浮き雲のお菓子

ノエル18 『お料理作り』


 ―― 浮き雲のお菓子 ――


 それは、フィリーの放った、たった一言から全ては始まった。

「……まじぃ」

「な、……なにィッ!?」

 それは私の作ったダシ巻き卵を一口頬張った後に、フィリーがぼそりと言った言葉だった。

 ちょっと待ってアンタ、私がコレ作るためにどれだけ沢山の努力を重ねたと思ってんのよ。出汁って概念のないこの世界で、川魚とかシイタケっぽいキノコとか使って必死こいて、別の世界の記憶を引っ張り出しながら作ったんだよ。

 これこれ、この味! とか思いながらウキウキで食卓に並べたんだよ。

 それをまじぃ……の一言とかその両翼へし折ってスカイツリーの上から吊るしてやろうかオラァ!


「どう考えても、卵は甘い方がうめーだろ!」

「だからアンタはいつまでもガキなのよ! この馬鹿舌!」

「なんだと!? もういっぺん言ってみろ!」

「やんのかゴラァ!!」


「やめなさい!」

 お母さんの鶴の一声でその場は収ったけれど、私の心にふつふつと闘志がみなぎってくる。出汁の味舐めんな。出汁は日本人の心よ。全ての料理は、出汁の味が決め手になるのよ。


「んー。お父さんは好きだけどな。酒のあてに丁度良さそうだ」

 お父さんは気に入ったのかバクバクと食べてくれている。けど、お父さんは腐りかけの食材でもバクバク食べてくれるから、なんかあんまり嬉しくない。


「私はイマイチかしら。葡萄酒に合わなそうだし、卵はプリニスさんところの凝固乳を入れたのが一番だわ」

 チーズ入りのが美味しいのは認めるけれどそれはそれ、これはこれだ。


 ……よし、決めた。


 だし巻き卵がマズいって言うならば、もっと美味しい料理を出せばいい話だ。

 何かの本で見たみたいに、少しずつ色んな料理に混入して長い年月かけて中毒患者を作り出してもいいけれど、それじゃあつまらない。

 いくら馬鹿舌でも、絶対に美味しい、と言っちゃうくらいの出汁料理を作ってやる。


 そう、元日本人の誇りとして、出汁を馬鹿にするヤツは絶対に許せない!!


「……、と意気込んでみたけれど、どうしよう……」

 翌日、意気揚々とキッチンに乗り込んだ私は、必死に十六年前の記憶を引っ張り出していた。

 ちなみにお母さんは服の大口オーダーが入ったらしく、別室で鬼気迫る表情をみせながら針を動かしている。

 この調子だと、しばらくの間、朝ご飯も晩ご飯も私が作ることになりそうだ。


 出汁を美味しい、って思わせたいなら、やっぱり出汁が前面に出て来るような料理だよね。

 昨日はだし巻き卵がピッタリだと思って出したけれど、たまごは甘い方がいい、って言うならもっと別のアプローチができる料理にする必要がある。


「出汁……出汁が前面に出てくる料理かぁ……」

 こう考えるとあんまり出てこない。元々お出汁って料理に深みを出すためにあるものだから、こう、自分がーって主張するタイプじゃないんだよね。


「……うどん、とか?」

 おそばは無理だけど、おうどんは多分頑張れば作れる。

 小麦粉っぽい材料もあるし、塩もある。……けれど、問題はおつゆだ。


 うどんつゆを作ろうと思ったら、最低限、出汁の他にお醤油が欲しい。

 お酒とみりんもあるとベストだけど、お酒はお父さんが隠し持っている高いお酒が清酒に似た味だったし、みりんは蜂蜜っぽい食材もあるから代用できそう。


「……でも、醤油は……」

 醤油の代用は無理。あれって、思っている以上に唯一無二の味だと思う。

 確か、大豆とこうじで作られていた筈だけど、当時高校生だった私の知識では作れるものじゃない。

 だいたい、こうじってカビでしょ? なんで豆に生えたカビを使おうとか思ったのよ昔の日本人。っていうか、この世界にも似たカビがあるんだろうか。大豆は似た豆が普通に売っているからいいけれど、カビはどうにもならない。


