタベタになったエプロンを見て愕然とするハピネル。

 う、うん。一応借り物なんだけど、もう返すのに忍びない姿になってる。

 お母さんに新しいの作ってもらったほうがいいかも……。


「くっ、ダメなの!? 私たちじゃ、まだ力が足りないってこと……!?」

「諦めるのは早いよウェンディ。まだ手はある……」

「ノエル、何か思いついたの!?」

 水魔法も花魔法もびくともしない。けれど、まだ手はある。

 そう。私たちには切り札がある。

 そう、それは――


「出番だよ! エア! にっくき油汚れアイツに風魔法をぶちかまして――」

 やって……

 って、え? エア? どこ?


 振り返ると、そよ風に揺られる木々だけが私たちを見守っている。

 エアの姿はどこにもない。


 ひらりひらりと、残されていたメモ用紙が風に揺られながら落ちてきた。

 エアの書いた、似顔絵付きの文字が見える。


『店番あるから帰るねー』

「あの子……に、逃げたなぁアアアア!!」

 ぐしゃりとメモ用紙を握り締める私。そしてお洗濯への熱が急速に冷めていくのを感じとる。


「……なんか、なにしてたんだろう私たち」

 それはウェンディも同じだ。憑きものが落ちたように元気を無くしている。


「そういえば、お店閉めたままだったね……」

 ハピネルも一気に意気消沈している。ドロドロのエプロンの勝ち誇る姿が私たちの戦意を喪失させていく。


「帰ろっか……」

 私の提案に、二羽の魔族がゆっくりとうなずいた。


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