つばさ7 『ターンブル帝国』
【帝国軍 エスタール平野】
星達の舞踏会が終わりを告げ、空が少しずつ白む。
アレクシスもそれを手助けするように白い吐息を暗闇に溶かし、空に輝く貴婦人達の退場を眺めていた。
夏は暑く、冬は更に暑いと
「総司令、軍団長以下準備整いました」
甲冑の擦れる音をひびかせアレクシスの下に騎士が現れた。
頭の頂点からつま先まで純白のミスリル板金に身を包んでいるが、線の細さと声の柔らかさから女性ということはすぐに分かる。
パレードアーマーという名の細かな装飾が施された
これはレギオン隊と呼ばれる六千人からなる部隊の長のみが付けることが許され、アレクシスの下に馳せた騎士オリヴィアもまたその実力を認められた一人であった。
今日の作戦に向け、ターンブル帝国皇帝陛下より総司令官であるアレクシスの下にオリヴィア含め六名の軍団長が与えられてた。
そのそれぞれが六千名の兵を率い、更にアレクシスに親衛隊が千与えられ、総勢三万七千以上の部隊がエスタール平野へと集結したことになる。
アレクシスは
禁忌の地ラーフィア山脈。神話の時代に、非道の限りを尽くす魔族から人間を
広大な砦といって良いそれを登る者は、何人たりとも竜に焼き殺される。
だがその竜とて万能ではない。事前の念密な調査により、山脈を護る竜は一匹のみということはわかっていた。
アレクシスの受けた命はこのラーフィア山脈を越え、魔族の拠点へと進軍することにあった。
「ガイウス以下レギオン部隊は予定通りドラゴンを足止めせよ。深追いはするな。じきに本国より応援も来る」
オリヴィアとはまた意匠の異なった、金色の
ガイウスは自分の兵に檄を飛ばし山脈へと進軍を開始した。
「各レギオン部隊はその場で待機。ガイウスよりの合図を待て」
残る三万一千の兵は誰一人微動だにせず、格子模様の陣形を維持している。帝国の厳しい訓練の
悪路を行く山越えの為、騎兵は抑えられているが重装、軽装歩兵を中心として構成されたターンブル帝国軍。その強さを知る者が見れば恐怖に震え上がることだろう。
しばしの時を経て、山脈から角笛が鳴り響いた。ガイウスが竜との交戦を始めたようだ。
アレクシスはもう一度、軍を見渡す。そしてその優男風の顔立ちに似合わない、あらんばかりの声を張り上げた。
「これは
****
険しい山脈地帯を抜け、草花が生い茂る平野に辿り着いたガイウスは即座に部隊を三つに分けた。先攻めに三千、後攻めに二千。物資と衛生兵、それに自らとその親衛隊から成る本隊一千は中央に陣取る。
眼前には森が点在し、木々が乱立している。視界は思いの外悪い。だが、ドラゴンが来るならば空からであろうと踏んでいた。
総司令官よりドラゴン討伐の先駆けを任されたガイウスは、息巻いて空を見上げる。ガイウス軍のみで見事ドラゴン討伐に成功すれば、軍団長筆頭を狙える名誉となる筈だ。
人類史上誰も挑まなかった『ドラゴンを軍で圧倒する』という快挙。そして『首を取る』という名誉。それは何よりも勝る甘美な馳走であり、ガイウスは誰にも譲るつもりもなかった。
「蠍刻上空! ドラゴンです!」
千人隊長の一人が叫ぶ。来たか。とほくそ笑み、計画を実行に移す。
「前衛、ドラゴンを絶対にここから動かすな! 後衛部隊は回り込んで補佐! 『杭』は絶対に気取られるなよ! 支援部隊は我と供に本陣へと向かう! 各自検討を祈る!」
ドラゴンが無事平野に現れたことに
引き絞った弓のごとく妙に曲がった池、そこに
****
【ノエル ドラゴン山脈】
重くお腹に響く音が森を揺らし、その後師匠の雄叫びが響き渡る。人間と、ドラゴンの姿になった師匠との戦いが始まってしまった。
『ホシ』と『カゼ』は近くの積み木平原で遊んでいたのですぐに見つかった。二匹とも少しは人間の気配を感じるらしく、大人しく館の中に入ってくれた。
後は『ハナ』と『ツキ』だ。私は積み木平原の先にある森の中に入り、呼びかける。
師匠は更にずっと先にある急傾斜の森近くで戦ってるみたいだ。急傾斜の森をずっと登っていけば、断罪の崖の頭に辿り着くと言っていた。
子供達の件もあるし、あの辺りが人間世界側から山脈に入りやすい部分なのかも。
急傾斜の森辺りで戦ってるなら、こちらの方まで被害が広がる可能性は低いかもしれない。
ただ、師匠の言っていた『多い』って言葉が気になる。
どんな理由でドラゴン山脈に登ったのか分からないけれど、集団で来られたら何人かはこちらの方まで辿り着いてしまうかもしれない。
「のえう! いたぁ!」
木立の一つが揺れ、ツキが飛び出して来た。すぐに私の腕に絡みついて来る。
「ツキ! 良かった! ハナは?」
「三日月池で遊んでて人間がいっぱい来たの! ツキはすぐに隠ぇたけど、ハナはビックリしちゃって……人間に捕まって」
遅かった。この子達はドラゴンといってもまだ幼体。戦える力なんてない。
「ツキはお館に行ってて。連れ戻して来るから」
「やだ、ツキも行く」
「駄目! 危ないよ!」
「ちがうの。のえぅどうやってハナを探すの?」
「どうやってって……」
手当たり次第?