「じゃあ……お味噌汁とか」

 ダメだ。今度はお味噌という高い壁が広がっている。

 あれも確か大豆とこうじでできていた筈だ。昔の日本人どんだけ大豆とカビが好きなのよ。

 ちゃんとした日本食を作ろうと思ったら、どうしても麹の発酵食品という壁にぶち当たってしまう。この世界にもチーズぽい物やら、ヨーグルトぽい食べ物があるから、発酵っていう概念はあるはずなんだ。

 そう考えると、豆で同じことをしてもおかしくないはずなんだけど……。


 ……まって。


 お酒だって発酵飲料だよね。この世界でも普通に流通している。高値だけど、清酒っぽいお酒も売っている。

 清酒も確か麹が使われていた筈だ。実は私が知らないだけで、麹的なカビがあるんだろうか。

 だったら、そのカビを分けてもらえれば、大豆ぽいものはあるから……醤油と味噌が造れる!


「……行ってみるか」

 エプロンを外した私は、拳を握り締め、決意する。

 まずは商業区、酒屋さんで聞き込み調査だ。



「酒造元を知りたい?」

 クワガタをそのまま大きくしたような魔族が胡散臭そうな視線を私に向けてくる。

 商業区の片隅にある、酒屋の大将さんだ。

 麹菌を探してみる。そう一念発起した私は早速その足で酒屋さんまで向かっていた。小さなお店の中に色々なお酒が所狭しと並んでいる。


「うん。ちょっと作りたい物があって……」

「やぁめとけ、やめとけ。酒なんて自分で作るもんじゃないぜ。面倒ったらありゃしねぇ。それにあんまりおおっぴらにやっちまうと、行政区からお叱り受けちまうぜ」

 私がお酒を造ろうとしたと勘違いしたんだろう。細い脚をパタパタさせる。


「違うよ。ちょっと豆を腐らせて家族の晩ご飯にしたいだけだから」

「……そ、そうかい。嬢ちゃん、悪い事は言わねぇ。昼間っから飲むのはやめな」

 ……伝え方を間違えた。大将がびっくりするくらいドン引きしてる。


「と、とにかく美味しいご飯を作るために、お酒を造っている魔族から貰いたい物があるの」

「っても、色んな魔族が造ってるんだぜ。お前さん、どの酒の造り主を知りたいっつうんだ?」

 どん、と大将の前にお酒の瓶を置く。お父さんの部屋からかっぱらってきた高いお酒だ。


「『直腸一直線』か! シブい酒飲むじゃねーか」

 え、これそんな便秘薬みたいな名前のお酒なの? どんなネーミングセンスよ。


「確かにこりゃ、変わった味の酒だ。オレっちもどうやって造ってんのか気になってたぜ。酒造元の場所を教えてもいいんだが、後でコッソリ造り方を教えてくれよ」

「う、うん。教えて大丈夫そうなら教えるよ」

 まあ秘密にしているなら、私にだって教えてくれないよね。それに私が知りたいのは、造り方じゃなくて、麹を使っているかどうかだから、造り方は教えてもらえなかったって言えばいいし。


