つばさ6 『バイ、バイ』


        ****


 目の前に広がるのは暗闇の世界。紫のタイルを踏み締め、ただただ歩く。


 歩き続ける。


 遠くの方から鉄骨を積み上げるような嫌な音が響いてくる。

 右を見ても左を見てもノイズ走った暗闇が広がるばかり。ただ前に歩くしかない。


 ジジっと電流が走る音が反響する。

 その途端、左の暗闇に大きな消化器が落ちてきた。右を見るとそれまで無かったビル群が建っていて、その間に人の手がにょきにょきと生えている。


 そのまま暫く進むと 扉が目の前に現れた。先に進むにはこれを開けなくてはならない。けれども私はノブに手を掛けた瞬間、嫌な予感に襲われる。


 この先に進んだら自分が自分じゃなくなる。そう確信できた。

 それでも進むしかない。後ろを振り向くと私の直ぐそばまで瓦礫に埋もれていた。


 私は意を決し、扉を開ける。

 瞬間、視界全体が 砂嵐に包まれた。テレビでたまに見るアレだ



 砂嵐が収まると、私はビルの屋上にいた。


「へ!?」


「なにを惚けてんだ」


「えっ……ちょっと、何? これ」

 見慣れていた心地良い風景。着慣れていた心地良い服。そして……聞き慣れていた心地良い声。


「どうした? つばさ」

 私は学生服を着ていた。そして隣には、幼馴染みの悠人がいた。


「悠人……?」

 私は、――


    *****


「ったく、急に抱きついて来るから何事かと思っただろ」


「うん、ごめん……ごめん」

 私達は常見重工ビルの屋上から街の景色を眺めていた。夕日を反射してキラキラ光る川。その横を学生服を着た男女が歩いていて、その先も夕日色に染められたビルが並んでいる。

 遠くの方では電車がガタゴトと川の橋を渡っている。


 懐かしい。なにもかもが懐かしい。


「どうした? 次はニヤニヤして……気持ち悪い奴だな」

 悠人が私に意地の悪い笑顔を向ける。


「き、気持ち悪い!? 久しぶりに会った女の子に言うセリフ!?」


「いや、昨日も会ったしそもそも同じクラスだし」


「そうだけど! 私にとってみたら久しぶりなの!」

 十六年ぶりだよ。ずっと……ずっと会いたかったんだよ。


「あー分かった分かった。愛する彼氏さんに会いたくてしょうがなかった訳だな」


「かれ……え? えぇ!?」

 そ、そうだった。悠人に告白されて、私はそれをオーケーして……え、じゃあ今私達って、恋人同士?


「んな真面目に顔を赤くしないでくれ。……俺の方が恥ずかしくなるだろ」

 とか言いながら悠人の方も照れている。


「彼氏か……そっか、なんか不思議な感じだね」


「ああ、俺も思ってた。それが悪い訳じゃないけれど、不思議な気分だ」

 悠人が彼氏です。うん、嬉しいけど、やっぱり変な感じだ。


「多分、つばさはつばさって存在だからだろうな。今までは肉親でもなくて友達でもなくて恋人でもなくて、じゃあ『どういう関係?』って聞かれたら、『つばさと俺って関係』って答えるのが一番しっくりきてた」