「ドラゴンは他のドラゴンのいうところ、すこしだけわかうの。ハナのいうところもなんとなくわかうの」
もっと早く言って……。さっきホシかカゼに聞いてればもう少し早くここに来られたのに。
「分かった、案内して。でももし人間に見つかったらすぐに逃げてね」
「うん!」
三日月池は私がさっきまでいた森から更に進んだ先にある。急傾斜の森方面へと進むので、師匠と人間の戦いに更に近づいたことになる。
激しい戦いの音がどんどん大きくなる。
空に師匠のドラゴンブレスが打ち上げられ、それで火が付いたのか山火事が起こり、所々から黒い煙があがってる。
「お父さんがこんなに長く戦ってぅの初めてなの」
「人間の数が多いって言ってた。師匠は大丈夫だと思うけど、途中人間とバッタリ会うかもしれないから気をつけてね」
そうこうしているうちに三日月池の近くまで辿り着いた。
森の中から様子を伺うと、池の畔に陣営を組んでいる人間の集団が見える。
多い。多分今いるだけでも五十人以上。皆同じ革製の装備を着て慌ただしく動いている。怪我人が配送されているらしく、担架が次々に担ぎこまれ何人かの男が色々と指示を出していた。
テントが張られた陣営の脇には物資が大量に積まれていて、指示を受けた人間が物を取り出している。
「兵隊……? なんで? 攻めて来たの?」
事情が分からない私には決して答えなんか出ない。それでも口から出てしまう。
「ハナ、あそこのタキギの辺いにいうの。紐で縛あえてうの」
上空から偵察していたツキが帰ってきた。火の上がってる方を見ると陣営の中央辺りで人がかなり行き来している。
どうしよう。ゴブリンならこんがりしても罪悪感を覚えないけど、流石に人間は嫌だ。燃えてる姿を見たくない。
それに仮に正面からの戦いになったら勝てる気がしない。炎魔法で不意打ちを掛ければもしかしたら……とも思うけど、向こうは弓矢とかも持ってるだろうし危ない橋は渡れない。
「もしあそこの人間がいなかったら、ツキの力だけで紐を外せそう?」
「わかんない。でもハナは軽いからツキ、一人で持てうよ」
「わかった。じゃあ上で待ってて。タキギの辺りに人間がいなくなったらすぐにハナを連れて逃げてね」
ツキを見送り、再び陣営に目を移す。……なんかさっきより人が増えてるように感じる。ここから陣営までは三日月池を挟んで反対側。人が走ってきても十分に逃げる余裕がありそう。
「人に当たらないか心配だけど……アレかな。やっぱり」
周りの木々を見渡して、少し高い位置に登れそうな木に目星を付けた。よじ登ってみると、視界が広がって陣営全体が良く見渡せる。
私は陣営の荷物が沢山置かれている場所に向かって右手をかざした。右手全体が光り輝いたところで、その光を手のひらに集中させていく。
「多分、あの荷物って食料とかだよね。お願いだからすぐに避難してね」
左手を右手に添えて、集中させた魔力をネジるイメージで一気に放出する。
オレンジの炎が一閃となって物資を貫通し、炎上させた。
『炎閃』。魔力を一点に集中させて、直線上に高火力の炎エネルギーを放射する。要するにレーザーみたいなものだ。
師匠と一緒に開発した新魔法第一号だ。集中に時間がかかるけど、『火炎弾』よりも射程が長くて高温なので遠くから鳥を撃ち落としたりするのに使ってた。
人間達は不意を突かれて呆気に取られている。けれど三回ほど同じように物資に『炎閃』を撃つと慌ててこちらの方に向かってきた。物資は良い感じに燃え上がってる。十分だろう。
木から飛び降りて人間の位置を確認する。三日月池の両側から兵士がこちらに向かってきている。残った兵士は物資の火をなんとか消し止めようと水を汲んでいる。
タキギの辺りには誰も居ない。
ツキが急降下している姿が視界に映ったところで私は振り返り森の中に逃げ込んだ。そのまま悪路を全力で走る。背後から怒声が聞こえてきた。
私の体力は人間の女の子と大して変わらない。腕力だってそうだ。捕まったら炎魔法で燃やすか『
最悪、燃やすのは覚悟しないといけないかもしれない。でも『
木立の間を抜け、枝を潜って息の続く限り全力で走る。脇腹が痛くなってきたところで私の横にツキとハナが降りてきた。
「のえる、ありがと、ありがと」
「のえぅ、もう後ぉに人間いないよ」
ツキの言葉を受けて足を止める。なんとか巻いたみたい。汗がびっしょりだ。息も上がってる。農作業で体力付けたと思ったんだけどなぁ。
「よ、よかった……ふ、ふたりとも先にお館に戻って」
「のえる、違うの、違うのー」
「お父さんのいぅ場所が分かぁなくなったの」
師匠の居るところ……? だってまだ戦って……。
「音が……しない」
師匠が戦っているはずの急傾斜の森近くは静寂に包まれていた。
いつの間にか戦いが終わっていた。
子竜たちが親の反応を感じなくなる。それは、つまり
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