「じゃあ、ちょこっと待ってろ。書く物持ってくらぁ」

 そう言って大将はガサガサと店の奥に入っていった。しばらくすると、私の背丈くらいの大きさの万年筆を角に挟んで帰ってくる。


 ……その槍みたいなので何を刺すつもり? 書くの? 書くつもりなの? どんだけ壮大な地図作ろうとしてんのよ。


「あそこはなぁ、ちぃっと分かりづれぇ場所だからな。ここをこうして、こう行って――」

 そう独り言を言いながら、伝票の裏に器用に地図を書き始める。

 ……それで、私より字が上手いってどういうことよ。


 ダメだ、突っ込みだしたらキリがない。ここは魔族の街なんだ。魔族それぞれ、自分のスタイルに合わせたやり方がある。

 妙に精密な地図を書き上げた大将が、満足そうに私に地図を差し出してきた。


 魔族の街は高い高い防壁に囲まれている。外敵がいるわけじゃないけれど、昔の魔族が念のためにってことで作ったらしい。

 防壁の外に出ようと思ったら、北側に二カ所付いている大きな門まで行って、外に出なくちゃいけない。

 空を飛べる魔族や壁に貼り付ける魔族ならいいんだろうけれど、防壁を飛び越えられない私なんかは本当に面倒くさい。

 防壁から外に出て壁沿いに歩いてみると、街を囲うように広がる農園がみえてくる。農園っていっても、日本でよく見かけていた長方形の農園じゃない。区画整理が上手くいっていないのか、林と林の間を縫うように果物畑があったり、丘一面がハーブ畑になっていたり、形は様々だ。

 曲がりくねった農道に花を添えるかのように、ぽつん、ぽつんとレンガのお家が建てられている。農園の管理をしている魔族のお家だ。

 前にエアが言っていたけれど、農業をやれる魔族ってほんの一握りで、普通はいくら行政区に申請を出してもなかなか許可されないらしい。

 魔族半島は広いから、街から少し離れたところで申請出さずに始めればいいのに、と言ったところ、農業をやるための申請じゃなくて、農作物を街に卸すための申請なんだとリレフからため息をつかれてしまった。

 街の中に変な食べ物や飲み物が出回らないように行政区がきちんと管理しているみたいだね。昔は農業を営んでいる魔族は尊敬の眼差しでみられていたらしい。


 そんな感じで、街の中に出回る食べ物のほとんどが農園から作られているんだけど、実はお酒も農園を管理している魔族たちが作っている。

 クワガタ大将からもらった紙を頼りに、曲がりくねって枝分かれした道をひたすら進んでいると、わらぶき屋根の平家が見えてきた。

 地図を貰ったときは歩く距離を考えてゲンナリしちゃったけれど、なんとか迷わずにたどり着くことができた。丁寧に挿絵つきで地図を書いてくれた大将のおかげだ。


 それにしても……。


「……なんか、珍しい」

 目の前のお家に何か懐かしさを覚えてしまう。魔族の街は二階建てが多いし、私のお家もそうだ。平家でわらぶきの屋根なんて、こっちの世界では初めて見た。

 お家の周りは垣根が植えられていて、こぢんまりした畑が見え隠れしている。よく手入れがされているみたいで、実っている野菜はどれも美味しそうだ。


「こんにちは!」

「うわっ! ビ、ビックリしたぁ!!」

 突然話しかけられ、ビクリと身体をこわばらせる。

 声のした方向、足下を見てみると、二本足で立つ子犬が私に顔を向け、ニコニコとしていた。

 毛並みは多分茶色。……多分、といったのは理由がある。子犬の着ている服だ。間の抜けた顔をした、緑色の毛をした犬のぬいぐるみを着ていて、ぬいぐるみの口から顔を出している。まるで犬の口から犬の顔が飛び出しているように見える。


「お客さんですか? こんなところまで良くいらっしゃいました!」

 なんかやけにハキハキ話す子犬だ。なんか、服装も伴って……すごくかわいい。ここに住んでいる魔族なのかな。


「う、うん。酒屋さんに聞いてきたんだけど、ここってお酒を造っているところなの?」

「はい! でも今はそんなに造っていなくて……おじいちゃんのお客さんですね。中へどうぞ!」

 そう言って子犬はわらぶき屋根のお家に向け、トコトコと歩き始める。追いかけようとした瞬間、子犬はくるりと振り返った。


「あっ、ごめんなさい。申し遅れました。わたし、オルトロス種のククルと言います」

「サキュバス種のノエル。よろしくね」

「よろしくお願いします!」

 ぺこりと頭を下げ、ククルは再び振り向いて歩きはじめた。

 なにあのイイ子。

 ……どうしよう。すっごく持って帰りたい。


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