「うん、分かる気がする。『つばさと悠人』。これが私達の関係だよね」


「それがこうやって『お互いの恋人』って関係に変わったからな。まだ変化に体が追いついてないんだろう」


「じゃあ戻る? 唯の幼なじみの関係に」


「じょうだん。……つかそんなん自分も嫌な癖によく言う」

 ほっぺたを引っ張られた。良く分かってらっしゃる。


「じゃあこうして考えようよ。変わったんじゃない。私達の関係に『お互いの恋人』が足されたんだって」


「足される……」

 悠人は私の言葉を飲み込んで、両目をつぶる。


「……そうだったな。俺たちの関係は変わらない。そこから色んな物が足されても、根底にある関係はずっと同じだ」


「そうだよ。『つばさと悠人』って関係はずっと変わらない。変わっちゃ駄目だよ」


「まあ俺は物心ついた頃から、つばさのことが好きだった。それはずっと変わらない」


「……私が酷い人になっても?」

 世界に一瞬だけノイズが走る。


「俺はもっと酷い人になればいいんじゃないか? それならつばさに対して文句は言えない」


「今日突然どこか別の世界に飛ばされても?」

 世界が少しずつ薄れていく。


「生まれ変わってでも、俺はお前のことを見つけて好きになるさ」

 ありがとう、悠人。こんな私を好きになってくれて。

 いつの間にか、私はつばさからノエルへと姿を変えていた。

 分かっていた。これは修行の一部だ。私の記憶から作り出された幻影に過ぎない。それでも構わない。この出来事を胸に、私はサキュバスとしてもう少し頑張っていける。


 ありがとう、悠人。私の大事な人。

 私はあなたの居ない世界で、フィリーと結婚して、魔族として生きていくことになると思う。

 フィリーが一番大事な存在になると思う。


「悠人、ありがとう」


「うん?」


「付き合ってくれって言われて、私本当に嬉しかった。あの時の返事、今するね」


「……ああ」

 あの時だったら、大喜びで“これからよろしくお願いします”と言っていた。

 それはもう言えない。私はつばさだけど、ノエルだから。

 純粋だったつばさはもういない。私はノエルとして生きていく。

 だからこう言おう。


「“私もずっと好きでした"本当に、本当に大好きだったよ。悠人」

 世界が崩れて行く。ビルに、街に、川に、芝生に、悠人にノイズが走る。砂嵐が広がっていく。悠人は笑顔のまま、私を送り出してくれている。

 会えてよかった。悠人。いつかまた違う世界で、どこかでまた会えるといいね。


 それまで、『またね』、バイバイ。


        ****

【ノエル】  


「己の根底にしているもの、見つかったかの?」

 目を覚ますと、私は囲炉裏の前で寝かされていた。向かいには師匠が魚を焼いている。寝ている間に何処かから採ってきたんだろう。


「うん、見つかった。ううん……ずっとあったけど、しっかりと向き合ってきてなかった」


「今、おぬしが見た世界が、お主にとって一番の支えとなる部分じゃ。分かったのなら大事にせい」

  あの日、私が何故突然サキュバスの力に目覚めてしまったのか、分かった気がする。

 誰かを好きになってしまったら、私の中にある悠人への思いが変化してしまうかもしれないと感じていた。

 私の中の大事なものが壊れてしまうと無意識に思ってしまっていた。

 だから、自己防衛が働いたんだ。大事なものを壊したくなかったから。

 

 私と悠人の関係はこの異世界に来ても、なにも変わらない。ずっと変わらない。私の根底にずっと悠人の存在はある。

 でもそれは悪いことなんかじゃ決してない。


 誰か他の人を好きになることが、なにか罪になるように感じてきた。

 でもそれは違った。

 私の根底には悠人がいるけれど、それが変わる訳じゃない。足されるだけなんだ。


 つばさっていう女の子がいた。それにノエルが足されて、今を生きてる。

 同じように、悠人の思いに足して、フィリーのことを考えていけばいいんだ。


「ありがとうございます、お師匠さま。なにか、踏ん切りみたいなのがつきました」


「迷いは晴れたか。ならば、もう心配はいらん。自分で適切な時に力を発動できるじゃろう」

 気持ちが落ち着きと共に、魔力の循環も緩やかになってる気がする。


「これからの人生、絶望することもあるかもしれぬ。なにか予想も付かないことが起こるかもしれん。そんなとき、今日を思いだすのじゃ。今日視た出来事を思え。感じろ。それがある限り、お主はどんな状態であっても生きていける」


「うん、今まで怖がっていたことも、悠人との思い出が残るって分かったら安心出来る」

 悠人への気持ちを胸に、私は私のしたこととちゃんと向き合って、フィリーとも向き合おう。

 ちゃんとフィリーの顔を見て謝ろう。お父さんとお母さんにも謝らなきゃ。それで四年後か五年後か、フィリーを元に戻したら、


 私は今度こそ幸せになろう。



 ゆらり、と囲炉裏の火が揺れた。私の目の前に座る師匠の顔つきが変わる。見たこともない形相へと変化していく。


「……相変わらず、無粋な輩じゃ」


「お師匠さま?」

 なにかを呟いていたけれど、聞き取れなかった。師匠は立ち上がり出口に向かう。


「人間じゃ……多いな」

 私は師匠と共に館の外に出る。朝焼けが終わり、暗闇が浅くなってきている。


「ノエルよ。子供達を頼む。まだそう遠くまでは行っとらんはずじゃ」

 師匠の体が人間の形態からドラゴンへ流れるように変化した。大きい。高さだけでもいつか見た巨大なゴブリンを越えてるかもしれない。

 背中の羽根を羽ばたかせて、颯爽と上空へ飛び去っていった。


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